『封魔の城塞アルデガン』第3部:燃え上がる大地(後半)
第10章:アルデガン その2
アラードたち三人はラーダ寺院へと駆けた。だが走るのが遅いグロスは遅れ、アラードとリアが尖塔に跳び込み螺旋階段を一気に駆け上がった。
リアが先に宝玉の間に着いた。しかし彼女は部屋に一歩入ったところで立ち竦んだ。アラードは危うくぶつかりそうになりつつも、なんとか脇をすりぬけ中に踏み込んだ。
部屋の中はめちゃめちゃだった、屋根も扉も吹き飛ばされ崩れた石組みが積み上がっていた。その瓦礫に半身を埋めてゴルツが仰向けに倒れていた。宝玉の力を無理な術で解放した衝撃で体がずたずただった。床に大きな血溜まりができていた。助からないことは明らかだった。
「閣下、ゴルツ閣下!」
アラードは叫んだ。去りゆく魂に届けと、ただ声を限りに。
「アルデガンは救われました。閣下の、閣下のおかげで……」
だが、あとは言葉にならなかった。
それでも、大司教は薄く目を開いた。
「アラード、か……?」か細い声が返ってきた。
「目が、見えぬ。リアも、いるのか……?」
アラードはゴルツの手を取った。ほんのわずか、握り返すのが感じられた。
「そなたが、人の、心ゆえ、訴えている、のは、心のどこかで、感じて、おった……」
リアへの言葉だった。アラードはか細い声に耳を寄せた。
「だが、認められなんだ。かくも無残に、ラルダは、歪み堕ち、己が手で、その存在を、否定し、滅ぼす以外、なかった。魂を、浄化する、ことも、かなわず……。
その、口惜しさ、無念さが、そなたに、魂を、認める、のを、阻んだ……。アラードが、申した、とおり……」
言葉がとぎれがちになった。
「無念さに、歪みつつ、あった。ラルダと、同じ。
そなたを、解呪する、資格は、わしに、なかった……」
体が痙攣を起こした。
「そなたを、牙に、かけたは、我が、娘。しかも、わしは、神の御元へ、そなたを、還せず、苛んだ……。
いくら、詫びても、詫びきれ、ぬ……」
ゴルツの手がアラードの手から滑り落ちた。
「だが、このまま、では、そなたは、苦しむ。その、人の、魂、ゆえ……。解放、される、には、誰か、の、手で、解呪、され、ねば……」
消え失せようとする声が、最期の思いをからくも紡いだ。
「せめて……その、日が、すみやか、に、来る、こと、を……、祈らせ、たま、え……」
末期の息が吐き出され、ゴルツはこときれた。
こみ上げてくるものに耐えながら、アラードはゴルツの両手を胸の上に組ませた。すぐにグロスも来るだろう。
彼を出迎えようと立ち上がったアラードは、リアが入ってきた戸口の横の壁に手をつき背を向けて立ち尽くしているのを見た。体が震えていた。泣いているのだと思った。
戸口へ近づきながらアラードは声をかけた。「リア……」
「こないでぇーっ!!」
極限まで切迫した異様な叫びに体が凍りついたとたん、赤毛の若者は血溜りからの凄まじい血臭にむせた。なぜ今まで気づかずにいられたのか!
恐怖に目を見開いたアラードの前で、リアの体がじり、と動いた。無理やり抑えようとしつつ、なお抑えきれぬことがはっきり見て取れる動きだった。
じり、とリアがまた動いた。半身になりかけていた。そむけた顔を片手で覆い、残る片手が抗うように石壁に爪をたてた。
アラードはまったく動くことができなかった。リアがこちらを向いたら……。頭が考えることを拒否した。意識が真っ白になった。
壁にたてられた爪が突如伸び、石壁をぼろりと砕いたとたん、リアが言葉をなさぬ悲鳴をあげた。絶望に食いつかれた者の絶叫だった。
「閣下!」そのとき階下からグロスの呼び声がした。螺旋階段を足音が駆け上がってきた。
リアが振り向いた。両手で口元を抑え目を固く閉じたまま体を無理によじり床を蹴った。その身は夜空に大きく口を開けた窓の外へ跳び出すや背中から落ちていった。
入れ替わりにグロスが駆け込んできた。部屋の惨状に彼は切らせた息を呑み込んで一瞬立ち尽くしたが、ゴルツの亡骸のもとにまろび寄り膝まずくと深く頭を垂れた。
アラードは全身汗まみれだった。声も出せず、膝にも力が入らなかった。彼はよろめき、壁に背をあずけた。
そのとき窓の外で叫ぶ声が聞こえた。
「岩山が光っているぞ!」
声を聞いて顔を上げたグロスの姿が金色に輝いていた。リアが身を投げた窓から射し込む光が彼を照らしていた。グロスが窓際にやってきた。アラードもやっとのことで窓の外を見た。
洞門のある岩山の頂が金色に輝いていた。岩肌に亀裂が入り、そこから光が漏れ出ていたのだ。亀裂は見る間に岩山全体に広がり、まばゆい光の中でついに崩落が始まった。だが、土石は城壁に囲まれた広場の方ではなく、なぜかほとんどが背後へ崩れた。そしてアルデガンの外壁からあふれ出て荒野へとなだれ落ちた。もうもうたる土煙が薄れたとき、そこには洞窟から荒野へ下る土石の坂道がかかっていた。
そして崩れた岩山から、金色の光をまとったものがゆっくりと夜空へ舞い上がった。
遠目には小型の竜のような姿だった。きらめく緑と赤の蛇体に金色の輝きを放つ翼を持つそれはゆるやかに羽ばたいた。建物に燃え盛る炎が幾筋も弧を描いてその翼に吸い込まれ、金色の輝きがまばゆさを増した。さして大きくない体には釣り合わぬ途方もない力を秘めていることがひしひしと感じられた。
「炎を取り込むもの……。あれがリアのいう魔物の長か」
グロスが呆けたようにつぶやいた。
そのとき、アラードの視界の隅でなにかが動いた。
尖塔の窓からはるか下の寺院の屋根の上にリアがいた。彼女は人々のいる地面には降りず屋根の上を伝って岩山へ、金色に輝く魔物のもとへ戻ろうとしていた。
アラードは宝玉の間を跳び出し螺旋階段を駆け降りた。瞬間、人々の脳裏に強大な思念の声が響き渡った。金色の翼持つ魔物の呼びかけだった。
>人間たちよ。汝らの種族は自らを律し結界を守ることができなかった。汝らの種族はいまだこの世界を支配する資格を持たぬと知るがいい<
>結界の崩壊をもって、汝らが封じてきたものたちは再び地上に解き放たれる。同時に我が翼の庇護も終わる。汝らとこのものたちの命運は再びそれぞれの手にゆだねられる。我は二百年前に交わされた約定に従い、これを宣告する<
思念の声を聞きながら走り続けたアラードは城壁の下の砂地にたどり着いた。ゴルツが尖塔に転移したのはつい先刻だったが、もはやかけ離れた光景が眼前に広がっていた。目の前にあれほど高くそびえていた岩山はほとんど姿を消し、洞門の高さの土台だけが残されていた。岩山の頂があった高さに浮かぶ金色の翼の守護者の放つ光の中に、天に向けて開いた洞窟からあらゆる姿形をした魔物たちが続々と這い出て群をなしていた。
そして華奢な人影が一つ、その恐ろしい群に歩み寄ろうとしていた。
作品名:『封魔の城塞アルデガン』第3部:燃え上がる大地(後半) 作家名:ふしじろ もひと