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タクシーにまつわる4+1つの短編

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4:最後の仕事



 枯れ葉の舞う、秋の夜だった。

 その日深夜まで残業をしていた私は、終電に揺られ家路についていた。
「間もなくぅ、久坂ぁ~久坂ぁ~。お出口右側でぇす」
さあ、緊張の時間だ。私は席を立って、車内を歩み始める。目指すは3両目、その手前のドアの右側。そこが最も、階段に近い箇所なのだ。

 電車がプラットフォームに着き、ドアが開く。途端、私は猛然とダッシュした。日頃の運動不足をものともせず階段を駆け上り、改札口を抜けようとする。だがそこで一瞬、定期のタッチが遅れてしまった。
「間に合うか?」
慌ててタッチし直し改札を抜けると、最終バスの扉は締まりかけていた。
「おーい。待ってくれー」
息が上がる中、大声で叫ぶ。だが無情にもバスはその動きを止めず、深夜の住宅街へと姿を消してしまった。

「……はぁ」
私は肩で息をつき、バスの後ろ姿を見送る。家までは、徒歩で一時間近くかかる。週末なら運動がてら歩くのも構わないが、今日は平日だし明日も早い。痛い出費だが、タクシーを使うしかない。遅くまで残業して、必死に走って、その揚げ句タクシー代かぁ。踏んだり蹴ったりの上、さらに殴られたような不運が重なって、私はとぼとぼとタクシー乗り場に移動したのだった。

「お願いしまーす」
タクシーに乗り込んだ私は、家までの道を運転手さんに伝え息を吐く。
「バス、乗り過ごしちゃったんですか」
運転手さんもおおよそ見当がついているのか、気の毒そうに聞いてくる。
「ええ、参っちゃいました」
「そうでしたか……」
そこで運転手さんは、なぜか言葉を切った。とても人の良さそうな、老年だが清潔感のある運転手さんだ。
赤信号で止まった瞬間、運転手さんは再度口を開いた。
「……実はですね。私、今日で定年退職するんです。そろそろ日付も変わるんで、あなたが最後のお客さんですね」
「そうだったんですか」
「お客さん降ろしてから事務所戻って、少し作業して終わりです」
「それは、お疲れさまでした」
「でも、どうしても最後にもう一仕事したかったんです。ですので、こう言っちゃなんですけどお客さんがバス乗り過ごしてくれて、良かった」
「あはは。そうだったんですね」
「すいません。こういう言い方は失礼ですね」
「いえ、大丈夫ですよ」

それから、運転手さんといろんな話をした。

「このお仕事、何年ほどされていたんですか」
「えーと、かれこれ20年近くですね。会社を辞めたのが47だから、18年です」
「へえ。私同じ仕事18年も続いたことないですよ。飽き性なんですかね」
「いやいや。もうこれしかできることが、なくなっちゃったんですよ」

「それだけ長くやってると、大変なこともあったんじゃないですか」
「あー、一番青ざめたのですね。この近くに『朝井』って場所あるでしょ。で、その『朝井』って地名が実は隣の県にもあるんですよね。駆け出しの頃、それ間違えてそっち行っちゃって」
「あちゃ~、それ大変でしたね」
「ええ、もう本当に真っ青になって。平謝りで謝り倒して許してもらいましたね」

「あと、お客さんがちょっと、あの、性的な行為を始めちゃったこともありましたね」
「あららら」
「こっちもそれとなくお客さんに止めてもらおうとするんですけど、止める気一切ないんですよ。多分見られてるのがいいんでしょうね。こっちは仕事中ですし、いい迷惑でした」
「うらやましいなって少し思いましたけど、やっぱり迷惑ですか」
「いや、男性だったんですよ」
「あー」

「一度だけ、無賃乗車されたこともありました」
「やっぱり、あるんですね」
「ええ。目的地について、「家にお金あるから取ってくる」ってそのまま戻ってこないんです。こっちはいつまでたっても来ないから、その家の呼び鈴押すでしょ。そしたらそんな人いないって。どうも庭を抜けて逃げ出しちゃうみたいなんです」
「巧妙ですね」
「ええ、さすがにもう泣き寝入りするしかなくて。私は一度だけですけど、何度も遭った知り合いもいますねぇ」
「なるほど。あ、私ちゃんとこの場で現金払いするんで大丈夫ですよ」
「あはははは。よかったです」

「反対にやってて良かったなあってこと、ありました?」
「そうですねえ。やはり接客業なんで、お客さんに喜んでもらえたときが一番嬉しいですよねえ」
「そうですか」
「一度、産気づいた女性を乗せたことがありましてね。何日かして事務所に元気な男の子が無事生まれた報告と、感謝の連絡をもらったことがありました」
「あぁ、それうれしいですね」
「なので、やっぱりお客さんとふれあって感謝してもらえる。運転手人生、いろいろありましたけど、それが一番運転手冥利に尽きるかなぁと」
「そうですか……」


 家に着いてほしくないと思ったのは、このときが初めてだった。だが、タクシーは無情にも進んでいく。家への距離に比例するように、私達は無言になる。この一期一会の邂逅を、じっくり噛みしめるように。
「お待たせしました。1870円です」
私は2000円をトレーに置き、運転手さんに一声かける。
「本当に、お疲れさまでした」
「どうも、ありがとうございます」
運転手さんは、礼とともにお釣りを渡す。私が降りるとタクシーは前進し、その姿は見えなくなった。

 ふと見ると、乗り過ごしたバスがようやくバス停に着くのが遠目に見えた。停留所に止まりながら進んでいるのだから、タクシーのほうが早くなるのも当然か。タクシーに乗る前は、踏んだり蹴ったり殴られたりだと思っていた。だが、すばらしい出会いがあった。すばらしい話が聞けた。そして少し早く帰れた。十分ラッキーだったじゃないか。
「あの運転手さんじゃないけども、人生、いろいろあるもんだな」

 私は一人でそうこぼして、玄関の扉をくぐったのだった。