日常的侵蝕風景:02
オレはションベンをもらしながら走っていたのだ。
------------------------------------------------------
無益物の収集、
なんら利益や実益をもたらさない倒錯的行為、言動、
虚実の虚のみを肥大させた自我。
堕落。
------------------------------------------------------
母親が帰ってくる前に風呂を浴び、着ていたジャージを捨てた。
洗濯しようと思ったのだが、洗濯機をいつのまにか買い換えたらしく、
使い方がさっぱりわからないのだ。
仕方がないので服を丸ごとごみ袋に詰めて、捨てることにした。
警察が来るか?ションベンの後を追って?
誰ともすれ違わなかったが、どっかから見られなかったと断言できるか?
騒ぎは一段上から眺めるのが常道。当事者なんか死んでもゴメンだ。
だが、もし警察なり何なりがオレをたどってきたら?
オレが逃がしたんでも殺したんでもないが、関わりあったのは事実だ。
どう説明したって誰もこんなバカな事実を信じてくれるわけがない。
…くそ。くそ。
なんでオレがこんなこと。
自分の部屋で掲示板を眺めながら、震えそうになる全身を抑えつける。
犯人が変死ということで、同一内容のスレがわらわらと立っている。
どれもこれも推測の域を出ない噂ばかりで、オレの見た事実と合わせて
納得の行くカキコはどれひとつとしてない。
近所らしいやつからのカキコもあったが、どうやらオレのことは
誰にも目撃されていないらしい。
ガキがどん詰まりに着いてから、オレが追い着くまではそう、
長くても数分ぐらいだろう。
その間に一体何があった?
誰があいつを殺した?
なくなった頭部はまだ見つかっていない。それだってどこに行った?
あの駐車場は三方を工場や家に囲まれたどんづまりだ。
だがオレは誰とも会わなかった。
影?……そう、あの影はなんなんだ?
影がお化けみたいに伸びたり縮んだりするのはありうる。
だが、あの影の形だと、どう考えても「元から頭部がない」。
ガキの死体を見たせいか、普段なら気のせいですむようなことが気になる。
それにこの本だ。
古いしタイトルは箔が落ちかかってよく読めないが、
「Reve… OF G…」なんとからしい。ぼろぼろの洋書だ。
あのガキが落としたんだとしたら証拠品ということになるだろうが、
持ってきてしまったものは仕方ない。
ページがはずれそうになるのを苦労してぱらぱらとめくってはみたものの、
やっぱりオレには理解不能だ。
所々に英語でないような単語があるのと(固有名詞か?)、邪悪だ復活だ
心だなんだという単語が頻繁に出てくるところを見ると、
宗教書かファンタジー小説のたぐいなのかもしれない。
オレは読むのをあきらめて、掲示板のカキコに没頭することにした。
クソスレを煽り、他人の揚げ足を取り、時には荒らしや厨房をつっつく。
どうしたことか、今日に限って面白いように「釣れる」。
即レスを返してくるやつも多いし、
あっさり自論をひっこめて謝罪するやつまで。
いつものように、いや、いつも以上に、キーボードを叩く手が止まらない。
だがそれでも、俺だけが知っている「あの」事実をうっかり書き込むような
マネはしなかった。
……いや、できなかった。
『eYGRRoNUUg!!!』
あの悲鳴。
普段テレビやネットで見聞きするのとは絶対違う、
奇妙に人間の生死とは遠い、機械が発したような音。
一瞬足を止めたときに聞いただけだし、もちろん人間の殺される悲鳴が
リアルでどんなものかなんて聞いたことはない。
だけど。
だけど、あんな「音」、人間の声帯から出るものなのか?
恐怖とイラつきとが交互に襲ってくる。
俺の見た事実。
警察に捕まるかもしれない。
殺人犯が追ってくるかも。
ネットでいつ自分が晒し上げられるか。
そうなったらオレはどうなる?
「くそっ!!!」
ムカつく。とにかくムカつく。
どこかへ逃げたい。
でもどこへ?逃げたら怪しまれる、追われる……殺される!
苛立ちまぎれにそばにあった雑誌を壁に投げつける。
なにもかもがイライラする。
なにもないのが不気味すぎる。
部屋中のものをひっくり返し、壁を殴りつけ、どんどんと床を踏み鳴らす。
『eYGRRoNUUg!!!』
あの悲鳴…あの音。
無理して消そうと音楽をフルボリュームでかけてみたが、
脳のどこかにがっちりと引っかかってしまったような感じで消えない。
歌手のシャウトが、
ラジオのトークの笑い声が、
外から聞こえてくる車のエンジン音が、
すべてあの悲鳴に「どことなく似て」、俺の神経をかきむしる。
むしろオレの中で、音はもともと認識できる世界の一端として
自然にオレの世界に存在する、そんな気にさえなってきた。
真っ暗になった部屋の中で、オレはまったくわけのわからない苛立ちに
さいなまれるまま、部屋の中で暴れまくった。
「どうしたの?ねえ、どうしたのよ!」
俺が暴れる音に交じって、ドアを激しく叩く音が遠く聞こえてくる。
母親がパートから帰ってきやがったようだ。
「おい、いい加減にしろ!開けるぞ!!」
親父の声がして、ドアノブががちゃりと回される。鍵を開けやがったな。
「なにをやってるんだ!お前は!」
いつも以上の部屋の惨状を目の当たりにして、親父がオレを殴りつけた。
残業残業でめったに家になんか帰ってこないくせに、
父親らしい真似だけでもしたいってのか?
なんにも知らないくせに
ム カ つ く ん だ よ 。
手を伸ばすと、大きなガラスの灰皿があった。
オレはなんの躊躇もなく、それで親父の顔を殴りつけた。
「がっ」
「きゃあああ!!」
オレは倒れこむ親父に馬乗りになり、何度も何度もその顔面を殴る。
何度も何度も何度も何度も、
親父の顔面から血が吹き出して
親父がなんにもいわなくなるまで
動かなくなるまで。
気がつくと、オレの手はずいぶんと真っ赤だった。
そばでは母親が腰を抜かしたままくしゃくしゃの顔をしている。
そうだよな。
オレの思うようには何もしちゃくれない役立たずだしな。
いまここで通報されたりしたら、絶対夕方のこともバレるだろうし。
いいよな、別に。
オレはトレーナーの裾でぬるぬるする手と灰皿をぬぐい、
母親の脳天に向かって灰皿を
力いっぱい
振り落とした。
………どれぐらい経っただろうか。
二人は部屋の入口に倒れている。
オレはベッドに腰掛けていた。
部屋の蛍光灯も壊してしまったので、部屋の中は真っ暗なままだ。
なにをしたとかかにをしたとかに対する感情は何もなかった。
ただ、不思議とすっきりした。気分がよかった。
こそ、とオレの指に何かが触れた。
ぼんやりと拾い上げると、乾いた本のページが数枚。
どこかの本から外れてしまったらしく、端には綴じた跡が茶色く残っている。
『……には、Y'GOLONACがいる。ぼろをまとった目のない闇の怪物が
Y'GOLONACに仕えている。
もう長い間、Y'GOLONACは壁の向こうで眠っている。
レンガを乗り越えてそこに入り、眠るY'GOLONACの体の上を
作品名:日常的侵蝕風景:02 作家名:SAGARA