短編集68(過去作品)
人の話をよく聞いて、なるべく相手のことも理解してあげようと心がける。自分ばかりがという気持ちではなかなかナルシストを続けるのが難しいことは分かっている。そうでないと、相手から受け入れられることもないからだ。
ナルシズムは自己暗示である。
他の人とは違うという気持ち、違うところは人よりも突出していて、あくまでも自分の個性として、まわりにオーラを発信させたいのだ。その気持ちを強く持つことが、ナルシストとしての考えだと思っている。
まわりにナルシストだと思われても構わないと思っている。しかし、世間一般にいうナルシストとは違うんだという思いを抱かせたい。そうでないと、ただのわがままな男だと思われてしまい、受け入れられることはないだろう。
その考えは、就職するまで続いた。必死に就職活動を行い、何とか中小企業ではあるが、この就職難の時代に、出版社の営業として入社することができた。
第一志望だったので、ありがたかった。なるべく自分がナルシストであることを隠しての就職活動であったので、辛いところもあった。しかし、第一志望の会社への面接では、自分をアピールするために、ある程度の誇張もやむなくであった。そのために少しナルシストなところが表に出たかも知れない。
就職して総務部長から、ある時、
「君の個性的なところが私は気に入ったので、わが社に入社してもらったんだよ。ただ、これからは、相手に合せることも必要になってくる。君にはできると踏んだのは、君は自分の個性を出し入れ可能な性格なんじゃないかって思ったからさ。これからもその性格を大切にしていってもらいたいね」
と言われた。
人から個性的なところを言葉にして褒められたのは初めてだったので、少しあっけにとられたが、これも冥利に尽きるというものだ。やはり、この会社に入って正解だと思ったし、それだけ責任も大きいという覚悟にもなった。きっと総務部長は、私に責任と覚悟を促したいからその話をしたのだろうと思う。これからの自分の方向性が固まったと言えるだろう。
入社してから半年間は、研修期間だった。実務をほとんど教えてもらえず、研修センターでの研修だったり、先輩社員から心得の伝授だったり、あるいは、それを踏まえての自習だったりが続いた。ある意味退屈な時間であった。
研修センターでの勉強は、一週間ほど泊まり込みで行われたが、最初はとても長い時間、自分に耐えられるかと不安であったが、実際に受けてみると、あっという間に過ぎてしまったようだ。話を聞いていると、知らず知らずのうちに、自分と比較していて、話に魅せられる部分も多分にあったのだ。
研修センターでの一週間が終っても、インストラクターの先生のフォローもあったりした。それが仕事に限らず、人間としての心得を植え付けてくれるものであり、それまでのトラウマを一掃できる人もいるようだ。
佑哉もトラウマとまではいかないまでも、心の中にわだかまったものを持っている。それを少しでも解消できればいいと思っていた。どうしても心の奥に引っかかっているのは両親のことだった。
許せないわけではないが、トラウマとして残ってしまうのは辛いことだ。いかに残らないようにするかを考えている。佑哉にとって、研修期間ですべての膿を出し切ることができれば、新鮮な気持ちで社会人生活をスタートできることは分かっていた。したがって研修といえども、ずっと真剣だったのだ。
同じ研修を受けるにも、地方からやってくる人もいる。会社が同じであろうとなかろうと、集団生活の中に入れば、皆一緒だった。地方からの参加者の中には新入社員が自分一人だけということで、寂しい参加になっている人もいて、彼らの方が、ある意味真面目だったりもした。
一週間のビジネスホテル生活は、個室を与えられ、プライベートは守られた。中には仲良くなった連中が連れ立って呑みに出かけることもあったようだが、佑哉はあまりつるむのが好きではないので、一人部屋で本を読んでいることが多かった。
そんな時、一人の男性が佑哉の部屋を訪れてきた。名前を桜井といい、いつも隣の席になる人で、受講中は必死にメモを取っているので、話をしたこともなかったが、なぜか気になる相手ではあった。
話をしなくても、彼がどんなタイプの人間であるか、おぼろげに想像がつく。本当は一度ゆっくり話をしてみたい相手であった。その彼が訪ねてきてくれたのである。普段なら一人でいたいと思うはずなのに、彼とであれば話をするのも楽しかろうと思った。
「他の人たちと一緒に呑みに行かなかったんですか?」
とりあえず聞いてみた。
「いや、私はあまり酒を飲む方ではなく、団体で騒ぐ中にいるのも好きではないんですよ」
確かに、桜井は佑哉と同じものを持っているようだ。いつも隣合わせになるのも、ただの偶然ではないのかも知れない。
「私は普段から一人でいるのが本当は好きなんだけど、たまにはこうやって人と話すもいいかも知れないね」
相手に先に敬語を使われると、こちらからまた敬語で返すのは、どこかおこがましい気がする。立場関係は最初から決まってしまっているようだった。
皮肉とも取れるような佑哉の言葉を聞いても、桜井は苦笑いをしただけで、そのあとは表情を崩すことはなかった。
笑顔が似合わない人というのはいるもので、損をしているのではないかと思うのだが、そうではなく、笑顔よりも真剣な顔が似合う人もいるのだということを、桜井と出会って知ったような気がする。笑顔が似合わないというわけではないが、気持ちの方が先行してしまって、笑顔がわざとらしくなってしまうのだろう。今までに佑哉はそんな人に会ったことはなかった。真剣な顔で見られると恐怖を感じることが多く、自分の中にも父親の臆病な血が流れていることをいまさらながらに思い出さされて嫌なのだ。
部屋の中で話すことを嫌ったのは桜井だったが。表に連れ出されて佑哉もホッとしていた。どんな話になるのか分からなかったが、二人で密室で話すのは、少し気が引けた。近くにファミレスがあるのは分かっていたので、ゆっくり歩いていくことにしたのだった。
桜井の歩くスピードは思ったよりも早く、佑哉も自分では早い方だと思っていたのに、半分息が切れるくらいだった。ついていくのがやっとで、それを桜井は分かっているのか、そういう意味では気を配るタイプではないと思った。
見た目、確かにあまり気配りをする方には見えない。かといって、何でも自分がというタイプでもなさそうだ。気を遣うところは心得ているのか、必要以上な気の遣い方をする人ではない。
佑哉もあまり人に気を遣われるのは嬉しくない。部下が上司に遣う気を、そのまま使われるのが一番困る。自分が上司であればそれでもいいのだが、相手の立場相応以上の気の遣い方は、押しつけに他ならない気がした。
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次