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桐生甘太郎
桐生甘太郎
novelistID. 68250
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川の流れの果て(1)

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「よう与助よ。そう泣くんじゃねえや、もう昔のことなんだろう?」
そう言ったのは、職人らしき三人の中で、座敷の奥の方に居た男だった。この男はいくらか色の白い眉のきりりとした、苦み走ったいい男だった。頬の一番高いところや鎖骨や指の節に小気味よい骨の出っ張りが見え、それが気骨のあるはっきりした印象を見せていた。着ている物は、股引に腹掛け、印半纏の上から三尺の手拭で前を締めた職人恰好で、座敷にどっかと胡坐をかいている。座敷の三人は、皆同じ恰好をしていた。

泣くなと言われ、与助と呼ばれた男は、膳に乗せられた皿の中にぽたぽたと涙を垂らし、肩を叩かれている。しきりに頷いてはいるが、一向に泣き止む気配はない。この男は三人の内では少し歳のいった様子で、長い職人暮らしの中でそうなったものか顔は浅黒く、それでも皺の寄った顔の中にどこか女好きのするような凛々しい面影がある。仕事の年季が体にも刻まれているようにあちこちの肌がくたびれてくすんでいたが、節くれ立って仕事の疲れが刻まれた両手は、力強そうだった。それでも、それがあんまり悲しそうに泣いているものだから、与助はすっかり頼りなく見えてしまっていた。

「まあそう言ってやるない留五郎。素直に泣かせておくがいいさ」
通りに面して開け放しになっている、座敷の端の軒柱にもたれていた三人目の男が口を出す。この男も割合にいい男ではあったが、灘らかだが揺るがない眉と、血の気も何も無い淡い色の肌、色も厚さも薄い唇など、どれをとっても職人には珍しい風采の男であった。体は留五郎より更に細く、それがささやかに微笑んでいる様子は、まるで托鉢の僧のようであった。
「だってよう三郎!こう皿の上にぽたぽたやられちゃあ堪らねえや!ほれ、もう一息飲んでよ、忘れっちまえ!」
留五郎はちろりを傾けて、与助が震えて覚束ない手で差し出した湯飲みに酒を注ぎながら、自分でも、湯飲みに半分ほど残った酒をぐいと飲み干した。与助も同じように、ぐいぐいと湯飲みを空にする。

「おう!おれぁ忘れる!うん!」
湯飲みを空にしてそう大声で叫んだ与助はすっかり酔っぱらっており、留五郎と三郎の二人はそれを見てげらげらと笑った。

どうやら与助を泣き止ませようとしていた留五郎が三人の中心になっていて、三郎は一足後ろで思慮深く微笑んでいる男で、奔放に泣き笑いする与助の様子も毎度の事らしい。慌てて慰めるよりはなだめすかした方がいいと、留五郎と三郎は分かっているようであった。

三人は手に手に酒を注いだ湯飲みを持っていたが、一様に指先と爪の間がうっすらと紫色だった。それは、三人とも紺屋の職人で、藍の色が染付の時に染み込むからであった。だが、神田紺屋町ではなく深川元町の職人であった。深川も水場が近いことで、何軒か紺屋がある。そこからすぐの永代橋の袂の「柳屋」は、この三人にとってたむろするのに格好だったのであった。


その時、通りから店を覗き込む者があり、店先にぶら下がった提灯では面差しまでは見えなかったが、「ごめんなせぇ…」とちょっと気後れしているのか、田舎訛りの、若い男の声がした。吉兵衛は「あいよ」と返事をしたが、その男はなかなか通りの真ん中から動かず、「どうしたい、酒かい?食いもんかい?」と吉兵衛に急かされてからやっと、「飯を、頂きたいんで…」と遠慮がちに暮れの夕闇の中から現れた。