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短編集 『蜘蛛』

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5:箱の中



朝起きて眠たい目をこすりながら郵便受けを確認したら、中にケーキの箱が置かれていた。

特に何の変哲もない、紙で作られた市販のケーキの箱。
開く場所に留められているシールから、近所のケーキ屋のそれであることもわかる。

だが今はクリスマスじゃないし、俺の誕生日もかなり先。
というか、どちらももうすでにもらうような年じゃない。
どちらかといえばあげなきゃならない方だ。

おそらく、近所の女子高生の美月が置いていったんだろう。
数歳年上の俺に、小さい頃からやけに懐いている美月は、時々こんな差し入れをしてくるのだ。

だが、あいつは女子高生だと言うのに、普段はおてんばでちっとも女らしくない。
その上、たまに気を利かせてみればこんな感じだ。
花の女子高生なんだから、ケーキの一つくらい自分で作ってみろってんだ。
いやまあ、もちろん感謝はしているけれども。

しかし、朝食からケーキか。
20代、まだまだ食欲も旺盛だが、朝からケーキはちょっと重いなあ。

そんな事を考えながら自室に戻り、テーブルに箱を置いて開く。
するとその中には、バカでかいクモがいてこちらをにらんでいた。

「ヒィッ!」

思わず箱を放り投げる。
その拍子に脱出した八本足の怪物は、フローリングの床ですかさず警戒体勢をとった。


しばらくの間、部屋の中でのにらみ合いが続く。
コチン、コチンと目覚まし時計の秒針の音だけが聞こえ続ける。

俺は、2メートルほど先にいる怪物から目を離さぬまま考える。
良い手はないだろうか。
あんなでかくておぞましいやつを素手でつかむのなんて、絶対に嫌だ。
それにあいつは確かアシダカグモ、元来益虫だったはず。
聞いたことがある、黒くて素早いあの嫌な虫を食べてくれる良いやつなんだ。
できることなら殺さずに、家からご退出願いたいところだ……。

俺は相手をにらみながら、ワンルームの部屋を少しずつ後ずさりし、玄関へとたどり着く。
そして、相手から目を離さぬように気を配りつつ、ほうきとふた付きのちりとりを手に取った。

これで、対抗するための武器が手に入った。
ほうきで追い詰めて、ちりとりに格納し、ふたを締めてしまおうという寸法だ。

だが、あちらはGを上回るほどの素早さの持ち主。
果たして人間ごときで手に負えるのだろうか。

その瞬間、相手が先手を取って動きだした。
素早く部屋の端へと向かい、壁をよじ登る。
目的地は恐らく、少しだけ開いたクローゼットの中。
あの中に入りこんで、ゲリラ戦に持ち込もうという考えだろう。
(させるか!)
俺は壁を高速で移動する相手を、ほうきではたきおとす。
床に落っこちた相手は、懸命に別ルートを模索する。
そこにちりとりを置き、さらにほうきでそこへ押し込むように誘導する。
凶悪な姿はちりとりによって隠され、無事隔離された。

「ふーっ」

俺は、ちりとりのふたを開けないよう気をつけながら玄関へと進む。
ドアを細く開けてちりとりのふたを開け、軽くなった瞬間すかさずドアをがっちりと閉めた。

約30分後、出社の準備を整えた俺は、一度玄関を開けてやつの気配を探る。
どこにも居ないことを確認し、『カバンを床に一度置いて』から玄関に鍵をかけて出勤した。


「おい」
同じ時間のバスを待つ美月の後頭部に、俺は出会い頭にチョップを食らわす。
「いったぁ、ひどぉい。せっかくケーキ持ってってあげたのに」
こいつ、まだしらばっくれてやがる。
「あんな見た目がおぞましいケーキなんか、ケーキなんて言わねーよ」
『カバンで』ゲシゲシと美月の太ももを小突く。
「痛っ、痛い、ほんと何なのぉ?」
こいつ、ちゃんと言わなきゃわからないようだな。
「おまえが持ってきたケーキの箱の中にな、でっけえクモがいたんだよ。そいつを家から逃がすのに、こっちは朝から大騒ぎだったんだ」
俺が事態を説明している間に、美月の顔は真っ青になっていった。
「……ね、ねえ? そのクモって」
美月が震える手で、自分の制服のスカートを指差す。
「こいつ?」
その指の指し示す箇所には、どうやってここまで来たのかはわからんが、今朝格闘したあいつがしっかりとしがみついていた。
「キャー!」
金切り声をあげる美月。
俺は彼女のスカートをカバンで叩き、やつを地面にはたきおとす。
やつは今度こそ懲りたのか、近場の家の庭へと一目散に逃げ込んでしまった。

クモが逃げ出しても、美月はいまだに真っ青な顔をしていた。
「ご、ごめんな。怖い思いさせて」
俺はそんな美月に謝る。
もっとも、悪いのはどこかにひっついてここまで来たあいつなのか、不注意でそれに気づかなかった俺なのかはわからないが。

「こ、怖かったよう……。ほんと、ありがと」
美月はがくがく脚を震わせて泣きながら、抱きついてくる。
思った以上に豊満な胸の感触と、女の子らしい甘い匂い。
あんなおてんばな美月に女を感じたのは、このときが初めてだった。


ところで美月じゃないとすれば、箱の中のケーキを食べて代わりにクモを入れたのは誰なんだろう。
クモはケーキなんか食べないだろうし……。

そんな事を考えていた俺は、ある可能性に思い当たってはたとひざを打った。
そうだ、あのお方だ。

お釈迦様。
俺と美月をくっつけるために今回のことをなされたのなら、今後はクモじゃなくて蜘蛛の糸程度に穏便なやつでお願いいたします。


作品名:短編集 『蜘蛛』 作家名:六色塔