鑑定人・猫耳堂 二品目
分かったことを簡潔に纏めて、マダムへメールを送り、ゆっくりとベッドで休むことにする。
翌朝、――すでに昼近く、時差ボケとは縁がなかったようだ。これもプチステーキのお陰か――、マダムからの返信はPCに届いていた。
『やっぱりね。そうだと思ったのよ。あなたに行ってもらって正解だったようね。ショップのご夫婦にも教えてあげて頂戴ね。それでこの件は終了。チェックインのときに聞いたと思うけど、ホテルは三泊で押さえているから、後はゆっくりと観光でもして帰ってきてね』
サンノゼはあまり観光すべき所が多くはない。俺の興味はウィンチェスター・ミステリー・ハウスと聖ヨセフ教会、それにバラ十字古代エジプト博物館だけだ。一日で見終わってしまう。まあ、あの店を含めてアンティークショップでも廻ることになるだろう。
朝食兼昼食をホテルのレストランで食べながら、ショップの夫婦に伝える内容を頭の中で反芻する。
シルヴィ・ギエム。女性の爪先には大いに興味をそそられるが、バレエにはそれほど興味がない俺でもその名は知っている。100年に1人の逸材と称されるスペインとフランスのハーフで、天才バレリーナ。18歳を前にコンクールを総なめにし、弱冠19歳で、パリ・オペラ座バレエ団の最高峰であるエトワールに上り詰めた。あまり知られていないが、オペラ座の屋根には、ルネ・ラリックのガラスのオブジェが飾られている。
そのパリ・オペラ座バレエ学校校長のクロード・ベッシーが彼女に惚れ込み、その独特な足形を取り、ブロンズ像を作らせた。その逸話だけが残されていて、当然未公開のそのブロンズ像の写真を探すのに苦労した。調査に要した時間のほとんどが、この写真を探すことだった。やっとイギリス貴族のページで写真を探し当てたときは、大声を上げてしまったほどの達成感があった。そして、写真を見て確信した。あのマイセンの灰皿そのものだった。
あとは簡単に結び付けられる。日本びいきで来日も数十回を数え、日本での公演も軽く300回は超えている。東日本大震災の際には4月6日にパリのシャンゼリゼ劇場で『Hope Japan』というチャリティ公演を開催しているし、その年の11月には、福島県いわき市で震災支援特別公演も開催している。
彼女が愛している日本文化。彼女の写真集にも自作の陶芸作品が載せられている。彼女自身の絵付けの癖が、あの灰皿の柿右衛門様の絵付けにも良く表われていた。ペインターナンバーも金彩ペインターナンバーもないのは当たり前だ。全てシルヴィ・ギエム自身が描いたものだろう。
だが、ギエムがなぜあの作品を作ったのか? なぜ手放すことになったのか? それについては一切分からなかった。そもそも、あの作品自体の存在を示す証拠は、何一つネット上にはなかった。
アンティークショップで二人に話し終えると、昨日はあまり覇気のなかったご主人も、興味深そうに灰皿を見詰めていた。
聖ヨセフ教会をのんびりと見て廻り、ステーキレストランでプチの付かないニューヨークカットステーキをカリフォルニアワインとともに堪能して、ホテルの部屋に戻る。
部屋に着いたのを見透かしたようにマダムから電話が来た。全くあの人の勘の良さには驚かされる。日本ではまだ午前中だろうに、早起きな人だ。こちらの都合も聞かずにいきなり興奮した声で話し始めた。
「あのご夫婦からマイセンの灰皿を譲ってもらえることになったの。あなたにはお礼をしなくちゃね。ギエムの舞台はごらんになったことある? 一生に一度は、彼女の踊りを生で観るべきだわ。百聞は一見にしかず。ご覧なさいよ。涙とともに世界が変わるわよ。来年の年末だけど招待するわ。あのショップのお二人も来るわよ」
「来年の年末とはまた随分と先の話ですね」
「あら、知らないの? ギエムは来年で引退するのよ。その最後の公演が日本で行なわれるのよ。日本で最後の公演じゃないのよ。バレエ人生最後の公演が大晦日の日本であるのよ。世界中からバレエファンが来るわよ」
そういえばネットに書かれていたような気がする。流し読みしてしまった。
「それに招待してくれるんですか? 楽しみですね」
「違うわよ。彼女の日本公演が終わった翌日、元日にウチで踊ってくれるのよ。あのシルヴィ・ギエムが私の家で踊ってくれるの。正真正銘彼女の最後の踊りよ。凄いでしょ?」
凄すぎないか? 何でそんなことになるのかさっぱりだ。
「黙っちゃってどうしたの? あなたからメールを貰って、彼女に連絡したの。そしたらあの灰皿が見つかったことに喜んでくれて、何度もお礼を言われたわ。話が弾んじゃって来年目の前で踊ってくれることになったの。あなたも来てね。それに、あの灰皿にまつわる話も、その時に聞けるわよ。ギエムは電話で話したそうだったけど、電話では聞かないことにしたの。あの灰皿を彼女にプレゼントするときのお楽しみね。だから是非来てね」
一方的にしゃべって勝手に電話は切れてしまった。あのマダムも興奮することがあると分かって、少し身近に感じた。あのギエムと知り合いだったとは、交際の広さにも驚かされる。
翌日も昼近くに目覚め、メールをチェックするとマダムからのメールが1件。
『あのショップへまた行ってね。なんでも、コンテナオークションで落札した品物で分からないのがあったみたい。日本人形って言ってたけど、アメリカ人の言うことだから、本当のところは分からないわ。東南アジアのものかもしれないし、見て欲しいって。私へのお土産は、アブサン・スプーンでお願いね』
(二品目.Meissen Ballet Shoe Ashtray 了)
筆者あとがき
この作品に書かせていただいたとおり、2015年12月31日にシルヴィ・ギエムのラスト公演が日本で開催されました。
YouTubeの動画ですが、彼女のラスト「ボレロ」をお楽しみください。
そして、動画最後に記されています彼女から日本へのメッセージをお読みください。
https://www.youtube.com/watch?v=b3iH3cQFZHU
作品名:鑑定人・猫耳堂 二品目 作家名:立花 詢