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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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あの光が見えるかい

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 アキコさんの家に通う日は瞬く間に過ぎ、金星と土星が最接近する日がやってきた。

 宵の明星は今の時期、午後五時から六時頃に見える。ちょうど塾の授業の時間と重なっていたので観測の練習はできなかった。緊張するけれどぶっつけ本番だ。

 午後五時、はやる気持ちを押さえながらアキコさんの家へ向かう。今日は一生で一番大事な用事があるからどうしても塾を休ませてほしいと親に頼み込んだ。

 すると欠席ではなく振替なら許してやらないこともないと言ったので、それでお願いしますと返して家を飛び出してきた。

「おじゃまします!」

 当日は手が離せないから鍵を開けておくと言っていたので、チャイムを押してそのまま中へ入る。リビングからベランダに続く掃き出し窓は開け放たれ、アキコさんの背中が見えていた。

 ぼくとアキコさんでは裸眼の視力が違うため、屈折式の望遠鏡をぼくが、反射式の望遠鏡をアキコさんが使うことになっている。忍び足でベランダに出ると、髪をひとつにまとめメガネを外したアキコさんがいた。反射式赤道儀の接眼レンズを上からのぞき込んでいる。

 ぼくは少し頭を下げて荷物を下ろす。調整中に声をかけるとイヤな顔をされるので黙って準備に取りかかる。

 この二週間でピント調整のコツを学んだ。足下だけライトで照らした暗いベランダで天体望遠鏡にむかう。宵の明星はすでに山の峰から顔を出し、晴れた夜空に輝いている。土星は肉眼では見えないけれど、どのくらい接近するかは過去に撮影した写真と予想図で予習済みだ。

 アキコさんが作ってくれた図面で方角を何度も確認して望遠鏡を調整する。

「準備はいいか」

 アキコさんは顔を上げた。なんでかキレイだなと思ったら少し化粧をしているみたいだった。いつもは上下スウェットなのに今日は白い襟つきのシャツとベージュのニットを着ている。

「はい、バッチリです!」
「では始めよう」

 メガネをかけてぼくの後ろに回ると、そこから手を伸ばして望遠鏡をのぞき込んだ。「いいぞ」と言ってのぞくよううながす。

 アキコさんの体温を感じながら接眼レンズをのぞきこんだ。丸い視界に黄金色の金星、それからポツンと浮かんでいる小さな土星ーー

「……アキコさん、見えてます土星! ちゃんと土星です!」
「そりゃそうだろ」

 ぼくの耳元でクツクツと笑った。顔が赤くなっていることを気づかれないように、そっと距離を取ってもう一度レンズをのぞく。

 真円よりもわずかに欠けた金星の右上に確かに土星がある。「環」と呼ばれる輪っかを持った土星が、金星に寄りそっているように見える。地球より太陽に近いところで公転している金星と、遥か遠い外側で公転している土星。その二つを今ここで同じ円の中で見られることに、ぼくは興奮した。

 アキコさんありがとう、と思いながら顔を上げると、アキコさんは火のついていないタバコをくわえていた。メガネをかけて望遠鏡をのぞかず、遠い目で夜空を見上げている。

「……観測終わったんですか?」
「ああ……あとは自動撮影だ。コウキはまだ見てていいから」

 そう言って少し笑った。なぜか寂しげに見えて、ぼくはもう一度望遠鏡をのぞき込んだ。けれどもう金星と土星への興味は失せて、天体よりもアキコさんが気になった。

 そっとレンズから顔を離すと、アキコさんは折りたたみイスに腰を下ろしタバコをくわえたまま雑誌を読んでいた。塾に置いてある真っ赤な表紙の科学誌だ。

「タバコ吸っていいですよ」
「ありがと」

 目元をくしゃっとして火をつけた。嫌いだったタバコの煙が優しく夜空に流れる。アキコさんはくわえタバコをしながら雑誌をめくっていく。ぼくはそっとのぞきこむ。

「世界初の観測に成功、K大学教授の佐多……えっと」

 名前の「崇基」が読めなかった。アキコさんはふっと笑ってぼくを見上げる。

「これ、私のおじさん。育ての親みたいな人だ」
「親戚の人ですか?」
「いいや血はつながってない。ま、いろいろあるのさ」

 そう言って雑誌を閉じてしまった。写真の「佐多教授」は四十歳くらいでスマートな顔立ちをした男の人だった。天体望遠鏡に手をかけた白衣の姿が記憶に張りついて取れない。

「おじさんはどこかで天体観測をしてるんでしょうか」
「いや、死んだよ」

 何気ない返答にぼくの体は凍りついた。アキコさんは「どうしてコウキがそんな顔するんだ」と笑ってぼくの背中を叩く。遠い目をしたあと「昔の話だよ」と言ってタバコを押しつぶした。

 アキコさんはどこからか双眼鏡を取り出して前方を眺めた。

「……それでも天体が見えるんですか?」
「うん、けっこう」

 ぼくも見せて下さい、と借りた双眼鏡をのぞいたら真っ暗だった。蓋をしたままだと気づいて赤面するとアキコさんは楽しそうに笑った。

「次は何の観測をするんですか?」
「ふたご座流星群かなあ」
「ぼくも見に来てもいいですか?」
「コウキ、受験勉強は大丈夫か」

 アキコさんはまだ笑っている。痛いところをつかれたけれど、めげずに「絶対合格しますから」と意気込んだ。

 指でタバコをはさみ、優しく微笑んだ。凍えるような風がアキコさんの頬をなでたけれど、最接近している金星と土星の方角を黙って見つめるだけだった。