負のスパイラル
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
催眠術
今春、中学二年生になった岩崎蓮は、クラスメイトの吉木祐樹が好きだった。
「だった」
というのは、ずっと好きだったのだが、最近になって自分の気持ちが分からなくなったというわけで、嫌いになったわけではないと思っている。
「戸惑っている」
というのが正解で、この気持ちを誰に話していいのか迷っていた。
蓮には小学生の頃からの親友である向田睦月がいた。彼女になら今までも誰にも話せないようなことも相談してきたし、彼女の方も蓮に話をよくしてくれた。どちらかというと蓮が相談するよりも睦月に相談される方が多かったかも知れない。
蓮は今まで男子を好きになったのは、祐樹だけだった。小学生の五年生の頃から意識し始めてはいたが、その頃はまだそれが恋愛感情であるなどという意識はなかった。まだ子供だったということなのだろうが、その頃には初潮も迎えていて、身体は大人の階段を着実に昇っていたのだ。
蓮は目立ちたがり屋な性格だった。いつも明るく、笑顔を絶やさないタイプだったが、中学生になる頃からか、笑顔だけではなくなっていった。
だが、こっちの方がむしろ普通と言えるのではないだろうか。他の人は気付いていないかも知れないが、蓮が時々無理して笑顔になっているということを、親友の睦月には分かっていた。
分かっているからの親友だった。
睦月のことは他の人には分からないことであっても、蓮には分かっていた。蓮もそのことを、
「親友だから」
と思って自覚していた。
だから、睦月もきっと自分のことを分かってくれると、蓮も思っていたのだ。
睦月は蓮よりも冷静なタイプだった。
人並みに笑顔は見せるが、それが芯からの笑顔なのか、他の人には分かりにくかった。さすがに蓮には分かっていて、だからこそ、少し寂しかった。なぜなら睦月の笑顔はそのほとんどが芯からのものではなかったからだ。
ただ、愛想笑いというわけでもない。苦笑いと言えばそうなのだが、だからといって、人に合わせているというわけではなかった。
「人と合わせているからこそ愛想笑いというのだ」
と、蓮は思っていた。
だが、蓮には愛想笑いをする人の気持ちは分からなかった。親友である睦月の考えていることや行動パターンはある程度把握しているつもりでいたが、本心の部分に触れることはできなかった。
「何を考えているんだろう?」
と思うことは少なくなく、だからこそ、余計に彼女のことが気になっていた。
しかし、こちらが思っているのと同じことを相手も思っているとすれば、少し怖い気もする。
「すべてを見透かされている気はするんだけど、本当の私を分かってくれているわけではない」
と感じる。
要するにある程度までは分かっているのに、肝心のところが分からないという中途半端な状態で親友と言うのは怖いと感じているのだ。
蓮にも睦月にも兄妹はいない。二人とも一人っ子だ。だから肉親と言えば両親だけなので、年の差があることで、考え方が違うのも仕方のないことだと思っている。
そのために、よく喧嘩もしたものだ。
特に自分がしようと思っていることを先に言われてしまうと、これほど憤慨することもなく、こみ上げてきた怒りをどこにぶつけていいのか分からずに、悶々とした意識になってしまう。喧嘩にはなるが、面と向かって親に反発するというほどのことはなく、結局は何も言えずに引きさがってしまう自分を蔑んでしまうのだった。
「私って、何て情けないんだ」
自分をやりこめた親の方は、勝ち誇った気持ちでいると思うとさらにイライラする。しかし実際には親の方も結構な譲歩をしてくれているようで、面と向かった喧嘩にならないのは、親に寄る忖度がその大きな理由なのではないだろうか。
蓮と睦月は小学三年生の頃からずっと同じクラスだった。小学校を卒業するまでは、まわりから、
「姉妹みたい」
と言われていたが、どちらがお姉さんかということには、まわりの意見も割れていた。
見かけは睦月の方がお姉さんと言えるだろう。
身長も睦月の方が高く、ほっそりしている体型は、いかにもお姉さんを思わせる。しかも蓮の方が絶えず笑顔でいるのに対し、睦月は冷静な視線が目立つ、落ち着きのある佇まいを感じさせる。
温和な雰囲気は睦月の方にあるのだが、睦月に言わせれば、
「蓮には、いつも癒される」
ということだった。
「どこが癒されるの?」
「蓮には自分を表現する力があると思うの」
「睦月ちゃんにだってあるでしょう」
「そんなことないわ。私はいつも仮面をかぶっているようなものだから」
と睦月は言った。
睦月の両親は、ずっと仲が悪いようだった。いつも睦月は両親に遠慮して、なるべく怒らせないように気を遣っていた。それは小学生の女の子には酷なことであり、見ていて痛々しいと思わせるものだった。
睦月が六年生の頃、両親が真剣に離婚を仕掛けたことがあった。
「離婚寸前まで行っていた」
という噂は主婦の間では公然の秘密になっていて、まさか主婦の間で噂になっているなど知らなかった睦月は、なぜまわりのおばさんたちが自分を見る目が違っているのか分からなかった。
その目は好奇に満ちた目であり、子供には耐えがたいものだっただろう。自然と後ろめたい気持ちになり、悪いことをしていないのに、自分がまわりから蔑まされていることに憤りを感じていた。
「どうして私ばかりが」
と、睦月は思っていた。
睦月自身も、両親の不仲で家庭内での自分の立場や居場所がない状態なのに、表に出れば、謂れのない中傷による罪な視線を帯びせられ、一番気の毒な立場に追いやられていた。親の離婚問題で一番の被害者は子供であるというのは、こういうことからも言えるのではないだろうか。
そんな睦月には、いつもニコニコ微笑んでいる蓮が眩しく見えた。
「私もあんな風にニコニコできていればなぁ」
と、心の奥ではそう思っていた。
睦月も元々ニコニコするタイプだった。家で両親が笑ったところを見たことがないことで、
「私だけは」
と思っていたのだが、両親の不仲が睦月にも感じるようになると、
「何よその顔」
と、親は露骨に睦月の笑顔を訝しがるようになっていた。
睦月としては、
「私が愛想笑いをしていることに気付いたのかしら?」
と思うようになった。
その想像は半分だけは当たっていた。確かに愛想笑いをしていることが親の怒りに触れたようで、そこにはわざとらしさに敏感な大人の感情があることまでは分からなかった。
「親にとって私は邪魔者でしかないんだわ」
と思うようになると、かなり追いつめられた気分になった睦月だった。
本当であれば、笑顔を見せる人を見ると、
「この人もわざとらしいわ」
と感じるはずなのだが、蓮にだけは違っていた。
他の人にわざとらしさしか感じない分、蓮に対してはかなり好意的にしか見ることができなくなってしまった理由であろう。
「そのうちに両親は離婚するわ」
催眠術
今春、中学二年生になった岩崎蓮は、クラスメイトの吉木祐樹が好きだった。
「だった」
というのは、ずっと好きだったのだが、最近になって自分の気持ちが分からなくなったというわけで、嫌いになったわけではないと思っている。
「戸惑っている」
というのが正解で、この気持ちを誰に話していいのか迷っていた。
蓮には小学生の頃からの親友である向田睦月がいた。彼女になら今までも誰にも話せないようなことも相談してきたし、彼女の方も蓮に話をよくしてくれた。どちらかというと蓮が相談するよりも睦月に相談される方が多かったかも知れない。
蓮は今まで男子を好きになったのは、祐樹だけだった。小学生の五年生の頃から意識し始めてはいたが、その頃はまだそれが恋愛感情であるなどという意識はなかった。まだ子供だったということなのだろうが、その頃には初潮も迎えていて、身体は大人の階段を着実に昇っていたのだ。
蓮は目立ちたがり屋な性格だった。いつも明るく、笑顔を絶やさないタイプだったが、中学生になる頃からか、笑顔だけではなくなっていった。
だが、こっちの方がむしろ普通と言えるのではないだろうか。他の人は気付いていないかも知れないが、蓮が時々無理して笑顔になっているということを、親友の睦月には分かっていた。
分かっているからの親友だった。
睦月のことは他の人には分からないことであっても、蓮には分かっていた。蓮もそのことを、
「親友だから」
と思って自覚していた。
だから、睦月もきっと自分のことを分かってくれると、蓮も思っていたのだ。
睦月は蓮よりも冷静なタイプだった。
人並みに笑顔は見せるが、それが芯からの笑顔なのか、他の人には分かりにくかった。さすがに蓮には分かっていて、だからこそ、少し寂しかった。なぜなら睦月の笑顔はそのほとんどが芯からのものではなかったからだ。
ただ、愛想笑いというわけでもない。苦笑いと言えばそうなのだが、だからといって、人に合わせているというわけではなかった。
「人と合わせているからこそ愛想笑いというのだ」
と、蓮は思っていた。
だが、蓮には愛想笑いをする人の気持ちは分からなかった。親友である睦月の考えていることや行動パターンはある程度把握しているつもりでいたが、本心の部分に触れることはできなかった。
「何を考えているんだろう?」
と思うことは少なくなく、だからこそ、余計に彼女のことが気になっていた。
しかし、こちらが思っているのと同じことを相手も思っているとすれば、少し怖い気もする。
「すべてを見透かされている気はするんだけど、本当の私を分かってくれているわけではない」
と感じる。
要するにある程度までは分かっているのに、肝心のところが分からないという中途半端な状態で親友と言うのは怖いと感じているのだ。
蓮にも睦月にも兄妹はいない。二人とも一人っ子だ。だから肉親と言えば両親だけなので、年の差があることで、考え方が違うのも仕方のないことだと思っている。
そのために、よく喧嘩もしたものだ。
特に自分がしようと思っていることを先に言われてしまうと、これほど憤慨することもなく、こみ上げてきた怒りをどこにぶつけていいのか分からずに、悶々とした意識になってしまう。喧嘩にはなるが、面と向かって親に反発するというほどのことはなく、結局は何も言えずに引きさがってしまう自分を蔑んでしまうのだった。
「私って、何て情けないんだ」
自分をやりこめた親の方は、勝ち誇った気持ちでいると思うとさらにイライラする。しかし実際には親の方も結構な譲歩をしてくれているようで、面と向かった喧嘩にならないのは、親に寄る忖度がその大きな理由なのではないだろうか。
蓮と睦月は小学三年生の頃からずっと同じクラスだった。小学校を卒業するまでは、まわりから、
「姉妹みたい」
と言われていたが、どちらがお姉さんかということには、まわりの意見も割れていた。
見かけは睦月の方がお姉さんと言えるだろう。
身長も睦月の方が高く、ほっそりしている体型は、いかにもお姉さんを思わせる。しかも蓮の方が絶えず笑顔でいるのに対し、睦月は冷静な視線が目立つ、落ち着きのある佇まいを感じさせる。
温和な雰囲気は睦月の方にあるのだが、睦月に言わせれば、
「蓮には、いつも癒される」
ということだった。
「どこが癒されるの?」
「蓮には自分を表現する力があると思うの」
「睦月ちゃんにだってあるでしょう」
「そんなことないわ。私はいつも仮面をかぶっているようなものだから」
と睦月は言った。
睦月の両親は、ずっと仲が悪いようだった。いつも睦月は両親に遠慮して、なるべく怒らせないように気を遣っていた。それは小学生の女の子には酷なことであり、見ていて痛々しいと思わせるものだった。
睦月が六年生の頃、両親が真剣に離婚を仕掛けたことがあった。
「離婚寸前まで行っていた」
という噂は主婦の間では公然の秘密になっていて、まさか主婦の間で噂になっているなど知らなかった睦月は、なぜまわりのおばさんたちが自分を見る目が違っているのか分からなかった。
その目は好奇に満ちた目であり、子供には耐えがたいものだっただろう。自然と後ろめたい気持ちになり、悪いことをしていないのに、自分がまわりから蔑まされていることに憤りを感じていた。
「どうして私ばかりが」
と、睦月は思っていた。
睦月自身も、両親の不仲で家庭内での自分の立場や居場所がない状態なのに、表に出れば、謂れのない中傷による罪な視線を帯びせられ、一番気の毒な立場に追いやられていた。親の離婚問題で一番の被害者は子供であるというのは、こういうことからも言えるのではないだろうか。
そんな睦月には、いつもニコニコ微笑んでいる蓮が眩しく見えた。
「私もあんな風にニコニコできていればなぁ」
と、心の奥ではそう思っていた。
睦月も元々ニコニコするタイプだった。家で両親が笑ったところを見たことがないことで、
「私だけは」
と思っていたのだが、両親の不仲が睦月にも感じるようになると、
「何よその顔」
と、親は露骨に睦月の笑顔を訝しがるようになっていた。
睦月としては、
「私が愛想笑いをしていることに気付いたのかしら?」
と思うようになった。
その想像は半分だけは当たっていた。確かに愛想笑いをしていることが親の怒りに触れたようで、そこにはわざとらしさに敏感な大人の感情があることまでは分からなかった。
「親にとって私は邪魔者でしかないんだわ」
と思うようになると、かなり追いつめられた気分になった睦月だった。
本当であれば、笑顔を見せる人を見ると、
「この人もわざとらしいわ」
と感じるはずなのだが、蓮にだけは違っていた。
他の人にわざとらしさしか感じない分、蓮に対してはかなり好意的にしか見ることができなくなってしまった理由であろう。
「そのうちに両親は離婚するわ」