Joint
誰にも、何も話していなければいいが。
― 二十五年前 夏 ―
「ほんで、刀でバッサーって、斬り殺しよったらしい」
夕日に目を細めながら所田克也が言うと、柳沢恭介が『へー』と気のない返事を返した。所田は、十五歳にしてはやや童顔で、小学生時代の面影を残している。それでも仲間内で一目置かれているのは、力がめっぽう強く、暴力をふるうのに全く躊躇しない性格によるところが大きかった。柳沢は、所田がどんな家で育ってきたかということを聞く度に、これまで生活環境の違う二人が同じ中学校の同じクラスにいて、同じ先生から授業を受けていて、しかも友達であるということが、不思議でしかたなかった。柳沢家の両親は共に医者で、飽き性な父の無駄な買い物を、整理整頓が得意な母が捨てることで、普通の家の体を保っている。何気なく住んできた家が『金持ちの豪邸』であることを意識し始めたのは、小学校四年生に上がった頃だった。
「聞いてないな」
所田が笑って、代わりに舞野英治の頭をばしんと叩いた。
「痛っ、なんで俺やねん」
「こいつ、医者の卵やろ。頭どついてアホんなったらどうすんの」
所田の言葉に納得したように俯くと、舞野は頭をさすった。所田とは小学校時代からの付き合いだったが、体格の伸び具合に差が出てくるのと同時に、その力関係にも変化が表れているということに気づいていた。第一、年々力が強くなっている。
「ごめん、刀がなんて?」
柳沢が言うと、所田は刀を構える振りをして、少しだけ腰を落とした。
「七十年代の話らしいけどな、何かの取引で揉めた奴らが、喧嘩になったんやって。仲間呼ぶかみたいな話になったときに、片方の連れが車で来て、相手を二人とも刀で殺しよったらしい。しかも、捕まらんかったんやって」
「トコロテン、そーゆー話好きやね」
篠山マリエは、このささやかな仲良しグループの紅一点で、私立の中学校に通っている。小学校時代に所田と同じクラスで、いじめから救われたことをきっかけに、仲良くなった。近づきがたい雰囲気を持つ所田のことを『トコロテン』とふざけて呼ぶのは篠山だけで、柳沢はその呼び名は敢えて使わないようにしていた。
「七十年代は、この辺もやばかったらしい」
所田がそう言ったところで、積みあがった形で袋に入れられた鯛焼きが、目の前に差し出された。
「おまちどう」
井出は、左手に持った煙草の伸びきった灰を灰皿に叩き落すと、工事中の岩場のようにがたついた歯を見せて笑った。
「夏休み入ったら、自分らどないすんの」
井出は、単刀直入な『おっさん』で、所田はその飾り気のなさを気に入っていた。対して、柳沢、舞野、篠山は反対派で、鯛焼きを買うという目的以上のことに踏み込むのを、露骨に嫌がっていた。
「来ますよ。最近、うちの生活指導、来てます?」
所田が言うと、井出は呆れたように鼻で笑った。
「来よるで。けち臭いハゲのおっさんやろ。匂いだけ嗅いで、なーんも買いよらん。君らのほうがよっぽど気前ええわ」
所田と柳沢が顔を見合わせて笑ったとき、破裂音が混じった大きなエンジン音が聞こえてきて、篠山が道に目を凝らせた。道の反対側にある駐車場の、一番奥に停まっている車。舞野曰くアメリカの車で、恐ろしく燃費が悪いという。真っ白の車体に、紺色に近い青色のストライプが入っている。ほぼ全員の注目を集めたマスタングは駐車場に入って行くと、何度か空ぶかしのような排気音を鳴らしながら、奥の枠へと吸い込まれていった。
「すごい車っすよね」
所田が言うと、井出はエンジン音がうるさくてたまらないように、両耳を塞ぐ仕草をしながら言った。
「あー、あれな。キングコブラゆうらしいぞ」
舞野は、派手な柄のTシャツを着たオーナーの男と、そのすぐ後ろを小学生の子供が歩いていくのを見ながら、子供の表情を読み取ろうとしたが、遠すぎてよく見えずに諦めた。井出の言葉をようやく飲み込んだ柳沢が言った。
「キングコブラって、車の名前ですか?」
「そうやな。俺は聞いてへんのに、何回も言うから覚えてしもたわ」
疲れ切ったように笑う井出の表情を見ながら、篠山は笑った。聞いてもいないのに話を始めるという点は、所田とよく似ている。井出に小さく頭を下げた所田が、自転車のスタンドを倒して柳沢に言った。
「塾ないんやっけ?」
「今日はない」
柳沢は自転車のスタンドを同じように足で蹴って、言った。二人が走り出すのに合わせて、篠山と舞野も各々の自転車に乗って、唯一道を覚えている所田の後ろをついて走った。柳沢と所田の後ろ姿が少し離れた辺りで、篠山が言った。
「頭、大丈夫?」
「どーゆー意味よ」
舞野が笑うと、篠山は自分が言ったばかりの言葉を頭の中で繰り返して、笑い出した。
「ごめん、そうやなくて。痛くない?」
「大丈夫。でもあれなー、どんどん力が強なってきてるから」
体格より少しだけ大きめの自転車を漕ぎながら、舞野は笑った。篠山の顔はよく見えなかったが、それでも表情が笑顔なのはどことなく分かった。
柳沢が角を曲がろうとしたとき、所田が笑った。
「もういっこ先やで」
慌てて方向を修正した柳沢は、所田に追いつきながら、どうしてすぐに道を覚えられるのだろうと、不思議に思った。冬休みにポスティングのバイトをしたと言っていたから、それで詳しくなったのかもしれないが、どこか勘のようなものが鋭くて、自分とは根本的に違うものを持っている気がした。
全員で体当たりしたら倒れそうなぐらいに、ヒビの入った雑居ビル。その前に自転車を停めると、四人は小走りで階段を上がった。鯛焼きは、六個。人数分よりも二つ多い。目的の部屋は、三〇三号室。表札には、何も書かれていない。しかし、中には常に人がいる。柳沢が三回ノックすると、扉が開いた。
田川晴子は、真っ白な歯を端から端まで見せて笑うと、四人の顔を代わる代わる見ながら言った。
「いつもありがとー」
所田は、一番上に積まれた鯛焼きを二つ手渡した。井出から初めて『配達』を頼まれたのは、数か月前のことだった。
『吉巻ゆうて、昔からの付き合いなんやけど、糖尿でよう歩かんでな。持って行ったってくれへんか。話し相手になったってくれ』
開かれたドア越しに、吉巻の熊のように大きな背中が見えた。いつだって、テレビを見ている。右足を庇ったような歩き方をしているが、トイレから出てくるときは普通に歩いていたり、その素性はよく分からなかった。所田の視線に気づいたように、吉巻がぐるりと首を回して、言った。
「おー、若者。上がってけや」
そう言われたら、断るという選択肢はない。四人は玄関に靴を並べると、吉巻を囲むように座った。四人が鯛焼を食べるのを見ながら、少しだけ姿勢を正した吉巻は言った。
「学校どないやねん。行ってんのか」
「来週から、夏休みです」
「ええのー」
吉巻は折れ曲がった煙草を抜くと、所田に差し出した。二人が吐き出す煙に篠山が顔をしかめると、隣に腰を下ろした田川が煙を払った。
「けむたいわー」
「一本が二本に増えただけやろが」