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短編集70(過去作品)

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夢幻鏡



                 夢幻鏡

 重ねつつ
  合わせていくつ頭には
   常に答えを求めて止まぬ

 母が亡くなったのは、しおりが中学生の頃だった。弟の勇作はまだ小学生の低学年で、お通夜や葬儀の時、ずっと黙って下を向いていて、気の毒なくらいだった。母が死んだということよりも、人の多さや葬儀の仰々しさに圧倒されていたに違いない。中学生の私ことしおりでも同じで、ずっと兄妹二人、寄り添うように端の方にいた。
 父親は、喪主ということもあり、忙しく立ち回っていた、まわりではすすり泣く者もいたが、私は親戚がひそひそ話をしているのが気になって仕方がなかった。死んだ理由が事故や病気であれば、別に気にもならないし、ここまで弟と二人、端の方で小さくなっている必要もない。
「でも、どうしてなのかしらね」
 かすかに話し声も聞こえてきた。聞かないつもりでいても、どうしても気になってしまい、勝手に聞き耳を立てている。しおりはそんな自分に自己嫌悪を感じていたのだ。
 母が死んだのは、自殺だった。しかも、心中だったのだ、父の落胆は酷いもので、自殺そのものよりも、一緒に心中するほどの相手がいたことに驚いたのだろう。しおりもまったく気づいていなかった。学校から帰ればいつも家にいたし、別に急に化粧が濃くなったり、普段の態度に変化があったわけではない。父親にしてもしおりにしても、青天の霹靂だった。
 そのままであれば、きっと母親を憎んだかも知れない。自分で勝手に不倫して、最後には心中するなど、家族を無視した行動に憎悪の念が生まれても仕方がない。実際に私には浮かびかけていたのだ。
 だが、警察の捜査が進むにつれて、次第にいろいろ分かってきたが、そのせいで、不可解なことも分かってきたのだ。母親と一緒に死んだ男と母親の関係は調べても調べてもどこからも出てこなかった。不倫どころか、出会うきっかけすら捜査から浮かんでくるものではなかった。警察はしおりにも何となくではあったが、一緒に心中した相手のことを聞いてきたが、まったく知らない人であった。相手の気配を自分のまわりから消せるほど、母親は器用な性格ではない。どちらかというとおっちょこちょいで、要領の悪い方ではないだろうか。父親もそのことは分かっていたので、相手の男性と接点が感じられないということには驚いていたが、納得したような雰囲気だった。ただ、相手が誰であれ、家族を無視してまったく私たちの知らない人と一緒に自殺するなんて、決して許せることではない。きっと父親も同じ思いだっただろう。さすがに幼い弟には分かっていないだろうが……。
 私は中学を卒業すると、進学校に通い、そのまま順調に女子大に入学できた。中学、高校と性格的には暗く、友達もほとんどいなかった。中途半端な付き合いをするくらいなら、友達を作りたいとは思わなかった。その心根の中には、母親があまり親交のない男性と心中したという思いが深く根付いていたからに違いない。次第に一人でいることが多くなり、まわりの人を寄せ付けない雰囲気を自分の中に作ってしまった。きっとまわりからは殻に閉じこもった女に見えているに違いない。
 女子大生になってからも友達はあまり作らなかった。自分でいうのもおかしいが、暗い雰囲気の中に艶麗さが隠れているように思える。実際に大学の同級生の男の子から告白された時、
「冷たさの中に艶麗さを感じるからさ」
 と、ハッキリとそう口にした男性がいた。
「君のような女性にははぐらかすような言葉よりもハッキリと言った方がいいと思ってね。直球勝負だよ」
 と言って笑っていた。
 彼は、女性から人気があり、その理由は、爽やかで裏表を感じさせないというものだった。それは私も感じている。実際に私も彼には好感を持っていたのだ。
 ストレートな告白には私も素直に応じた。私が生まれて初めて付き合う男性となったのだ。
 私は晩生というわけではない。ただ、性格的にあまり人と親交を持つことがなかったのと、男性に対しては特に警戒心が強かったかも知れない。それも母親と一緒に心中したという男の存在が、私の中で消えずにずっと残っているからだった。そんな思いを打ち消してくれるかも知れないと感じたのが、彼だったのだ。
 彼は優しかった。私が嫌がることを決してしないし、言わなかった。いつも気を遣ってくれて、それを私に感じさせないようにしてくれる素振りも大人の男性を思わせた。
 しかし、母親と心中したという男性。どんな人なのかは詳しくは知らないが、噂では大人の男性を思わせる爽やかな男性だったという。母親の性格からしても、お互いに最初から死ぬ気でいなければ心中などありえない。しかも、二人が同じ理由で死のうとしたのではないという思いが強くなってきた。そう思うと何となくではあるが、二人の心中時の気持ちが分かって気がした。決して許せることではないが、気落ちが分かってきたのは、それだけ私が大人の女性になってきた証拠なのかも知れない。
 元々私は、頭の中で絶えず何かを考えているような性格だった。子供の頃からのくせで、いつも計算をしているようだった。頭の中に整数が並んでいて、それをいつも適当に並び替えて、法則を考えている。男の子ならまだしも、女性でそんなことを考えているのは稀かも知れない。だが、理数系に進む女性も少なくはないので、そんな人たちも誰にも言わないだけで、同じような性格ではないだろうか。
 ただ、私が進んだのは文学部。算数や数学は嫌いではないが、それよりも芸術に興味があった。特に文芸。小説やエッセイを書いてみたいという思いは、高校の頃からあったのだ。
 私は大学二年生の頃から、スナックでアルバイトを始めた。それまではコンビニの店員だったり、喫茶店での接客だったりが多かったが、ちょうどおばさんがスナックを営んでいて、人手が足らないと聞いていたので、
「私でも大丈夫ですか?」
 と聞いてみたところ、
「ありがとう、もちろん、大丈夫よ。本当は声を掛けたかったんだけど、まだ女子大生のあんたにはなかなか声を掛けにくくてね。こちらからすれば願ったり叶ったりだわ」
 と、素直に喜んでくれるおばさんに私も笑顔を向けていた。学校では見せたこともないような笑顔だったが、それもおばさんを喜ばせる理由の一つだった。
 付き合い始めた彼に、言おうかどうしようか迷った。言わずに済ますこともできたが、私の性格からすれば言わないわけにはいかなかった。すぐに顔に出てしまう私には、なかなか秘密は作れない。特に好きな人にはそうだったのだ。
「いいよ。それにおばさんのところなら安心だね、でも変な男には気を付けるんだよ」
 と言ってくれた。
「ありがとう。これで安心だわ」
 今後の憂いをなくした私は、安心してスナックでアルバイトができる。本音としては、小説を書く上で、いろいろな経験をしてみたいということであったが、不安がないと言えばウソになる。ただ、場所がおばさんのところで、しかも望まれていくのだから、決して悪いようにはされないはずだと思ったのだ。
作品名:短編集70(過去作品) 作家名:森本晃次