Joint
舞野が何も言わないところまで、篠山の頭の中では想像通りだった。
「わたしが帰した。もう遅いし」
「そうなん? 友達置いて帰ったんか」
「そんな言い方ないやろ」
舞野は遮るように言ってから、気づいた。柳沢は、麻薬のことを知らない。知っているのは、自分と篠山、そして圭一だけだ。所田は、吉巻に質問攻めに遭っているのだろうか。もしかしたら、真相を聞かされているのかもしれない。
財布をポケットに入れた柳沢が出ようとしたとき、舞野がその肩を掴んだ。
「ちょっと、待ってくれ」
篠山が補うように、言った。
「鯛焼きの中、見てよ」
鯛焼きを食べていたということ自体忘れていたように、柳沢は目をぱちぱちと瞬きさせて、舞野と篠山の顔を代わる代わる見た。折れ曲がったポリタンクの脇に、置物のように立てかけられた鯛焼きを拾い上げると、柳沢は言った。
「中身、何これ」
「それな、麻薬やと思う」
篠山が言うと、柳沢は白い粉を手に取って、呟くように言った。
「あいつら、これで運んどったんか……」
舞野は、柳沢の言葉が続くのを待った。状況を把握する力は、最も成績のいい柳沢が優れているはずだという、期待があった。柳沢は鯛焼きを手に持ったまま辺りを見回していたが、舞野と篠山が無意識に視線を向けないようにしていた、和樹の方を向いた。
「あいつら、絶対来る」
「え、ここに?」
篠山が言うと、柳沢はうなずいた。
「所田がどない言うても、絶対に確認しに来るって」
篠山は、所田がこの場所のことを吉巻に伝える場面を想像できなかったが、聞かれたときに誤魔化しきれるわけがないというのも、頭の中では理解していた。何せ『商品』の一つは、ここにあるのだ。
「どうしよ……」
「俺らが気づいたって思われたら、絶対にあかん」
柳沢はそう言って、鯛焼きを手に持たせた。声が震えるのを抑えるように、何度も唾を飲み込んでから続けた。
「分かった? 鯛焼きを食べてる途中に、急に苦しんで死んだ。それだけや」
同意を求めるように振り返った柳沢の顔を見て、舞野と篠山はうなずいた。柳沢は、道路側の、少し開けたところを指差して、言った。
「ちょっと、見えへんように塞ごう」
柳沢と舞野は、横倒しになった冷蔵庫を引きずり、篠山はどこをどう持って手伝ったらいいか分からないまま、二人の動線の先にある小石やテレビの残骸をどけていった。冷蔵庫を立てて、倒れたままになった自転車の残骸を起こし、立てかけたとき、何かが金属にぶつかって反響するような、大きな音が鳴った。三人は首をすくめて、篠山は音のした方向を向いた。来たときに、柳沢が足を滑らせて大きな音を鳴らした辺りだった。
「トコロテンかな」
篠山は、柳沢と一緒に入口まで小走りで駆け寄り、顔を出さないように首をすくめながら、隙間から見える外の道路に目を凝らせた。野良猫が歩いているのが見えたが、それ以外、動いているものは見当たらなかった。外に停めてある自転車。あれは中に入れなくても大丈夫だろうか。中に誰かいるということが分かってしまう。しばらくそのままの体勢で考えていたとき、タイヤの鳴く音が聞こえて、篠山は居住まいを正した。白のアリストが、さっき野良猫の歩いていた辺りで急停車し、運転席のドアが開くのを見た篠山は、柳沢に言った。
「来たわ。戻って」
柳沢の背中を押して、逃げるように入口から離れながら、篠山は少しだけ遅れて大騒ぎを始めた心臓の動きをどうにか抑えようと、胸に手を当てた。体つきですぐに分かったが、運転席から降りてきたのは吉巻だった。舞野が顔を上げて、表情から全てを察したように小さくうなずいた。
「来たか」
三人が、すぐに逃げられるように各々の学生鞄を肩から背負ったとき、柳沢が鳴らしたよりもはるかに大きい音が後ろで鳴り、篠山は首をすくめた。吉巻が廃材を力ずくでどけたということが分かった。踏まれたガラスがぱりぱりと音を立てて、三人は入口に視線を集中させた。
吉巻が汗をぬぐいながら空き地に入ってきて、その後ろには所田がいた。出て行ったときと同じで表情は硬いままだったが、その様子が大きく変わっていないということが、三人を少しだけ安心させた。吉巻は手の甲で額を拭ったが、すでに汗で濡れていたのか、気持ち悪そうに自分の手を眺めると、言った。
「ひゃー暑いな。かなわん。ここはなんや。秘密基地か?」
柳沢が、言葉を発する機能を失くしたみたいにうなずいた。舞野と篠山は、所田の後ろから現れた田川に気づき、唯一『言葉の通じる大人』が現れたように感じて、その目を見つめた。田川は言った。
「みんな、怪我はない?」
「はい」
篠山は、短い返事の語尾すら、はっきりと発音できないぐらいに震えていることに気づいた。吉巻と田川は、地面に仰向けに寝かされた和樹の傍に立つと、顔を見合わせた。吉巻が言った。
「西井んとこの子か」
田川は首を傾げながら、吉巻の目を見た。吉巻は、目を逸らせるように振り返ると、言った。
「柳沢くん。医者の息子として、どう思う?」
「急性の……、心筋障害です」
柳沢の言葉に、吉巻は助けを求めるように田川の顔を見た。田川は言った。
「心臓発作、起こしたんやと思う」
吉巻は、和樹の手に握られたままになった鯛焼きを取り上げると、警察が証拠品を扱うように、田川が持参したポリ袋に入れた。四人の方を振り返ると、いびつに動く筋肉と戦うように笑顔を作った。
「どないかしとくから、家に帰りや。あ、鯛焼き買ってきてくれるんは、これでとりあえず終わりな。井出んとこ寄るのも、終わり。今までごくろうさん」
ジーンズの尻ポケットから、尻の形に湾曲した財布を抜くと、吉巻は一万円札を取り出して、所田に手渡した。
「あの、うちらで通報から救急までやるから、みんな忘れてや。オッケー?」
四人がうなずくと、吉巻は田川の方に向き直った。
「西井になんて言うねん、これ」
「言うしかないやん。言い方は任せるけど」
しばらく間が流れた後、吉巻はまだ四人が後ろに立っていることに気づいて、振り返るのと同時に言った。
「解散! かーいさん!」
福笑いのようにいびつな目が飛び出しそうになったように見えて、四人は徒競走のピストルが鳴らされたように、出口へ駆け出した。柳沢は、来たときよりも広くなった入口から出て、自転車にすがるようにまたがった。吉巻は糖尿で足が悪いと聞いていたが、四人が動かそうなどと考えもしなかった廃材が、蹴飛ばしたようにどけられていた。所田と舞野が自転車に乗り、篠山がスタンドを倒したところで、所田が言った。
「言う通りにしよう。何があったか俺が話した時も、同じこと言うてた」
「同じことって、何?」
篠山が言った。立ち去るべきだという直感に任せて、四人はすでに自転車を漕ぎ始めていた。所田はペダルの上に何度も足を乗せ直してながら、答えた。
「救急車とか、警察とかはこっちで呼ぶからって」
「有田くんがおったことは? 話した?」
「いや、話してない。あれ、あいつどこ行った?」
所田は、今その存在を思い出したように、足を緩めた。篠山は言った。
「わたしが、先に帰した」