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私には要も急もある 羽田涼子VS新型ウイルス感染症

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「うわ、本当にない」と心の中でつぶやいた。帰宅する途中、行きつけのスーパーに寄ったが、トイレットペーパーとティッシュのコーナーはスッカスカの空だった。この状況はかなり前から続いていたのだろう。一月にたまたま、安売りセールでまとめ買いをしていたから気にもせず、紙類のコーナーを通ることもなかった。現実に空の棚を目にした瞬間、一気に不安が押し寄せた。内定取り消しは、まだ自分に就職経験がないからか、喪失感はなく、素直に諦めがついた。だが、いつも手に入れていた生活用品がいつもある場所に無い。これがもたらすショックは大きい。周辺のドラッグストアやコンビニを回るも当然無い。

 帰宅し、残量を確かめる。トイレットペーパーは残り三個と半分。ティッシュは未開封が一箱のみ。もっとあったはずなのに。夕方のニュース番組では、もちろんウイルスの状況をトップに扱っている。感染者数、死者数、一斉休校、ウイルス倒産、有名俳優が感染、大統領も感染、クラスター、パンデミック、非常事態宣言……テレビを消した。気が滅入る。私はバカだ。世の中がこんなことになっているとわかっていたのに、何もわかっていなかった。それが今日、スーパーにトイレットペーパーとティッシュがないことを目にしてようやく理解できた。気分転換に、未読で置いてあった漫画を読もうとしたが、まったく頭に入らない。それからネットでウイルスの感染状況や社会影響をひたすら調べた。調べるほどに不安が増すが、自分を取り巻く状況を把握しなければ。どうせ無職だ、時間はある。

 気づけば深夜を回っていた。いまの状況が続けば私はどうなってしまうんだろう。とりあえず何かバイトを探せばいいやくらいに思っていた自分の愚かさに、今更ながら呆れる。実家に戻ろうか。だが、せっかく学費を出してもらって卒業した直後に戻ることには気が引けた。お父さんとお母さんのことは心配だから、一応、実家には明日電話してみよう。まずやるべきことは日用品の確保だ。

 寝不足と花粉症で重たい瞼を指で擦りつつ開店を待つ。暖冬でも朝は寒い。スーパーが開く七時より一時間前に行ったのに、もうすでに行列ができていた。年配が多かったが、自分のような若者の姿も目につく。

「開店は七時です! お寒い中、申し訳ございませんが、あと二十分ほどお待ちください! また品薄により、マスク、トイレットペーパー、ティッシュはお一人様、合計で一つまでとさせていただきます!」と店長さんらしき男性が声を張ってアナウンスする。

 今日は私もマスクをしている。部屋を引っ掻き回したら、去年風邪を引いたときに買ったマスクが出てきたのだ。十枚もあったから心強い。今日、マスクの確保は難しいだろう。目指すはトイレットペーパーとティッシュだ。店によっては、整理券を配るところもあるらしいが、ここでは導入していない。開店と同時に争奪戦だ。気を引き締めなければ。

 扉が開いた。通い慣れた店だが、開店の瞬間を見るのは初めてだ。
「押さないでください! 落ち着いて行動してください!」と店員さんたちが叫ぶ。誰も聞いていない。皆、雪崩れ込んでいく。こういうのは新年の福袋セールで何度も経験済みだが、違うのは皆の表情。笑顔はなく、焦りの色しかない。自分も同じだろう。後ろから突き飛ばされるように入店した私は目指すべきコーナーへ向かった。

「うん、今日の朝から並んでなんとか買えたよ。だから大丈夫。そっちも余裕はないんでしょ。送ってこなくていいから。仕事のことも心配しないで。前のバイト先に戻れるかもしれないし。あそこはオンラインゲームのカスタマー部だから、ウイルスの企業影響もあまりないんだって。お父さんにもよろしく言っておいて。じゃあね」

 戦利品を前にお母さんと電話で話した。向こうでも品薄だと言っていた。それに、こっちよりも向こうのほうが感染者数が多く、学校はほとんど休校らしい。パートで専門学校の事務職に就くお母さんも休校のために自宅待機を余儀なくされている。とはいえ、両親が健康だと知ってほっとした。そして、目の前の獲得物。トイレットペーパー十二ロールとティッシュは大きめの四〇〇枚入り一箱。足を踏まれ、肩を掴まれした戦いの末、手に入れた。これらを眺めるだけで安心できる。


「発表によると、市内在住の二十代女性。海外渡航歴はなく、勤務先の映画館に六日まで勤務していたということです。なお、女性は軽症。映画館は感染が判明した翌日より臨時休館中と運営会社が発表しました。これで県内の感染者は五十七人になりました」

 結衣が感染した。それを聞いたとき、立っていられなくなり、駅のホームでへたり込んだ。心配そうに周囲の人たちが駆け寄る。私は立ち上がり、改札を出てから、貯金も少ないのにタクシーで帰宅した。とても歩いて帰れる自信がなかった。
 なぜ? どうして? 結衣がなんで? 理解が追いつかない。マスクをして、手洗いや消毒も欠かさないと言っていたのに。誰からどう感染したのか。
 テーブルの上には卓上鏡がある。そこに写った私は片手を額に当てていた。自分も感染したのかと不安になったのだろう、考えるより先に手が動いていた。自己嫌悪に陥る。もしかしたら私がうつしたかもしれないじゃないか。それなのに、自分がうつされたかもしれないと先に疑ったのだ。最低だと思った。念のために検温したが、平熱だった。花粉症によるくしゃみ以外に自覚症状もない。それでも自分への嫌悪感はぬぐえなかった。

 結衣は指定の医療機関に入院中だ。私は症状はないけれど、濃厚接触者として十四日間の自宅待機を要請され、指示に従っている。無職だから何も影響はない。トイレットペーパーは十分あるからもつだろうし、ティッシュがなくなっても代用できる。両親に心配をかけることは心苦しかったが、それ以上に辛いのは結衣とのやりとりだ。決められた時間しか許されないから、いつでもとはいかないが、連絡を取り合っている。彼女は謝罪の言葉を何度も口にした。

「ごめんね、本当にごめん」
「謝らなくていいよ。私は何ともないんだし、結衣のほうこそ軽症でよかった」
「うん、ずっと隔離されてるだけだよ」
「ちゃんとご飯は食べてる? なんかお母さんみたいなこと言っちゃった」

 私と同郷の結衣も両親からは遠く離れて暮らしている。

「免疫力をつけるために食べるのが仕事になってるよ。動いてないから食欲ないんだけどさ」
「早く元気になって。そうだ、『ワイルド・スピード』の新作やるんでしょ。退院したら一緒に見に行こう」
「あれはウイルスの影響で公開延期になったんだよ」
「……そうなんだ。なら、過去作でもいいから。私は変な番外編しか見てないんで、1、2を見て、3は飛ばして、4から8までをDVDで一気見しよう。ホームシアターでさ」
「二作目もヴィン・ディーゼルが出てないから見なくていいよ。あ、でもポール・ウォーカーは涼子は好きになりそう」
「よくわかんないけど、じゃあそのポール目当てで見るよ。ファンになったりして」
「その俳優、死んじゃったんだけどね、事故で……」
 しまったと後悔したがもう遅い。こんなときの話題選びに私はいつも失敗する。今回もまた。