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私には要も急もある 羽田涼子VS新型ウイルス感染症

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「ああ、ごめん。気にしないで。私こそ余計なこと言っちゃったね。うん、退院したら映画見よう」

 自宅待機が解除されても出歩く用はなく、買い物と食事以外は家にいた。あり余る時間はスマホのゲームに費やした。こういうとき、家で独りで没頭できるゲームの存在はありがたい。ゲームの利用時間を規制する条例案には反対だ。時間の過ごし方の多様性は認めてほしい。
 一度、結衣の働く映画館に行ってみたが、休館中のままだった。彼女が退院したときには再開しているのだろうか。感染は拡大し続け、今日も海外の有名なスポーツ選手が感染したとか、生活必需品以外の全店が休業になった国のこととか、マスクの転売が禁止されたりだとか暗いニュースばかりを見聞きする。茜たちに連絡してみると、自宅待機の解除を喜んでくれたが、会おうとは言ってこず、こちらも黙っていた。気持ちはわかる。

 私の自宅待機解除から数日後、結衣が退院した。軽症と聞いていたが、本当は入院中にかなりの咳で苦しみ、寝られない日も続いていたらしい。病院で処方された薬で改善し、その後、陰性が確認されたそうだ。退院したことをメッセージで受け取った私はすぐさま結衣のマンションを訪ねた。が、インターホンを押しても反応がない。スマホからメッセージを送る。返事はすぐに来た。「頭が痛いから寝る」とだけ書いてあった。今度は電話をかける。二十秒を過ぎたくらいで繋がった。

「返事読んだでしょ。頭痛がするの」結衣は明らかに不機嫌だ。
「うん、ごめん。でも、中に入れてよ。ちょっとでいいから話そうよ。長居はしないから」
「いま話してるじゃん」
「違くて、ちゃんと、顔を合わせて」
「会わないほうがいいんだって」

 私だけじゃなく、たぶん人と会うこと自体を避けているのだろう。帰るべきかもしれない。それでも私は会いたかった。

「じゃあ、しばらくこのまま話そうよ。もう陰性なんだよね。映画館が再開したら、仕事にも復帰できるんじゃない?」
「辞めたよ」
「え?」
「私のせいで休館しちゃって。消毒もちゃんとしたんだけど、劇場にクレームが多くて、再開できてない。支配人は気にするなって言ってくれたよ。でも、研修のときからお世話になってた先輩からメッセージがあって。『お前のせいだ』って」
「ひどい! 結衣は何も悪くないのに」
「仕事で失敗しても、なじることのない先輩で、尊敬してたのに……」

 結衣の言葉が途切れる。

「結衣? 大丈夫?」

 彼女のすすり泣く声が聞こえる。

「それで、支配人に退職することを伝えたんだ」
「引き止められたんだよね?」
「……何も言わなかった」

 かぼそく言う彼女に対して、かける言葉が見つからない。私も前のバイト先に電話した際、雇ってくれそうな感触があったものの、濃厚接触者として自宅待機になったことを正直に伝えた翌日、断りの連絡が来た。もちろん、こんなことは結衣には話せない。さらに罪悪感を持たせてしまう。

「だから、もういいんだって。不要不急の無職はずっと引き篭ってるよ」と自虐的に言う結衣に私はとっさに、
「私には要も急もあるよ」と言った。
「……何言ってんの?」
「私が急いでここに来たのは、結衣が必要だからだよ」
「ちょっと、そういうのいいから、やめて。映画でもそっち系のジャンルは好きじゃないし」
「家にね、トイレットペーパーとティッシュが残りわずかになったとき、すっごい不安になった。翌日、朝からスーパーに並んでなんとか手に入れた物を自宅に持ち帰って、それを見てたら安心できたんだ。私は夢とかないし、情熱を注げる趣味もない。旅行会社の内定も正社員として就職したかっただけ。そのほうが安定してるし、両親も安心させられるから」
「何が言いたいのか、さっぱりなんだけど」
「だから、結衣と一緒にいることは私にとって安心なの」
「トイレットペーパーみたいに?」と返してくる結衣。電話の向こうから微かに笑いが漏れるのを聞いた。
「あ、いや、そうじゃなくて。そうじゃなくもないんだけど。何言ってんだろ。とにかく、私が安心したいから顔を見せて。私のわがまま聞いてよ」

 沈黙が続く。私の言っていることは支離滅裂だ。言いたいことの半分も言葉にできていない。だが、たいてい結衣は私の言わんとすることを汲み取ってくれる。今回もきっと伝わったはず。

「涼子の言いたいことはわかったよ。だけど、こっちのわがままも聞いてくれるかな。私は何も要らないんだ。トイレットペーパーとティッシュもさっきどっちも切れちゃったけど構わない。テレビでバカなコメンテーターが新聞紙を使えとか言ってて、そのとおりだと思うよ。家に新聞は無いから映画のチラシでも使おうかな。私は映画にとって要らない存在みたいだし。あ、でもチラシはツルツルして使いづらいかも。フリーペーパーなら大丈夫そう」
「なんでそんなこと言うの……」

 泣きたくなってきた。そんな冗談は聞きたくないよ。

「あと陰性って言ってもね、また陽性になることもあるんだって。小康状態ってわかる? そこからまた再発する可能性もあるんだよ」
「そのときはまた治療して……」
「なんかもう疲れた。隔離されるのってきっついよ。今度、再発したらどうしようかな。街に出て、色んな人と触れ合ってウイルス撒いちゃおうか」
「バカなこと言わないで!」

 私は語気を強めて言った。結衣への説教のためではない。普通に腹が立ったのだ。

「そんなキャラじゃないよね! 去年、一緒に『ジョーカー』を見に行ったときのこと、覚えてる? 私が主人公の気持ちがなんとなくわかるかもって言ったら、あんたは『まったく理解できない。メソメソしすぎ。世の中恨みすぎ』って一蹴したんだよ。カチンときたから記憶してる」
「それは……」
「いまの結衣はジョーカーと同じだよ。映画のジョーカーは好きだけど、病的なジョークを言うあんたは好きじゃない!」

 結衣のことを<あんた>と呼ぶのは何年ぶりだろうか。中学の頃に大ゲンカして以来かもしれない。

「自分のことを要らないとか、そういうのはもうやめよ?」

 結衣は何も答えず、私も黙っている。しばらくして、結衣が口を開いた。

「怒らせちゃったかな、菩薩の涼子を。謝るよ」
「こっちこそわめいちゃった。近所迷惑だったね。ところで、何も要らないって言ってたけど、食べ物は要るでしょ? 何か買って来ようか」
「迷惑じゃなければお願いしてもいい?」
「はい、はーい。トイレットペーパーとティッシュも調達してくるね」
「うん、健闘を祈る」
「任務に行ってまいります!」と言って私は通話を終了した。


 家にはまだロールが四つはあったと思う。ティッシュは箱が軽かったからあと少しか。電車に乗る間、残りがどれだけあるのかを思い返した。早く結衣に届けたい。それでほんのわずかでも、彼女が安心してくれるなら。

「なにこれ……」