群青の夏
そのグラブを、初めて少年野球の練習で使った日、チームメイトの川西弘之が、誠がグラブを新調した事に気づいた。
「お前、グローブ買い換えたんだ」
「うん。塾のテストでいい点とったら買って貰うって、お父さんと約束してたんだ」
誠がそう言うと、弘之は、嘲るように言った。
「なんだよそれ、お前、親の言いなりじゃん」
「えっ?」
確かに誠は、義秀に逆らう事は殆どなかった。というより出来なかった。ほんの小さな頃は、たまに反論したこともあったが、すぐに言いくるめられてしまうし、何度も口答えをすると、義秀はすぐに怒って声を荒げるのだ。そういう事を繰り返すうちに、確かに誠は義秀に対して、言いなりと言っていいほど、従順になっていた。
だがそれまで、自分と父のそういった関係にさほど大きな疑問を持つことは無かった。子供は親の言う事をなんでも聞くのが、当たり前だと思っていたし。学校へ上がってからも、お父さんやお母さん、先生の言うことをよく聞く子が〝いい子〟であり、将来はそういう子供だけが、立派な大人になれるのだと教わってきた。どこの家でも、それは同じなのだと思っていた。
「おまえさ、そうやって親にエサで釣られて何とも思わないのかよ。超だっせぇ」
何も言い返せなかった。確かにそうかもしれない。義秀は、誠が欲しがっていたからではなく、誠の成績を上げることに利用できるかもしれないと思って、あのような条件をつけたのかもしれない。
自分は、父の手の平の上で踊らされていただけなのだろうか。
それでも、買って貰ったばかりのグラブを愛しく思う気持ちは変わらなかった。手入れを怠らず大切に扱い、今でも愛用している。
だが、あの日、誠の胸の奥を抉った弘之の言葉は、今も深く突き刺さったままだった。
「誠。随分長く入ってるみたいだけど、塾の時間大丈夫?」
母の声にはっとしてシャワーを止め、扉越しに尋ねる。
「今何時?」
「六時二十分。塾、七時からだっけ?」
「うん。もう少ししたら出る」
風呂場の鏡が、湯気で曇っていたので、それを手で擦った。曇りの取れた鏡に、自分の顔が映る。顔の泥は、すっかり落ちている。
誠は、鏡の中の自分をじっと見つめた。日に灼けにくい体質なのか、野球部員にしては色白で、二重の瞼には長い睫毛。どちらかと言えば小柄で細身な体格のせいもあってか、年齢よりも幼く見られる事がよくある。幼少の頃は、女の子に間違われる事も多かった。
自分が幼く見られたり、女の子に見られたりすると、自分が弱々しいイメージを持たれている様に思えて、あまりいい気がしなかった。自分の内面の脆弱さを痛感しているここ最近は、特にそう感じていた。