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タクシーにまつわる4+1つの短編

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3:ファンシー



 その日の私は、数日後に行うプレゼンのことで頭がいっぱいだった。

 そのプレゼンは社内で行うとはいえ、うちの会社の全社員が聴きに来る。あまりふざけた内容ではまずいし、できることなら理論的かつウイットに富んだものに仕上げたい。そういう思いで、私はプレゼンの資料を作っていた。
 だが、一向に筆が進まない。単に私の能力が足りないのか、最初からレベルの高いものを作ろうとしているからなのか。どうすれば良いかつらつら考えているうちに、提出期限まで残り数日となってしまった。その日までには原稿ができていないと、資料として配布する準備などが滞るし、何よりプレゼンの練習をする時間が少なくなる。もともとあがり症の私は、資料を作るとき以上に本番のほうが大変なのだ。だから、本番でのその緊張を少なくするためにも、練習をみっちりしておきたい。そのためには、可能な限り早く資料を完成させておきたいのだ。

 私は暗い気持ちになりながら、この日も終電で自宅へと帰っていた。つり革をつかみつつも、考えることはプレゼンのことばかり。だがその途端、奇妙な現象に出くわす。普段は停まるはずの最寄り駅が、ものすごい勢いで通り過ぎていくのだ。
(え、え、え?)
私は思わず考えることを止め、必死に窓から消えていく駅を目で追う。そして、今何が起こっているのかを把握しようとした。
(……あ、これ、準急だ)
私は心の中でやっと理解する。プレゼンのことで頭がいっぱいで、電車を乗り間違えたんだ。この準急が停まる次の駅は、最寄り駅の数駅先。もう終電なので、家に帰るにはタクシーを使うしかない。計算外の痛い出費に、思わず顔をしかめざるを得なかった。

 初めて降りるその駅は、準急が止まるだけあって私の家の最寄り駅よりも大きかった。私は適当に降りた場所から近い方の出口を選び、タクシー乗り場を探す。さほど時間もかからず、見つけることができた。待っている人も二人だけだし、これなら意外に早く家につきそうだ。
(よかった……)
ホッとするとともに、三人目の待ち人となった。

 数分ほどたち、タクシーがやってきた。すっと後部の扉が開くのを確認し、私は乗り込む。その途端、車内に充満する予想外な甘い匂いにびっくりする。
「???」
頭を混乱させながら、とりあえず周囲を見回す。すると今度は、嗅覚だけでなく視覚もやられてしまう。車内のいたる所、ファンシーなピンク色のフリフリで彩られていたからだ。そして私の目の前には、助手席のヘッドレストに引っ掛けるように、かごがぶら下がっている。そのかごの中には、一粒ずつかわいく丁寧にラッピングされたキャンディが入っていた。かごには小さく「ご自由にどうぞ」と、これまたかわいい手書きPOPも貼り付けられていた。
「…………」
私は、タクシーのメルヘンチックなたたずまいに圧倒されていた。視覚に突き刺さるファンシーなピンク、ピンク、ピンク。嗅覚を刺激する、ラッピングされたこれまたファンシーなキャンディ。
「……どちらまでですかにゃ?」
すっかり面食らっていた私に、運転手さんが行き先を尋ねてくる。
(にゃ?)
私は何か引っかかるものを覚えたが、とりあえず行き先を伝えた。

 車が動き出す中で、私はあらためて運転手さんを目に入れる。年の頃は五十前後、女性のドライバーだ。最近は女性の運転手さんも増えてきて、同じ女性としては安心することも多い。だがこんな車の内装では、同性だとしても安心して良いのかどうかわからない。そんな事を考えていると、運転手さんは陽気なキャラクターのように話しかけてきた。
「今日は昼間、たっくさん雨が降ったにゃ。お客さんは大丈夫だったかにゃ?」
(……やっぱり、「にゃ」って言ってる)
私はあらためて運転手さんの横顔を見つめる。こう言ってしまっては失礼だが、やっぱりおばさんだ、年齢的に無理がありすぎる。でも、彼女の顔には照れなんてものは全くなかった。むしろ、車内の世界観を統一させるべく、自身もキャラクターなりきろうという強固な意志が感じられた。
「ええ、私はずっと会社にいたので大丈夫でした。むしろ気づかなくて今知ったぐらいですよ」
「そうでしたかにゃ。それは良かったですにゃ」
それから家につくまで、私たちはたわいもない世間話をした。運転手さんは、ずっと語尾に「にゃ」をつけていたけど、会話が途切れることはまったくなかった。


 支払いを終えた私は降り際に、目の前のキャンディを一つ、もらっていくことにした。
「ありがとうございましたにゃ」
運転手さんのその言葉の後、立ち去っていく車を私はキャンディを持った手を振って見送った。


 家についた私はキャンディを傍らに置いて、プレゼンの資料を作成する。今までとは違い、ものすごい速さでするすると資料がまとまっていく。これならばすぐ、終わってしまいそうだ。恐らく、資料に少しファンシーなテイストを足してみたからだろう。
 それだけじゃない。私はタクシーに乗る前よりも、ずっと気が楽になっていた。運転手さんのキャラクターを貫徹させる意思。あの姿に心を打たれたからだ。そう、自分の意志、その意志を伝えたいと願うなら、それはきっと伝わるんだ。そう考えたらプレゼン本番への不安も、どこかへ吹き飛んでしまっていた。
「よし、今日中にちゃちゃっと資料を作って、ちゃんと練習しよ」
 私はそうつぶやいたあと、もらったキャンディを夜食として口の中に放り込み、再び作業に取り掛かった。