よ う こ そ
(六)丘の上の微笑み
勲と彩香が母屋に戻ると、貴美子と子どもたちが二人を待っていた。そして五人で朝の食事をとった。昨夜の初対面の不自然な空気は幾分和み、春子もちらちらと彩香を盗み見ることもなくなっていた。
「ご飯がすんだら父さんはちょっと彩香さんと出かけてくる。昼には戻るから、いつもの場所で会おう」
「うん」
朝食を済ませた彩香は、勲の後をついて歩いた。作業着姿の勲とシンプルなワンピースに身を包み、日傘をさして歩く彩香、不思議と絵になるふたりだった。彩香の足元がスニーカーというのが違和感を和らげているのだろうか。と言ってもどこかのブランドものらしく、やはり品が良かった。
「彩香さん、改めて本当によく来てくれましたね」
「はい、思い切ってまいりました」
彩香は美しく微笑んだ。それを見て勲は、これは夢ではないだろうかと本気で思った。ここで厚かましく交際を申し込んだりしたら、その瞬間にこの素晴らしい夢は冷めてしまうだろう。とてもそんなことはできない。
「牛舎を案内します」
まるで観光客にでも説明するように牛たちを見せて歩いてから、勲が言った。
「いつもならこれからこの牛たちを放牧するのですが、今日は仲間たちが代わりにやってくれることになっています。用がある時は互いに助け合っているんですよ」
こうして半日、彩香と過ごし、昼からは家族と合流する、そう予定を組んでいた。その時ちょうど仲間たちがやってきた。
「よ、ご両人」
「おまえ、品のないこと言うなよ。俺まで同類だと思われるじゃないか! おはようございます、お疲れじゃないですか?」
「おはようございます。はい、よく休ませていただきましたから。今日は私のためにお手伝いいただくそうでありがとうございます」
そして男たちがその微笑みにノックアウトされたのは言うまでもない。
「じゃ、彩香さん、車でちょっと出かけましょうか。お見せしたい景色がありますので」
「はい」
軽トラでやってきたその小高い丘は、はるか遠くに山々が連なる見事な眺望だった。眼下には、一面を覆う小花たちがそよ吹く風になびいている。勲は車から折りたたみ式のイスを持ち出し、安定した場所に置いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「あの、写真いいですか?」
「え? はいどうぞ」
勲はスマホを取り出し、数枚の写真を撮った。
「あの、一緒に自撮りしてもいいですか?」
「自撮り?」
「こんな感じです」
勲は自分に向けてシャッターを押した。
「ああ、はい」
ふたりは顔を寄せ合って写真に納まった。
「あの、彩香さんのこと、どこまでお聞きしてもいいのでしょうか? ああ、その前に、私のことは何でも聞いてください」
「私の何をお知りになりたいのでしょうか?」
「そう聞かれると困っちゃうな~ まず、年齢とご家族のことかな」
「そうですね、私、何もお話していなかったのですね」
「ええ、お名前とお近くの郵便局の場所だけです」
ふたりは顔を見合わせて笑った。
「歳は勲さんと同じ四十歳です。家族は両親が他界したのでおりません。ただ、長年いっしょに暮らしているお手伝いの夫婦がいます。あと、その遠縁の娘さんも」
「ああ、空港までいらしていた方ですね」
「はい」
彩香は自分からペラペラしゃべることはないが、聞かれたことは素直に答える、ということが、勲にはわかってきた。
「お手紙にはご希望に添えないと書かれていましたが、やはり、今回は旅行ということなのでしょうか?」
「それは……お会いしてみてからと思っていました」
「それはそうですよね。私も正直、どんな方がみえるのかわかりませんから期待はしていなかったというか。口の悪い仲間なんか髭が生えているんじゃないかなんて」
「髭?」
「ああ、実は男だったりしてということです」
「まあ」
この人には冗談にも説明が必要なようだと勲は思ったが、理解すると面白がるところが可愛いと思った。
「それで、その……どう思われましたか?」
「は?」
「いえ、いいです。知らない方がいい場合もありますから」
彩香は、勲の言った意味がわかったのかわからなかったのか、ただ微笑んでその場をやり過ごした。