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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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あの光が見えるかい

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 散らかった靴脱ぎをまたいでキッチンに足を踏み入れる。女の人はポケットから小さな懐中電灯を取り出すと、足下を照らしながら部屋に入っていった。

「電気つけないんですか?」
「ああ、夜はいつも観測してるから電気をつけたことないかもな」

 いたずらっぽく笑ってまっすぐにベランダに進む。ぼくの家と違って物が少ない。リビングに小さなテーブルとイスが二脚、小さな書棚がひとつ。食べ散らかしたあとはあるがテレビもベッドもない簡素な部屋だった。

 案内されるまま大きなリュックを下ろし、ベランダに靴を持って行く。吹きつけた冷風に身を縮めながらベランダに出ると、そこに大きな天体望遠鏡がたたずんでいた。

「これが私の相棒。貰い物だけどな」

 そう言って天体望遠鏡をのぞき込んだ。白い筒に三脚がついたそれはぼくよりも背が高い。寒さに震えながらその人の挙動をじっと見つめる。

 手なれた動きで先端のレンズをはめ変え、接眼レンズをのぞきながら方角を調整している。ぼくの部屋にある家電量販店で買えるそれとは全く違う代物だ。

 この人が片目をつむって操作しているだけで、背筋がゾワゾワとする。

「あの……こっちのはなんですか」

 ベランダの奥にもう一台、天体望遠鏡らしきものがあった。けれど鏡筒は3Lのドリンクサーバーみたいに丸っこくレバーのようなものがついているし、どこからのぞけばいいのかもわからない。

「それは撮影用、反射式の望遠鏡なんだ。架台が赤道儀になってて天体を自動追尾できる」
「セキドウギ……」
「緯度0度の『赤道』に地球儀の『儀』で赤道儀。その名の通り地球の自転軸と赤道の傾きに合わせて望遠鏡をセットすることができるんだ」
「どこから見るんですか」
「接眼レンズは鏡筒の横についてる。おっと触るなよ、撮影がブレるから」

 ぼくは「赤道儀」とかいう望遠鏡からそっと離れた。女の人は何度も位置を調整しながらレンズをのぞく。

「こっちは屈折式の鏡筒、架台は経緯台のスタンダードなやつな」

 いいよ見てみな、とうながされて天体望遠鏡の前に立った。片目をつむってそっとのぞいてみる。

「うわあぁ」

 レンズいっぱいに白く輝く月が映っていた。ぼくの望遠鏡よりもはるかに鮮明に、クレーターのでこぼことした様子や暗くなった「海」、連なる「山脈」の様子がよくわかる。月は半分より少し欠けていた。

「月齢は5.5。明日は半月だな」

 大人はなんでも知ってるんだなあと感心しながら顔を上げると、その人はタブレットで月の情報を確認していた。簡易テーブルには星座盤やノートパソコンも広げられている。

「あっずるい!」
「何でだ、持てる情報を共有しながら宇宙の謎を探る。素晴らしいことじゃないか」

 悪びれる様子もなく、次々と画面を表示させて天体観測の基本を教えてくれた。寒さを忘れるくらい楽しい時間だった。



 帰るようにうながされてリュックを確認すると携帯電話にたくさん着信があった。全部お母さんからだ。見るのも面倒くさくなってリュックの中に放り込む。

「明日も来ていいですか? 絶対じゃまはしないので」
「ああ、まあ。私は構わないけど、大丈夫なのか。ほら、その」
「親にはちゃんと話します。天体観測をさせてもらうって」
「あー……私の名前は……」
「友達のお兄さんだって言っておきます。あとプロの人だっていうことも」

 プロじゃないけどな、とその人は笑った。重いリュックを背負い直し、冷えきった体をさすりながら玄関の戸口に立つ。

「ありがとうございました……えーと」

 名前を聞いてないことに気づくと、女の人は笑いながら「アキコ」と言った。

「君の名前は?」
「コウキです。光り輝くで『光輝』なんてキラキラしてて恥ずかしいんですけど」
「……いい名前だね」

 優しい響きで言うと、ぼくを押し出した。閉められた茶色いドアを見つめながら「アキコ」という名前を胸の中で繰り返した。