短編集69(過去作品)
先輩が取引した相手がメフィストなのかどうかは分からないが、もし取引があったとすれば、私はこのことを誰にも話してはいけないことなのだ。
――ゆかりも分かっていて、敢えて言わないようにしているのかも知れないな――
と感じた。
先輩は桃源郷を求めていた。この世に桃源郷なるものが本当に存在するのであろうか。先輩が追い求める桃源郷は小説の中だけでの世界であって、実際に存在するものではない。桃源郷を想像させて、自殺を煽るのか、それとも自殺しそうな人間に桃源郷を見せることで、より自殺しやすい環境を作ってしまおうとするのか。
死神にもノルマがある。死にそうな人だけを待っていてはノルマが達成できない。死ぬ者もあれば生まれてくる者もある。人口が増えているのに、子供を増やさなければいけないという矛盾した考えも、すべては、死ぬ人が少ないからだと言わざる負えない。
ひょっとすると、死んだ人を抱え込む世界もいっぱいになっているのではないだろうか。死んだ人がすべて生まれ変われるわけではないとすれば、死の世界の中には、生まれ変われずに彷徨っている人も多いだろう。それが極楽なのか地獄なのかは分からない。もっとも、極楽に行けたのであれば、何も無理して生まれ変わる必要もないだろう。やはり、地獄の側に溢れかえっているのかも知れない。
先輩の小説の中で、地獄は労力を求められるところなので、年老いた人が行くと、頼りにならなかったりするという。事故で亡くなったり、災難に遭ったりした人の中には、地獄に落ちるべく落ちた人がいて、彼らが地獄の労働力になるのだと書かれていた。
内容としては他の人がどう思うかは別にして、私は先輩の話はリアルであった。リアル過ぎてついていけないところがあるが、確信をついているように思えてならなかった。描写の一つ一つが生々しく、読んでいて、続きの想像がつきそうであった。
私は先輩を追いかけていて、すべてに懐かしさを感じていた。それは、懐かしさの中で私が先輩の小説を思い出させる効果があるのかも知れない。そう思うと、ゆかりも香織もそれぞれで懐かしさを感じているかも知れない。先輩が結びつけた仲を、先輩曰く「桃源郷」というのではないだろうか。
もし前世が存在するのだとすれば、この世は「桃源郷」である。それは自分たちが、前世を見て感じることである。前世に生きている人から見れば、我々を「あの世」だというだろう。
――死後の世界――
いわゆる「あの世」は、前世に対しての後世ということになるのだろう。その入り口が先輩にとって永平寺であり、東尋坊なのだ。先輩はすでに「後世」の人になっていて、あの世では、香織と再会しているのだろう。
だが、あの世での先輩は本当に先輩として生まれ変わっているのだろうか?
桃源郷は誰にとっての桃源郷なのか、果てしなく広がる小宇宙、それは数限りなく存在する「世界」なのかも知れない。
いろいろ考えているうちに少しずつ分かってくるような気がしてくる。目の前に広がる世界は、いつも先輩の背中ばかり追いかけていた私が、先輩に追いかけられる世界だったのだ。
( 完 )
作品名:短編集69(過去作品) 作家名:森本晃次