キャンディーしかないお菓子屋さん 第一話 同級生キャンディー
「お母さんはどこか行ったの?」
「ああ、たぶん出かけてるんでしょ。最近ほとんど家にいないから。いいんだ別に。パパもママも家にいなくたって、別にいいんだ」
タエは何かを思い出したように天井を見上げてひとり言のようにつぶやいた。
「パパもママも最近変なんだよ。お金儲けの事ばっかり考えてる。お金があれば何でも出来ると思ってるんだよ。うちは結構裕福だし、もうお金なんて要らないのにバカみたい」
「でも前はタエちゃんのお母さんやさしかったじゃないか。遊びに来ると美味しいケーキとか焼いてくれてさ」
マサルの言葉に答えずにタエはフッとさみしそうな顔をした。
「さあ、そんなつまんない事より遊ぼうよ。新しいゲーム買ったんだよ」
「ほんとっ、じゃあ勝負だ」
これ以上わかっている事を聞いてタエを苦しませたくなかったマサルは、はしゃいだふりをしてテレビのある部屋へドスドスと駈けて行くのだった。
みいこのマサルとタエはそれから四十分くらいゲームをして遊んだ。初めてのゲームだけあってマサルはタエに一度も勝つ事が出来なかった。それでも一生懸命やったので汗だけはタエの十倍くらいかいていた。
「ふう、暑い。休憩休憩」
マサルはコントローラーを持ったままごろりとあおむけに寝転がった。その姿がまるでダルマの置物が転んだようだったのでタエは朗らかに笑った。
「だーるまさーんこーろんだっ」
タエがそういってマサルをからかった時、玄関の方からただいまと言う声が聞こえて来た。天井を見ていたマサルは額の汗がすっとひいていくのを感じた。
いよいよ来たな。マサルは真剣な顔になってそのまま身体を起こす。どうやらタエは玄関の方に駈けて行ったようで部屋にはいなくなっていた。さっきまで窓際で丸くなって眠っていた慎之介が近くに寄って来たのを確認するとマサルは立ち上がった。
「おかえりなさいおかあさん。あのねマサル君が遊びにきてるんだよ」
「えっ、ダメじゃないタエ。今日は誰とも遊んじゃダメだって言ってあったでしょ」
「でも、宿題も終わったし、せっかく来てくれたんだから…」
「キィー、ダメッたらダメなの。もうすぐお父さんも先生と一緒に帰ってくるんだから」
お母さんは急に大きな声で叫びだした。
「ちゃんとお母さんの言うことを聞きなさい。先生はうちにとって大切な人なんだからね。お友達には帰ってもらいなさい。今日は先生からお前に話がある大切な日なのよ」
タエはお母さんのキツネのようにきつくなった顔を見て、キンキンした声を聞くと涙が出そうになった。
「お母さんなんかだいっ嫌い。何が先生よ。あんな奴うちに来なきゃいいんだ。あいつが来てからお母さんたちはおかしくなっちゃったんだ。あんな奴いなくなりゃいいんだ!」
「タエっ、先生になんて事を…」
お母さんのキンキン声を最後まで聞かずにタエはテレビの部屋へ駈け戻った。
【その5】
タエが部屋に戻るとマサルの姿はどこにもなかった。きっと今の会話を耳にして、気を使って勝手口から帰ったに違いないとタエは思った。タエは味方がいなくなったようで悲しくなって両手で顔を覆うとその場に泣き崩れていた。
7.8分たっただろうか、玄関の方からお父さんの声と、タエの嫌いな『先生』の声が聞こえてきた。もちろんその『先生』が欲鬼だという事をタエが知る由もなかった。そして今夜タエにその欲鬼が乗り移って両親のように強欲な人間に変えてしまわれるなどこれっぽっちもタエの頭の中にはなかった。タエは廊下の方へ顔を少し出して玄関の様子をうかがった。えらそうにふんぞり返った『先生』はいつものように真っ黒な背広を着てサングラスをかけている。痩せていて、紫色の唇をした顔色の悪い顔はいつ見ても不気味だった。背はお母さんよりも小さいのだが、応接間に案内するお父さんとお母さんがまるで召使いのように腰をかがめているので大きく見える。その姿を見ると気分が悪くなるのでタエは廊下の反対側にある自分の部屋にそっと足を向けた。
タエがお母さんを迎えに玄関に行っている間にそっと部屋を出たマサルと慎之介は勝手口から表に出て家の裏側から庭に廻り、応接間の見える木立にかがみこんで様子をうかがっていた。隠れてすぐタエのお父さんが真っ黒なベンツで欲鬼と一緒に帰ってきた。
「あいつが欲鬼か」
「そうだよ。この前は背中を向けてたから顔が見えなかったけどなんか不気味な奴だな」
黒ずくめの欲鬼を見てマサルと慎之介はささやきあった。いよいよ欲鬼の手から不幸の種を取り返すときが来たのだ。
二人が隠れていた木立からは応接間の様子がよく見えた。応接間ではこの前慎之介が見たときのように欲鬼が窓に背を向けてソファに座り、その前にタエの両親が座って何やら話してこんでいた。十五分ほどするとどうやら話が終わったらしく、お母さんが部屋を出るのが見えた。部屋に残ったお父さんと欲鬼は笑いながらまだ何か話している。
しばらくすると応接間のドアが開いてお母さんが戻ってきた。お母さんの後ろにはふくれっ面のタエが従っている。隠れていた二人は緊張で一瞬身体を硬くした。タエはお父さんの横のソファに座らされた。タエが嫌がっているのは窓の外から見ているマサルたちの目にも明らかだった。ソファに腰掛けたタエはフンという感じで横を向いている。少しの間お父さんが何か話していたが、急に立ち上がるとお母さんと二人で応接間を出て行ってしまった。応接間にはタエと欲鬼が二人っきりで残された。
「よしっ、慎之介行くよっ!」
音も立てずにすばやく窓から応接間に飛び込めればよかったのだがなにぶんマサルの巨体だ。二人は庭に出たときに窓から飛び込むのは無理だと思って作戦を変更していた。マサルたちはさっき出て来た勝手口に戻るとそっと家の中に入りこんだ。おそらくタエの両親は居間にいるに違いないと予測しての作戦だった。居間は応接間の向こうなので応接間に行くまでに見つかる心配はないはずだ。
応接間のドアの前に無事にたどり着いたマサルと慎之介はドアに耳を当てて中の様子をうかがった。キンキン耳に響く欲鬼の声は聞こえるのだが、ドア越しなので何を言っているのかよく聞き取れない。だんだんとマサルと慎之介はあせってきた。
マサルは慎之介を抱き上げるとそっと耳元で何かささやいた。慎之介はウンというように頷くと、廊下に音も立てずに飛び降りた。マサルは慎之介がドアの前に顔を近づけた時、そっとドアノブに手をかけた。慎之介を見下ろすと、慎之介はマサルのほうを見てオーケーというふうに首を縦にふった。マサルはつかんでいたドアノブをゆっくりと回し慎之介が入れるくらいの隙間が出来るようにドアをそっと押し開けた。すばやく慎之介が部屋の中に入る。
【その6】
「ニャ~」
慎之介は部屋に入るとすぐに駆け足で、ソファに座っているタエの所へ擦り寄った。
「あれっ、慎之介じゃない。もう帰ったと思ってた。マサル君はどうしたの?」
タエは慎之介をひざの上に抱き上げた。
「にゃんだ、そのネコは?」
「あっこれ? これは私の友達のマサル君が連れてきた猫で慎之介っていうんです」
「にゃんだとっ! マサルがいるのか。あの太ったマサルがこの家にいるのか?」