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ふしじろ もひと
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novelistID. 59768
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『封魔の城塞アルデガン』第1部:城塞都市の翳り

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第2章:訓練所



 激しい気合いの声が巨大な城壁にこだました。朝霧を断つ若者の一撃を大男の木刀がまっこうから受けた。
 赤毛の若者はすばやく身を引き、隙なく身構えたまま大男と相対した。細身だが鍛えられた体に闘気をみなぎらせ、鳶色の目で相手を見すえるその姿には巣立ちをむかえた鷹にも似たまっすぐな覇気が満ちていた。
 若者の気迫を正面から浴びながら、だが大男の構えには小ゆるぎもなかった。白いものがめだつ剛毛と赤銅色の巨体を覆う無数の傷跡がくぐり抜けた修羅場を窺わせているが、灰色熊のごときその姿に老いの影はなく、重く、堅く立ちはだかっていた。
「まだまだっ!」
 掛け声とともに若者がさらに数度、角度をかえて師を襲った。真剣とまがう音をたてて二つの木刀が噛み合った。
「よし」大男の口元がわずかにゆるんだ。
「腕をあげたな。アラード」
 精悍な若者の顔が少年のように輝いた。
「光栄です。ボルドフ隊長」
 ボルドフは構えを解いた。
「おまえの剣は訓練生の誰よりも速い。さらに磨くがよい。破壊力は体格とともに伸びてこよう。これからは実戦でカンをやしなうことだ」
 アラードの息がはずんだ。
「では、私を!」
「洞門番に登用する。午後からの班だ。昼食後に詰所へゆけ」
 剛剣の師は表情を引き締め、つけ加えた。
「生き延びろ、アラード」

 挨拶もそこそこにアラードは訓練所を出た。胸のたかぶりは抑えようもなかった。長く厳しい訓練をおえた誇りと自信がきたる戦いへの闘志となって満ちていた。
 だが、見おくるボルドフの顔は厳しかった。アラードの天分がいかに非凡であれ、怪物との戦いに勝ち残るためには彼にまだ備わっていない破壊力がどれほど重要かを知り抜いていたからだ。開いたままの戸口を見すえるその目には、育ちきらぬ戦士さえも消耗戦へ投入せねばならぬ現状への憤りが黒々と燃えていた。


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 澄んだ少女の声が複雑かつ精妙な韻律の言葉を、信じ難いなめらかさで紡いだ。
 華奢な色白の少女だった。淡い金髪を後頭部で束ね,簡素な胴着を着たほっそりした姿は、かよわい印象さえ与えかねないものだった。だがその呪文は石壁で囲まれた大広間の空間に作用し、大きな力を秘めた特殊な<場>をつくりだした。唱えた者の意のままに、いかようにも状態を変えうる小規模なカオスを。
 しかし、それはいかなる形も取れぬまま突如として揺らぎ、消滅した。少女の空色の瞳に落胆の影がおちた。
「集中できないようね、リア」肩を落とす少女に、いつの間にか壁際で見守っていた白い長衣の女が声をかけた。
「アザリア様!」

 アザリアと呼ばれた女は少女を招いた。上背のある身体に長衣を着こなした女の姿勢には、優美でありながら居ずまいを正させずにはおかぬ強さがあった。しかしその灰色の目の光は決して人を威圧するものではなかった。
 アザリアはリアに椅子をすすめ、自らも真向かいに腰をおろした。
「あなたには力はあるのよ、リア。四大元素に働きかけ使役するだけの魔力と技能はね。でも心がためらっているわ」
 アザリアは言葉を切って、リアを見つめた。
「できないのね、やはり。魔物たちをただ憎むことは」
 少女はこわばった顔で師を見上げた。
「魔物たちが敵なのはわかっています。父も魔物との戦いで命を落としました。でも!」
 リアは両耳を押さえ、小さく叫んだ。
「あのときの怪物の断末魔が耳を離れないんです。命への執着の魂切るような! 私が殺した……」
 アザリアはため息をついた。
「あなたの素質の中で最高なのがよりによって感応力だなんて。そんなものがなければどれほど楽でしょうに」
 彼女はリアの肩にそっと手を置いた。
「でも、あなたはアルデガンに必要なのよ。あなたほどの素質に恵まれた者の、つらくてもそれが勤めなのよ」
 アザリアのまなざしが、ふと宙に向けられた。
「誰にでも代わりができることではないわ」

 リアは知っていた。名付け親でもある師の豊かな亜麻色の髪のかげにむごい傷がかくれているのを。若いころ師は闘いのさなかに瀕死の重傷を負い、高位の呪文に必要な集中は死をもたらすと宣告された。以来アザリアは前線を退き、若い術者の育成に専念してきたのだ。
 だが、その中の少なからぬ若者たちが絶え間ない魔物との消耗戦の犠牲になっていた。戦士であれ術者であれ勝ち残る力を持つ者にしか果たすことのできない務め、それが彼らに課された過酷な義務だった。

「意志の力がすべてなのよ」師の声にリアは我に返った。
「混沌を作りだすことさえできれば、あとはあなたの意志の力でどんなことでもできるの。僧侶たちの<奇跡>だって彼らは神の御業というけれど、ゆるぎない信念に支えられた魔法ともいえるのだから。現に」
 アザリアの視線がふたたび彼方に向けられた。
「二十年前、私は一人の火術師の信じられない力を見たことがあるわ」


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 アザリアは仲間たちと焼けこげた洞窟を駆けた。火術師の進んだ道はまちがえようがなかった。そこかしこに犬のような顔のコボルトや巨躯のオーガなどがなかば炭化した骸をさらしていた。アザリアたちは煙に咳込みつつ走った。
 彼らは下層に達しようとしていた。魔物たちの死体は驚くべき数だった。ラルダが吸血鬼にさらわれたとの知らせがあの痩身の火術師から信じ難い破壊力を引き出したのだ。だがとっくに限界に達しているはずだ。しかもこのあたりには炎に耐性のある魔物もいる。
 突然前方が明るくなった。ついで地鳴りのような爆発音がとどろいた。
「あそこだ!」
 誰が叫んだかに気づくより早く、アザリアは転移の呪文を唱えきった。
 視界がひらけた瞬間アザリアの目に飛び込んだのは、消耗しつくしてくずおれる火術師と焼けただれつつもなお荒れ狂う巨人の姿だった。巨人は倒れゆく長衣の若者に焼けた大岩のごとき拳を振り上げた。呪文はもう間に合わない!
「ガラリアン!」
 アザリアは叫び身を投げ出した。苦しまぎれの、しかし巨大な一撃が二人をかすめ、虫けらのように岩壁へ吹き飛ばした。


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「私の意識が戻ったとき、ガラリアンは姿を消したあとだった。左目を失ったということだったわ」
 アザリアの目がリアに向いた。
「彼の場合は想い人が洞窟で消息を絶ったことがあれだけの力を引き出すことになった。あなたも自分が戦う意味を見つけさえすれば力を発揮できるのよ。あなた自身が生き残るためでもあり、素質の劣る者を死地から救うためでもあるのよ」

 そう語る師の顔に苦渋の色が浮かんでいるのをリアは見た。かつては非凡な魔術師であったこの女性がいかに自らの無力ゆえに救えなかった人々のことで苦しみ続けてきたか、手に取るように心に流れ込んできた。少女は思わず胸を押さえた。あたかも疼く古傷を押さえるかのごとく。
 それが感応力の発露、あのとき魔物の断末魔を感じてしまった力だった。でもそれは相手の思考を読みとるというより、感情の動きを感じ取るものだった。だから予想できなかったのだ。続く師の言葉がいかなるものかまでは。

「さきほど大司教閣下から旅に出るよう命じられたわ」
 驚いて見上げたリアを、アザリアはまっすぐ見つめていた。