Late check-in
わたしが言うと、アザミは感情を切り離すように目を伏せた。立場上、常に人の行動を見極めている。そして、その仕草を見せるときは、何かの結論を導き出したときだ。カワセミがサンドイッチとコーヒーを置いてくれたけど、まだ食べる気にはなれなかった。わたしは言った。
「聞いていた話と違って、相手は散弾銃を持ってました」
続けて顛末を全て話すと、アザミは小さくうなずきながら聞いていたけど、おそらくもう頭には入っていない。結論はすでに出ている。アザミは言った。
「何か預かったり、託されたものはある?」
「いいえ」
その短い答えで十分だった。わたしはコーヒーを一口飲んだ。アザミはおそらく、これから上司に連絡を取る。そして、福住は『引退』することになるんだろう。それが自然死なのか、派手な自殺になるのかは分からない。でも、わたしが部屋に戻って、朝起きる頃には、福住はこの世にいない。
わたしは、常に死を招く位置に立っている。アザミも同じだし、この業界にいる人間は皆そうだけど、わたしは特等席だ。どんな手段でも、人の死に繋がるようになっている。言葉も、この手も、全てが凶器だ。グロック三六の反動は、親指と人差し指の間に残っている。
無言でサンドイッチを食べていると、アザミは言った。
「珍しいね、一言も話さないなんて」
「外の話なんですけど」
わたしは前置きした上で、続けた。
「家庭の事情とか、込み入った話をしなくなった友達って、どんな心境の変化があったのか分かりますか?」
速水さんの手紙はまだ半分しか読んでいないけど、映画の公開が遅れたことに対する不満だけで、数行が費やされていた。自分の周りにいる人間の話が、最近は出てこない。アザミは残り少なくなったコーヒーを見つめながら、笑った。
「そういうのは、ツバキの方が詳しいんじゃないの?」
「いえ、そうでもないんですよ。ほんとに分からなくて。年齢的なものなのか」
わたしが苦笑いを浮かべると、アザミは言った。
「私は、ずっと音楽を聴いてた。学校でも、音楽の話以外は、あまりしたことがない。趣味が合えばその話だけで盛り上がれるし、内容も私自身のことじゃないから、気楽だし」
ボリュームを絞るように味が消えていくサンドイッチを噛みながら、わたしはうなずいた。アザミはコーヒーを飲み干すと、言った。
「その友達のことは分からないけど。自分には真っ当な人生が用意されてないって、思ったんじゃない?」
部屋に戻って、わたしは手紙の続きを読んだ。趣味の話が続いた後、新しい段落に切り替わって、仕切り直すように綺麗な字が連なっていた。ここで一度書くのをやめたのかもしれない。
『私は、十八歳になりました。今日まで、両親を殺した人間のことを知りたいという思いは、消えることはありませんでした。でも、書くのをためらわないでと返事をくれたことで、今日までそのことに触れずに来ることができたのだと、感謝しています』
わたしはベッドに腰かけたまま、柔らかい光を跳ね返すデスクランプを見つめた。あなたは、復讐を求めている。そして、敢えて書かないことで、そのことをわたしに知らせようとしている。続きを打ち切るように、右下に署名があった。いつも通りなら、そのまま起きて返事を書き始めただろう。でも、最後の一文に答えるには、一度頭をリセットしたほうがいい。わたしは横になって、ベッドに頭を預けた。
朝六時に目が覚めた。夢の続きを求めるように、右手の指が銃を握る形に曲がっていた。昨日一人殺すまでは、六年前に殺した二人が最後だった。その二人は、記録には載っていない。わたしは、モズをやっていた割に、一人も殺したことがなかった。
タイヤがパンクして、路肩に寄せられた白のマークX。さほどスピードを出していなかったし、パンクしたのは後輪だったから、まだコントロールを失わずに路肩に寄せる余裕はあっただろう。助手席から降りてきた男が、ぺしゃんこになった左後輪を見て、力任せにホイールを蹴った。もう一人が運転席から降りてくると、トランクを開けた。すでに営業していない製鉄所の前を走る、寂れた産業道路。途中で一方通行に切り替わっていて、そこから数百メートル走れば、市街地に続く明るい道路に行き着く。二人はおそらく、どうして防犯カメラがない真っ暗な道に入ったこのタイミングで、タイヤがパンクしたのかということが、気にかかっていただろう。わたしがマークXのタイヤに穴を空けたのは、ニ十キロ手前。十キロ程度で抜けるようにピンを刺した。四五口径を、二発ずつ使った。
食堂に行くと、カラスが一人で朝食を食べていて、わたしの顔を見ると、小さく頭を下げた。ヨーグルトとコーヒーを持って向かいに座ると、カラスは長いまつ毛を追い払いたいように、瞬きを繰り返した。
「聞きました? 福さん、ベッドで死んでたって」
「そうなの」
わたしは、コーヒーを一口飲んだ。想像していた通りだった。あの後、アザミは忙しくしていたに違いない。
「心臓弱かったらしいっす。そんな持病あったのかな」
モズには、死亡診断書なんてものは存在しない。遺骨はもちろん、墓もない。カラスが木っ端微塵にする。わたしは言った。
「わたしには、個人的な話は何もしなかったわ」
「まあ、できないっすよね」
カラスは意地悪な笑顔で、オレンジジュースを飲み干した。がらんとしたホテルの中にぽつりぽつりと存在する、人のいる場所。様々な会話が交わされているけど、誰もその内容を盗み聞きしないし、自分が話しているのが誰からの言葉なのかということすら、はっきりとは理解していない。
スーツに着替えてフロントから出て行くところで、ヒバリとすれ違った。
「いってらっしゃいませ」
笑顔で応じると、わたしは駐車場で自分の車に乗り込んだ。ポケットを探ると、二つ折りになったメモ用紙が出てきた。さっきすれ違ったときに、ヒバリがポケットに忍び込ませたのだろう。
『玉突きで一人昇格する。顔合わせはパールで、一週間後』
アザミの字だった。パールというのは、郊外にぽつんと建つ喫茶店で、駐車場の隅に申し訳なさそうに建っている。二日ほど羽を伸ばしたらホテルに出勤するのに、どうしてメモでわざわざ伝えたんだろう。福住が死んだことについて、わたしが色々事情を聞くと思っているんだろうか。自分の立場をわざわざ危うくするようなことなんて、するわけがないのに。何にせよ、アザミの手元に資料が届いているのなら、ルール上はわたしも確認しておかなければならない。エンジンを停めて車から降りると、わたしはフロントを通らずに、従業員用の通用口から事務所に入った。わたしのデスクの上に、資料が一式置かれているのが見えた。
本名欄が黒塗りになっているのは、いつも通り。その下には『咲丘まい』と但し書きされている。書類はいつも、この書式だ。これから仕事を重ねていくと、後ろに関わった『殺し』の情報が付け加えられていく。右肩には、澄ました表情の顔写真。普通の会社の履歴書と違うのは、出身校や職歴の代わりに、大きな事件に関わった履歴が載っているということ。
二〇一二年、一家殺人で家族を失い、その事件は今でも未解決。
作品名:Late check-in 作家名:オオサカタロウ