群青の夏
社会科は、義秀の担当教科でもある分、特に厳しく指導されただけに、誠にとって、最も得意な教科だ。だが今日は、塾の授業が始まっても、誠はやはり集中できなかった。いつもの習慣で板書だけは怠らなかったが、授業の内容は今一つ耳に入ってこない。板書を終え、ふと窓の外に目をやると、もう陽はすっかり暮れていた。
帰宅ラッシュの時間のせいか、午後の駅前は、この時間帯がもっとも賑やかだ。スーツを着た会社帰りのビジネスマン。自転車の籠を一杯にした買い物帰りの主婦。塾帰りの小学生。高齢者は比較的少ない気がする。
五階という高さから、俯瞰気味に街の風景を見下ろしてみると、街を行き交う人々の姿はとても小さくて、地上ですれ違う時に比べ生命感を感じない。それでも彼らは確かに生きていて、一人ひとりにそれぞれの人生があり、家族や友人もいて、そして彼らにもまた、それぞれの人生がある。
人類が誕生してから、今までにいくつの人生があったのだろう。これから先、いくつの人生が始まり、終わってゆくのだろう。その時間を全て足したら、どれくらいの時間になるのだろう。そして自分の人生は、その全体の何分の一くらいになるのだろう。
地球全体と、砂浜の砂一粒くらい? いや、もっと小さいかもしれない。
それでも、自分にとってはこの人生だけが全てなのだ。この人生を、どれだけ実りあるものに出来るか、それが何より大切なのだ。そのためにも、今は強い気持ちで戦わなければならない。父のものではない、自分自身の人生の為に。
「……か、井岡」
「えっ」
早川の声に、はっとして振り返る。
「どうした井岡。上の空で外の景色なんか見て。いつも熱心に聞いてるお前が珍しいな。部活で疲れてるのか?」
「いや、大丈夫です。すいません」
「そうか。それならいいけど、具合が悪いようなら、すぐに言うんだぞ」
「あ、はい」
一応、そう答えた誠だったが、結局最後まで、授業には集中できなかった。