電子音の魔力
子供だったということもあり、
「大人にならなければ分からないものなのかも知れない」
と感じたが、自分が大人に近づくにつれて、
「ひょっとして、大人になり切ってしまったら、分からない発想なのかも知れない」
とも思うようになった。
つまりは、両親も子供の頃に同じような理不尽な、そして納得のいかない違和感を感じていて、同じように、
「大人になれば」
と考えていて、そのまま大人になってしまって、結局理屈が分からないまま、子供に対して違和感を感じさせる、そんな親になってしまったのかも知れない。
「私もそんな親になってしまうのかしら?」
と考えると、一体何が、そして誰が悪いのかということを考えずにはいられなかった。
しかし、考えたとしてその答えが出るとは思えなかった。
「そんなに簡単に答えが出るくらいなら、親の親から脈々と受け継がれてきたであろうこんな悪しき伝統はなかったに違いないわ」
と感じた。
だから、エロスのように、
「秘められたるものであり、あまり表に出すものではない」
という発想が、暗黙の了解となり、心の奥底に遺伝のような形で残っているのではないだろうか。
ただこの遺伝は自分たちだけではなく、皆同じことが言えるのだろうと、瀬里奈は感じた。
電子音が気になるようになってから、死にたくなる時間が頻繁に起こるようになったのと同じで、時間帯もほぼ同じであることに気が付いた。一日の中で一番寂しさを感じる時間、いわゆる夕方にその兆候が現れた。
「風が止んでしまう時間」
つまりは夕凪と言われる時間であった。
夕凪の時間が寂しく感じるようになったのは、小学生の頃からだった。
あの頃はまだ友達と放課後に表で遊ぶことも結構あり、親が共稼ぎをしているという理由で、家に帰りたくないと思っている子がほとんどだった。
共稼ぎをしているわけではない友達以外には、家にまだ生まれたばかりの弟や妹がいることで、家に帰っても構ってもらえないという人もいた。人それぞれであったが、瀬里奈はそこまで家族的には不幸というわけではなかった。だが、まわりを見ていると、見ているだけで自分まで不幸に感じられ、本当はそこまで不幸ではないということは重々理解しているつもりだっただけに、自分の気持ちのやり場に困っていた。
だからと言って、一緒に遊んでいる人たちと離れるような気持ちにはならなかった。彼らから離れてしまうのは、自分が一人ぼっちになってしまうことを意味していたからだ。
自分の居場所がないと思うのがいいのか、一人ぼっちになってしまうのがいいのか、瀬里奈は悩んだ。どちらがいいのかというよりも、
「どちらが自分にとってマシなことなのか」
という選択肢しかないことに違和感も感じていたのだ。
その違和感は加算法ではなく、やはり減算法であることも、瀬里奈をやり切れない気持ちにさせる一つの大きな要因であった。
そんなことを感じる相手と一緒にいても楽しいはずもなく、募ってくる思いは、
「寂しさ」
であった。
――寂しさから逃れるために、やり切れない気持ちを選んだはずなのに、どうして寂しい気持ちになるんだろう?
と瀬里奈は感じた。
よく考えてみると、それは寂しさから来るものではなくて、不安が募ってくることから来る、
「寂しさに似た感覚」
であった。
不安が募ってくると、毎日次第に人と一緒にいても寂しさを感じるものだということに気付いたようで、
「お腹が空いたな:
と感じるようになっていた。
漠然とした感覚だったが、お腹が空いたという感覚は、その時だけ不安な気持ちを和らげてくれるような気がした。
それは、
「夕方になるとお腹は空くもので、夕凪であろうと、友達とのやるせない時間であろうと、同じことだ」
と考えたからだ。
そんな時、夕方の一定の時間に、町内に響く音楽があった。夕方の時間になると、公民館が流す音楽のようだが、「夕焼け小焼け」の音楽がよく流れていたのを思い出した。今でもその音楽を聴くと、
「お腹が空いた」
という感覚になる。
その時に同時に、その音楽がいろいろなところから流れてきていて、しかも時間差があることに気付いていたのだが、きっと別々の公民館から流していて時間差があるのも、わざとではないかと思っていた。その時から、
「全体に響き渡るような音は、どこから聞こえてくるのか分からない」
と思うようになっていた。
そのせいもあってか、電子音がどこから聞こえてくるのか分からないと感じるようになってから、夕方の一定の時間に、まるで耳鳴りのように電子音が響いてくるのが感じられた。
不安が募る感覚がよみがえってくる。恐怖に襲われる時間だ。それを振り払うにはどうすればいいか? それを思った時、瀬里奈は急に死にたくなる気分になる自分を感じたのだった。
この感覚は、見ることのできなかった先の夢を見たいと思う感覚、そして自分が人の顔を覚えられないということに無意識ながら悩んでいるということ、そしてさらには両親への思いなど、いろいろ入り混じって、自分が何を考えているのかを思い知らされているような気がした。
今日も電子音の音が聞こえてきては途切れたような気がした。瀬里奈は死にたいと思うことだろう。
鏡に写った自分を今日も見ていた。いつものように左右対称で上下はそのまま、しかし、最近特に気になっていた鏡に写った自分を感じていた。
その思いは、
「この人、誰なんだろう?」
鏡に写った自分が分からない。
それは、色がついていないモノクロなのに、鏡に写った自分の顔面から真っ赤な色の液体が流れ落ちていたからだった……。
( 完 )
94