日常的侵蝕風景:02
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世界は想いに満ちている。
ヒト
の意志と、
そうでないもの
の悪意で。
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ぼんやりと目を覚ます。
時計は午後3時過ぎを指していた。
据えた臭いのする寝場所からどうにか起き上がり、オレはつけっぱなしのPCに目をやった。
昨夜カキコした煽りと投下した「燃料」が、どのぐらいのレスの伸びになってるのかを見るのが楽しみだ。
F5。
『>>256
犯人ktkr!!!!1!!』
『>>256
ょぅι"ょかわいいよょぅι"ょハァハァ』
『>>256
カンキンゴカーンギガウラヤマシス』
『>>256
神』
『>>256
通報しますた』
………
………
『このスレッドは1000を超えました…』
世間を騒がせてる少女連続監禁暴行事件の犯人と、その被害者の写真。
犯人はまだ中学にあがったばかり、被害者は全員小学校にも行っていない。
事件現場が自分の住所と同じ市内だったこともあり、オレは俄然張り切った。
3時間ほどかけて探した写真をアップしてやっただけで、俺のカキコ後1時間も経たないうちに新スレッドが2つほど立っていた。
どうやらかなりの特定ができたらしく、犯人の家や学校の写真が次々とアップされている。
もういいや、満足だ。
急速に興味の失せたスレッドを離れ、掲示板の巡回をはじめる。
火をつけられそうな話題はないか、煽れる厨房や電波はいないか、
よその板から人を持ってこれるようなネタはないか------
自分のカキコが何百何千という人間の感情を駆り立てて、
罵り合わせたり過激な行動をさせたり。
誰もが「自分は正しい」と思っての行動だから、下手に注意したりすればますますヒートアップする。
オレはこの部屋から出る必要なんかない。
犯罪予告まがいの目をつけられるようなカキコさえしなければいい。
煽りたいだけ煽って、やばくなったらすぐ降りる。
…ノーリスク、とまでは行かないが、気をつけてさえいればローリスクで他人のケンカを眺めて、油を注いで、時には注目されて…
興奮するじゃないか。
コンコン、とドアがノックされた。
母親だろう。
「んだよババア、邪魔すんじゃねえよ!」
「…ちゃん、あの…ごはん…」
「うるせえな!おいときゃ勝手に食うだろうがボケ!部屋まで上がってくんな!」
手近にあったジュースのペットボトルをドアに投げつける。
中身の詰まったそれはドアに当たって、鈍い音を狭い家中に響かせた。
ひ、と小さな悲鳴のような音がドアの向こうから聞こえた。
「ごめんね、それじゃお母さんパート行ってくるから……」
いつもこうだ。
黙ってメシでもなんでも支度して置いておけば、オレは勝手にやる。
もう3年も毎日だってのに、いちいち声なんかかけやがって。
学習しねえババアだ。
せっかくの気分を台無しにされて、オレは飯を食おうとリビングに降りた。
メシ、焼魚、野菜、それと味噌汁。
野菜は食いたくないっつってるだろう。本当にバカか。
なにかネタはないかと、ぼんやり飯を食いながらテレビをつける。
『…の犯人である少年が護送中に逃走し、現在警察が行方を追っています』
おっ、あの中学生が逃げた?
びりびりっと興奮が背筋に走った。
オレはテレビのボリュームを上げ、しばしニュースに見入った。
『少年は自宅からパトカーでF警察署に移送される予定でしたが、
途中で突然発作のような症状を起こし、パトカーを停止させたところ、
警察官を殴り、パトカーを飛び出し、そのまま行方がわからなくなったとのことです。
現在警察では周囲に………』
F警察署。
家の近くじゃないか。
そういえばなんだかやたらにパトカーの音が耳につく。
(こいつはまたいいスレが立てられそうかな?)
そう思ったときだった。
がさ、と窓のすぐ外で何かが動く音、つづいてカーテンにうつる影。
リビングの外は狭い庭で、もちろん玄関の門扉をくぐってくるか、
塀を乗り越えるかしなきゃ入ってはこられない。
母親なら玄関から入ってくるはずだし、親父はまだ会社。となると…
オレは恐怖心と興奮の混ざったような気分で、そばにあった
親父のゴルフクラブを手にとった。
影は庭木のそばにうずくまったまま動かない。
オレは意を決して、サッシを思い切り開けた。
「誰だ!」
「ひい、いっっ!!」
……ガキだ。
ひどくおびえた表情で、ぐずぐずに泣きはらした顔でオレを見ている。
いや、こいつは…俺はこいつを知らないが、顔は知っているぞ。
「おい、おまえJ中のH.Y---だろ?幼女監禁の」
手錠をかけられたままのガキはびくっと身を震わせた。
「イ…」
何か言いたいことがあるのか、とゴルフクラブを持ち直したとたん、
ガキはオレに向かってどんと体ごとぶつかってきた。
「ぐあっ」
オレはバランスを崩して、縁側から庭に転げ落ちる。
その間に、ガキは狂ったように声を上げて庭から走っていってしまった。
「あっ、待ちやがれ!」
オレはどうにか起き上がり、ゴルフクラブを放り出して後を追う。
見失いそうになりながら路地の角をいくつか曲がる。
オレの体力もないほうだが、ガキもなんだか頼りない走り方だ。
…よし。この先には駐車場があって、そこで行き止まり………
eYGRRoNUUg!!!
………オレの足が一気に止まった。
いまのはなんだ?悲鳴なのか?
それ以前に、人間の出した声なのか?
あたりはすでに薄暗くなってきている。
駐車場まであとすぐなのに、
なぜか足が言うことを聞かない。
動かない。
くそっ。
畜生っ。
がくがくと震える足を何歩か踏み出して、
オレはどうにか頭だけを曲がり角からのぞかせた。
薄闇の駐車場に、ガキが倒れていた。
その光景を見たときの違和感が、最初は何かわからなかった。
あまりよくない目を一生懸命凝らしてその違和感を確かめようとした。
たっぷり3秒。
ガキは血だまりの中に倒れていて、
洋服と手錠とが引きちぎれて散乱していて、
さらに
ガキの首から上が
ねえ
と気が付いて、
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」
悲鳴をあげそうになった唇をきつく噛み、両手で口をふさいだそのとき、
視界の片隅を影がよぎった。
夕焼けを過ぎて頼りない太陽が伸ばした影は、
首から上のない人間みたいなかたちをして
ゆら…
と
一瞬ふらつくように揺らめいて
………消えた。
後ずさったオレのかかとに、なにかがこつんと触れた。
その場には似つかわしくない、一冊の本だった。
厚みはそうでもないが、図書館の奥のほうなんかに並んでるような古い古い本だ。
こんなものがなんで?と思う間もなく、パトカーのサイレンが聞こえ始める。
オレは思わず本を拾い上げ、もときた道を全速力で引き返していた。
だいぶしばらくたって、駐車場のほうからパトカーの音が聞こえてきた。
幸い誰ともすれ違わなかったが、見られていたら大変なことになっていた。
殺人現場から逃げ出したどうこう、ではない。
作品名:日常的侵蝕風景:02 作家名:SAGARA