Joint
「そうなんですかー、できるだけ離して停めても、あきませんかね」
「二枠分、頂いてますんで」
義彦がそう言ったとき、井出商店でイカ焼きを買ったばかりの西井が目に留まり、式野の注意が逸れないよう、義彦は地図を広げて言った。
「次の次の角までいったとこにも、月極ありますよ」
「砂利のとこですか。足跡とか残りませんかね」
その質問に義彦が答えかねていると、キャンターの運転席で煙草を吸っていた男が運転席から降りて、道路を渡っている最中の西井に話しかけるのが見えた。西井と一緒に店の中に入ってきた糸井は、式野に言った。
「えらい時間かかっとんな。空きないんかい」
その質問の半分が自分に向いていることに気づいた義彦は、西井の乗るマスタングのドアの長さを再度説明したが、糸井が軍手をはめた手で西井の後頭部をはたいたところで、中断した。
「お前、ドアが長いて、本気で言うてんのか?」
「そういうことなんで、二枠分頂いてます」
西井の代わりに、義彦が答えを言うと、糸井は勝手に納得がいったように、西井に言った。
「お前、窓から乗れや」
誰の返事も待たずにキャンターの運転席に戻った糸井は、キャンターを六番に停めた。式野は義彦にしきりに頭を下げながら、言った。
「すんません、強引な人で」
「まあ、西井さんがいいなら、うちは構いませんけど……。また後日でいいんで、書類だけお願いします」
義彦が言うと、西井はその返事を待っていたように、うなずいた。
「体ひねったら乗れるんで、大丈夫です。ややこしいこと言うて、すんません」
西井と式野が先を急ぐように店から出て行き、義彦は小さく息をついた。後ろで見ていた由美が、タグのついた服をハンガーに吊りながら、言った。
「西井さん、いつも慌ててはるね」
「地震で越してきた人やからな。生活持ち直すまで、大変なんやろ」
西井と、糸井と式野のいびつな三人組。井出商店で買い物をするその後姿を窓越しに眺めながら、義彦は呟いた。
「あの店は、あんまええことないな」
「テキ屋はみんな、あんなんやで」
由美はそう言って笑うと、ちょうど学校から帰ってきた明日香に言った。
「圭一は?」
明日香はいつも以上に目を輝かせると、言った。
「西井くんと一緒に帰ってる。なんか、圭一から話しかけたんやって」
「へー、圭一が」
由美が驚いて、目を丸くした。その様子にそっくりな明日香の表情を見ていると、母親が二人いるようだ。義彦が思わず笑うと、明日香が言った。
「お父さんみたいに、人見知り激しいタイプやと思ってた」
「誰がや。そんなんで商売できるかいな」
義彦が言うと、明日香は甲高い声で笑った。義彦は店の前に出て、通りに目を凝らせた。商売柄、店の近くで煙草を吸うわけにはいかない。それでも手は無意識にポケットを探っており、駐車場の方へと歩いていった義彦は、新しく停められたキャンターの隣で、西井が助手席から乗り降りする練習をしているのを見て、煙草を箱から抜き取りながら、苦笑いを浮かべた。
「あー、煙草あかんのに」
指に挟んだ煙草を見て、圭一が言った。
「おかえり。家はあっちやぞ」
義彦が言うと、圭一は笑った。
「分かってるし。車見せてもらうねん」
言われて初めて、すぐ隣に西井の息子が立っていることに気づき、義彦は慌てて煙草を手の中に隠した。
「西井……、和樹くんやったかな?」
「はい」
和樹は、子供が使える力の半分ぐらいしか使わずに生きているみたいに、もやがかかった表情でうなずいた。言葉数も少なく、圭一とは雰囲気から佇まいまで、何から何まで違う。義彦は自分が抱いた第一印象を表情に出さないよう注意を払いながら、言った。
「お父さんの白い車、かっこいいね。なんていうんやっけ?」
「マスタングです」
和樹は最小限の動作でそう答えると、圭一の方をちらりと見た。これ以上引き留めては悪いと思って、義彦が一歩隣に動いたとき、乗り降りの練習を終えた西井がキャンターの陰から出てきて、和樹に言った。
「おかえり」
和樹はそれにははっきり答えず、それでも合図を受けたように歩き始めた。圭一も後をついていき、義彦もそれとなく後ろをついていった。西井は、マスタングの周りに集った臨時のギャラリーに困惑している様子だったが、助手席のドアを開けると、体を伸ばしてエンジンをかけた。吹かさなくても十分に近所迷惑な音量で、義彦は一瞬浮かびかけたしかめ面を、どうにかして苦笑いに変えた。和樹の表情を伺ったが、あくまでマスタングは『父親の買い物』で、自分には関係がないことのように、その表情は少しだけ曇ったままだった。音に耳を澄ませていた圭一が、言った。
「なあ、なんでお父さんの車は、こんな音せんの?」
「するかいな。国産やぞ」
義彦が言うと、巻き戻し再生のように助手席から出てきた西井が言った。
「有田さん、一番枠の車でしたっけ?」
「そうですね」
白のエスティマ。その前はチェイサーだったが、大きくなってきた子供二人には後席が少し手狭で、遊ぶスペースがまったくなかったから、去年買い替えた。明日香は広い室内を気に入ったようだったが、圭一はチェイサーのほうが好きだったらしく、助手席に乗りたがる習慣は、いつの間にかなくなっていた。今まで気づかなかったが、圭一は車好きなのかもしれない。義彦は、うろ覚えの知識で言った。
「ブイ、ハチ。言うんでしたっけ?」
その発音は、車好きの耳には少し発音がおかしく聞こえるようで、西井が笑い、圭一もつられて笑った。義彦は、和樹も同じように笑いだしたことに気づき、少し体が軽くなったように感じて、言った。
「いや、あのな。おれはクリーニング屋やぞ」
圭一は笑いながら、小さくうなずいた。そして和樹に言った。
「いいな、毎日乗れるんやんな」
和樹はうなずいただけだったが、表情は笑顔のままだった。圭一は友達が多くないほうだったが、もしかしたら、このまま友人になっていくのかもしれない。義彦が二人の様子を見ながらそう思ったとき、西井がエンジンを停めた。義彦の視線に気づくと、バツが悪そうに小さく頭を下げた。
「ガソリン代も馬鹿にならんので」
夕食を囲み、明日香が好きなアイドルグループのエピソードをひとしきり話した後、一瞬空いた間に滑り込むように、圭一が言った。
「西井、あんまり運動とかしたらあかんって、医者に言われてるんやって」
「そうなん」
由美が一瞬だけ義彦の方を見て、相槌を打った。圭一は自分の言葉を再度飲み込んで理解しているようにうなずくと、続けた。
「病気とかやなくて、体が弱いだけらしい。遠足も行かんかったんやって。風邪引いてる途中に、別の風邪ひいたことあるって言うてた」
「風邪をハシゴ? そんなん分かるん?」
明日香は笑うのが不謹慎だと理解しているように、少し控えめな笑顔で言った。その答えは圭一も知るわけがなく、一瞬空いた間を今度は義彦が引き取った。
「ちゃんと食べてへんのかもしれんな」
「ごはんってこと?」
明日香が言った。圭一が少し表情を曇らせて、自分のお腹に一瞬視線を落とした。由美が言った。
「圭一は大丈夫。そんな食べる子も、中々おらんで」