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小さな世界で些細な活動にハゲむ高校生たち 3

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 彼女は、五色、レコミ、杏子さん、そして俺にしか見えない。こうして遊歩道でやりとりしてる今も、俺以外には茶波ちゃんを誰一人として視認できない。現に俺は、道行く高校生や犬の散歩をしてるおじさん、買い物帰りでビニールを提げたおばさんなど、いろんな人に変な目で見られている。ここは小さな町だから人口も少なく、この程度で済む。しかし茶波ちゃんの地元である仙台や、もっと都会の東京・大阪なんかだと、俺は激ヤバなやつとして通報されているに違いない。いや、小さな町だとしても、今通報されてないことは奇跡かもしれない。なんせ俺は、他人から見れば虚空に向かって懇願《こんがん》しているヤバいやつなのだから。
 そのとき。
 一人の人が俺を見つけて、ちょうど茶波ちゃんの後ろで立ち止まった。

「あっら、マサ樹君じゃない。こんなところで叫んで、一体何してるの?」
 そのおばさんは、三智のお母さんだった。ビニール袋を両手に提げて、左手のビニール袋からはサバの頭が突き出ている。
「あ、これは、その……ええと」

 何て答えたらいいのか全然分からなくて、思わず茶波ちゃんのほうを向く。しかし、腕をパタパタさせて、口があわあわしているだけだった。

「そんなことよりマサ樹君、ごめんなさいねぇウチの娘が。今日もマサ樹君のおうち行ってたでしょう? 変なことされなかった?」

 ここで「されなかった」などと答える遠慮は必要ない。

「されました。布団に潜り込まれて、首絞められました」

 おばさんは、驚きのあまり目をまん丸くしている。袋を落としてしまい、サバが地面に転がり落ちた。

「そ、そんな大胆なプレイを⁉ ごめんなさいねホント。あの子マサ樹君が大好きなのよ。酷いことされたら遠慮なく、もっと酷いことしていいんだからね? あ、でも避妊はしてよ? まだ子供授かるには早すぎるからねぇ、お互い」

 ぱしぱしと激しく肩を叩かれる。三智に似て、容赦のない人だ。

「あらやだ、落としちゃったわ! もう、あたしったら興奮して。ひゃはははは」

 すさまじい速さでサバなどの落下物をビニール袋に入れている。

「それじゃあねマサ樹君。気を付けてね。特に、妊娠にっ」

 にこにこしながら去って行くおばさん。どことなく三智の悪い顔と重なる。

「き、きをつけまーす……」

 おばさんは止めていた足を再び前に踏み出す。

「……あ!」

 明らかに目の前に立っている茶波ちゃんの「身体」をすり抜けて。
(い、いま重なったよな)
 おばさんは全く気付く気配が無い。何事もなかったかのようにのすのすと歩き去って、どんどん遠くに行ってしまう。
 ハッとして、茶波ちゃんに目の焦点を合わせる。

「茶波ちゃん……」

 諦めが、溢れ出していた。顔が、ギラギラとした太陽の光で残酷なほどに照らし出されている。藍色の髪の毛が、光沢剤を塗りつけられたように白く太陽光を反射している。
 茶波ちゃんの存在を知る俺に向かって、世界は、彼女が虚像だと証明した。
 目の前で立ち尽くす彼女《虚像》に向かって走り出し、

「茶波ちゃん!」

 絞め殺すように抱きしめた。
 細い首から直接伝わってくる温かい熱がある。華奢な「身体」は藍色のコートに覆われて、ふかふかした感触が手のひらを温める。二つ結びの髪の毛が俺の顔に当たって、サラサラとした感触がもたらされる。それら全てが、彼女の存在を教える。
 明らかに、明らかに。茶波ちゃんは存在している。

「消えないでくれ茶波ちゃん!」

 昨日会ったばかりの人。まだ何も知らない。
 でも、他の誰よりも、遠くに行ってほしくないと願うことができる。単に彼女が寂しい顔をしてるからとか、希望を捨てようとしてるからとか、そういうんじゃない。

「マサ樹くん、くるしい」
「消えないって約束してくれ。じゃないと離さない」

 彼女は。

「マサ樹くんには、ずっと見えるようにするよ」

 彼女は、ここに生きてる。

「消えないってことだよな? それ」

 それでいて、なんか生きてない。
「なんで生きてるんだろう」という俺のくだらない質問に、彼女は「なんか生きてる」と答えられない気がする。

「そう、だね。うん。 ほ……本当にくるしい」
「ご、ごめん。離すよ」

 俺は茶波ちゃんに、「なんか生きてる、なんでか分からないけど、でもなんか、生きてる」という解を植え付けたい。
 茶波ちゃんの全心《ぜんしん》を支配するのは、「なぜ生きているのか」という、極めて複雑怪奇で、窮極的に難解な問いだ。それが茶波ちゃんの全てを苦しめ、寂しくさせてる。他の人から視認すらできなくさせて、他の人に無視される結果を招いている。根拠なんかどこにもないけど、そんな気がする。

「茶波ちゃんが消えるなんてバカげてる。こんなに悲しみながら、苦しみながら、生きているっていうのに。人間に、目なんてないんだ」

 人間の目はフシアナなんだ。俺、レコミ、杏子さん、五色。この四人以外の人間の目なんて、ただの穴だ。何の役にも立たない「虚空」だ。茶波ちゃんが見えないんだから。
 三智だってそうだ。あいつは友達と遊びすぎて、あるいは俺を見下しすぎて、目が「虚空」になっている。そういう天罰を食らったんだ。ざまあみろ。
 消えないでくれ、そう要請して初めて茶波ちゃんを視認できる俺の目玉も、もうじき使い物にならないガラクタに成り下がるかもしれない。その日が訪れたとき、俺は花瓶の水を替えることと草を引くことしか能の無い、ガラクタみたいな何かに成り下がるんだろう。
 さっと、柔らかな手が、いたみかけな俺の目を優しく拭う。

「茶波ちゃん?」
「マサ樹くん……泣いてたから」
「……マジか」

 茶波ちゃんの前で泣くとか、俺……カッコ悪すぎだ。涙まで拭ってもらって。

「ありがとう、マサ樹くん。私、マサ樹くんにそう言ってもらえて、幸せだよ」

 涙の残る目で、にこにこと笑う茶波ちゃん。俺の涙のおかげで悲しみや苦しみを忘れてくれたのなら、こんな情けない涙にも、人をくすぐるための猫じゃらしくらいの価値はあるのだろう。茶波ちゃんの表情は昼みたいに明るくて、とても幸せそうで。
 手のひらが、刺々しく発光していて。
 茶波ちゃんは、笑顔の瞳の中に浮かぶ一滴の涙もこぼすことはなかった。
 いつの間にか傾いていた太陽は光のギラギラ度合いを減らしている。
 代わりにギラギラし始めたのは、彼女の顔をこれでもかと言わんばかりに強く照らす右手の光だった。