『封魔の城塞アルデガン』第2部:洞窟の戦い 後半
第10章:執務室
アルデガンに戻ったゴルツは指導者たちを招集し、アルデガンを襲った吸血鬼が滅んだこと、だが転化を遂げてしまったリアが洞窟の奥へと姿を消したことを報告した。アラードも集会に同席していたが、特に発言を求められることはなかった。
「まだあれの犠牲者はおらぬ。こちらから居場所を探知することもできぬ。いまは捨て置くよりすべはない。
だが、いずれ渇きにかられ戻ってくるはず。そのときはなんとしても水際で滅ぼさねばならぬ。侵入を許せばアルデガンは破滅じゃ!」
ゴルツは吸血鬼の脅威が消えていないことに重点を置いて報告し、アルデガンに侵入した吸血鬼の正体やリアの転化のいきさつについては巧みに説明を避けていた。そのため指導者たちからもそれらに対する質問は出なかった。
アラードは内心ほっとして指導者たちの顔を見渡した。すると一つの視線が自分に向けられているのに気づいた。
ゴルツを補佐する司教グロスだった。彼は話を続けるゴルツにときおり目を向けながらも、アラードに探るような視線を投げかけていた。
グロス! 突然アラードは気づいた。二十年前ラルダが襲われたときに一人逃げかえった魔術士は彼だったのでは?
集会が散会するとアラードの予想どおり、グロスは彼に自分の執務室へくるよう小声で命じた。
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グロスの執務室はゴルツの部屋と同じ階にある、飾りけのないきちんと整頓された部屋だった。頑丈な扉を閉めると部屋の中は仕事に集中するのにふさわしい静寂に包まれた。
グロスは自分の椅子に腰をかけるとアラードにも向いの椅子に座るよう告げた。
アラードはグロスと間近に向き合うのは初めてだった。短躯で小太りのグロスはそろそろ髪に白いものが混じり始めていた。実直な実務家肌の人物との評判で、呪文はかなり身につけているといわれていたが、ゴルツが持つような高位の術者に特有の威圧をアラードはなぜかグロスに感じなかった。
「アラード、洞窟での出来事を閣下は伏せておられるであろう。そなた、口止めされておるのか?」
「口止めされているわけではありませんが……。でも、なぜ私に尋ねるのです? あなたなら閣下に直接尋ねることもできるはずでは?」
グロスは答えなかった。だが、その表情に走った微かな動揺をアラードは見逃さなかった。
「閣下に遠慮なさっているのですか? 心当たりがおありなのでは?」
「尋ねているのは私だ。そなたは答えてくれればよい!」
グロスが声を荒げた。
「アルデガンを襲った吸血鬼は何者だったのだ?」
アラードはグロスの目をまっすぐ見つめた。
「お聞きになる覚悟はおありですか?」
「長身の……髭のある、恐ろしい男か?」
グロスの声がかすれた。
「たしかにそいつも洞窟にいました。顔は焼けただれていて定かではありませんでしたが」
アラードは答えながら、相手の恐れている答えがそれではないことに気づいていた。
「でも、アルデガンに侵入したのはそいつではありません」
「では、まさか……」
あえぐグロスに、アラードは告げた。
「ラルダと名乗る女でした。閣下の娘だといっていました」
「ああ、ラルダ……。では、やはり閣下は愛娘を手にかけられたのか!」
グロスは呻いた。
「だがなぜだ。あれから二十年もたつのに……」
アラードは火口でのできごとをグロスに語り始めた。
「私が……、私が逃げ出したばかりに、あのラルダが……」
話が終わると、グロスは両手で顔を覆った。
「私がラルダを、閣下をも、それほどまでに苦しめてしまったというのか……っ」
「あなたが逃げなかったとしても、あんな吸血鬼が相手では同じだったのではないですか?」
あまりのグロスの悲嘆ぶりに、アラードはそう声をかけた。
「閣下もそうおっしゃった。行く手をふさがれてしまったのでは同じだったろうと。ローラムたちが突破して逃げのびようとしたところで、結果はなに一つ変わらなかっただろうと。
無様に逃げ帰った私に、閣下はそなただけでも戻れてよかったとまでおっしゃってくださった! 内心どれほど無念であられたろうに……」
グロスは涙を流していた。
「あのとき私は、これからただ閣下のために尽くそうと思った。身も心も捧げようと……。だからこそ司教としての長い修行も始めたのだ。
だが間に合わなかった。私が解呪の技さえ身につけておれば、閣下が自らラルダを滅するなどということには……」
「なぜ私はかくも無力なのだ!」
アラードはグロスになんと言えばいいのかわからなかった。
「洞窟から戻られた閣下のご様子は変だった。閣下がただ吸血鬼を滅ぼされただけなら御心がゆらぐようなことはないはず。だが長くお側に仕えた私には、どこかが違って感じられた。まさか、と思った。だが閣下にお訊きすることなどできぬ。だからそなたに尋ねたのだ。だが、ここまで無残なことであったとは……」
グロスは顔を上げてアラードを見た。
「閣下の御心は危うい。おそらく禁呪の呪いも影を落としているはず」
「禁呪の呪い……? どういうことですか?」
「そうか、そなたは戦士だったな。知らぬのも無理はない」
自分をなんとか落ち着かせようとしながらグロスが応えた。
「解呪の技はもともと異教徒の呪殺の邪法をもとに作られたものなのだ」
「異教徒の、呪殺の邪法……」
なんとも禍々しい言い方に、思わずアラードは繰り返した。
そんなアラードに、グロスは解呪の技の由来について語り始めた。
はるかな昔から、破邪の神格ラーダに仕える僧侶たちは魔物を討つ方法を探求してきた。とりわけ吸血鬼を滅する方法の探求は困難を極めた。そしてある時、ついに一つの方法が遠い異郷から持ち帰られた。
だがそれは恐ろしい方法だった。そもそも吸血鬼を滅ぼすため編み出されたものでさえなかった。
相手の存在を否定する意思の力で肉体はおろか魂の水準においてさえ相手がこの世に存在することを禁じるという、あまりにも邪悪な呪殺の技だったのだ。一族を皆殺しにされ自らも目をくりぬかれた一人の男が、仇敵を憎むあまりその後の生涯を費やして魔道を追及した果てに編み出したのが由来だったという。
そもそも自らの教義とまったく相容れぬ邪悪な呪殺の技。しかしそれが肉体よりむしろ魂の水準において相手の存在を禁じるという原理をもつゆえに、いわば不滅の魂に肉体が呪縛された存在たる吸血鬼にこれほど有効な方法は他に見つからなかった。
そこでラーダ教団は、長い年月をかけてこの邪法を自らの教義と目的に即したものに作り変えた。対象を吸血鬼に限定し、教義に反する術式の中には宗教的な禁忌を組み込んで歯止めをかけて禁忌を侵さない場合しか術が先に進めぬようにした上で、浄化と鎮魂の祈りを織り込んだのだ。
こうして完成された解呪の技は、ラーダの教えを修めた高僧にしか扱えず、術を唱える者の心を試しながら先に進む極めて困難な術式となった……。
作品名:『封魔の城塞アルデガン』第2部:洞窟の戦い 後半 作家名:ふしじろ もひと