鑑定人・猫耳堂 二品目
二品目.Meissen Ballet Shoe Ashtray
成田からほぼ十時間のフライトでサンノゼ、スペイン語風に発音すればサンホセ空港Aターミナルに到着した。フライト時間に疲れるほど歳はとっていないが、初めての街に浮かれるほど若くもない。シリコンバレーの一角として有名になったサンノゼだが、アメリカでも最古の日本人街の一つがあることはあまり知られていない。シリコンバレーと言うには緑が多く、午前の日差しの中で目が癒やされる。最古の日本人街があるにしては、カラフルな街。日本でいうと海浜幕張が思い浮かぶ。
ホテルへ荷物を預けて、昼食のためにマダムお薦めのステーキハウスへと向かった。
マーケットストリートとポストストリートが交差するエリアに目指す「グリル・オン・ジ・アレイ」はあった。時差ボケ解消にはステーキが良いと、何かで読んだ気がする。マダムはステーキハウスと表現したが、飛んでもない。立派なステーキレストランだ。日本でいえば「麤皮(あらがわ)」か「哥利歐(ゴリオ)」といったところか。マダムによく似合う店だ。
トマトとバッファローモッツァレラの前菜に、メインはプチステーキをオーダーする。ビールかワインでも飲みたかったが、このあとの仕事のことを考えて、ティナントのスプリングウォーターで我慢することにした。ステーキとアルコールの組み合わせは帰国前のお楽しみにとっておくことにしよう。
料理が運ばれてくるまで、出発前のことが頭を過る。
マダムが言った。
『マイセンの変わった灰皿を持っている人がいるのよ』
マダムから航空券と一緒に送られてきたのは、八重山上布のシャツに、京都の組紐がデザインされたデニムパンツと靴下の一式、全く同じ組み合わせが三セット。サイズもいつの間に調べたのか、誂えたように身体に馴染んだ。それに、海外で使用可能なスマートフォンまで同梱されていた。
バイク便でそれらが届けられたのを、見透かしたようにマダムからの電話が入る。
「私の代わりに行くんだから、きちんと日本代表ってスタイルにしてみたの。私が見立てたんだから、感謝しなさいよ」
何の日本代表だかは分からないが、『マダムの代わり』という言葉が引っ掛かかる。俺にマダムの代わりが務まるとは思えないからだ。
「鑑定はしなくていいわよ。その灰皿の声を聞いて、私に伝えてくれるだけでいいわ。簡単でしょ?」
絶対に簡単なわけがない。簡単であればマダムは電話一本で済ませられるはずだ。わざわざ自分の代わりに、俺をアメリカまで行かせるはずはない。しかも灰皿の声を聞けとは、買いかぶられているのか、揶揄われているのか、判断に悩む。
トマトとモッツァレラは旨いが、ワインが欲しくなる。続いて運ばれてきたプチステーキも、期待を裏切らなかった。これぞアメリカ、プチステーキとは名ばかりの大きさだった。メニューに書いてあった数字を思い出した。12oz……、340グラムのプチステーキ。どうやらプチの概念が日本とアメリカでは違うのだろう。時差ボケは解消されるだろうが、胸焼けに悩まされそうなボリュームだ。そして、やっぱりワインが欲しくなる。
お目当てのアンティークショップは、レストランから10分で着いた。白い格子のドアにスカイブルーの庇の上にちょこんと原色に彩られた風見鶏という、いかにもアメリカらしいカラフルな店構えだ。
ドアを開けて店内に入ると、カウンターに座っていた女性が、チラッとこちらを見てから、顔を輝かせた。どんな女性であれ、その顔を輝かせるほど俺は見てくれに自信はない。きっと、日本からやって来たマダムの代理だと分かったのだろう。多分、マダムから俺の服装についての連絡も入っているはずだ。
「マダムの代理の方ですね?」
そう言って女性は俺の名前を続けた。
「ええ、こちらにある珍しいマイセンの灰皿を見て欲しいと言われて来ました」
「ロングフライトでお疲れでしょう? 昼食は済まされたんですか?」
五十前後だろうか、西洋人の年齢当てに自信はないが、濃い栗色の髪と瞳は東洋の血が入っているのでは、と思わせる女性だ。それにアメリカ人には珍しい気遣いもある。ステーキレストランで昼食を済ませたことを伝えると、奥の倉庫へ「ダディ」と声を掛け、段ボールケースを持って出てきたご主人であろう人を紹介してくれた。こちらは金髪だが、如才無い奥さんと違って、どうも覇気がなく見える。有り触れたジーンズに薄手の緑色のセーターに身を包んで、半ば死んだような目をしている。簡単に挨拶をすると、ケースを置いて奥の倉庫に引っ込んでしまった。その後ろ姿に向けられる奥さんの目は少し寂しげだった。
「こちらがマダムご希望のマイセンの品です。今お見せします」
気を取り直したように、奥さんは手際よく段ボールケースを開梱し始めた。箱の中からは沢山のウレタン緩衝材が溢れ出てくる。マダムからの依頼を受けてから一週間、やっとお目当ての灰皿とのご対面となった。
取り出されたマイセンの灰皿は、想像していたものとはまったく違っていた。精々、『インドの華』でお馴染みなマイセン特有の踵が踏まれた、靴型灰皿を予想していた。あるいは少し珍しいものとして、土屋コレクションにある『色絵竹虎文靴』くらいだろうと思っていた。
しかし、それらとはまるで違うフォルムに思考が停止してしまう。マイセンの伝統からいえば靴型は全て灰皿、Ashtrayと呼ばれている。しかし目の前に表われたそれは、灰皿と言うには発するオーラが違っていた。柿右衛門様の絵付けと金彩の縁取りがされ、オブジェという言葉がよく似合う。バレエシューズをかたどった逸品を前に固まっている訳にもいかない。奥さんの了解を得て、角度を変えながらマダムから預かったスマホで写真を撮り始める。
20枚ほど写真に収め、明日の午後にもう一度お邪魔することにして、アンティークショップを後にした。ホテルへ帰って詳しく調べなくてはならない。今の所手掛かりは皆無に等しいが、あの逸品が発するオーラが導いてくれそうな気がしていた。
ホテルでノートPCを立ち上げ、wi-fiに接続する。日本と違い、ホテルを始めとした公共の場では、どこでも無料でwi-fiが利用可能だ。接続スピードは遅いが、日本も早く見習うべきだろう。スマホからPCに写真を転送して、画像ソフトで詳しく見る。
裏に施されたマイセン特有の双剣マークは1980年以降に作られた物を示している。ただし、年代を特定出来る星印はどこにも見当たらない。それどころか、絵付けが手書きであるにも関わらず、本来あるべきペインターナンバーも金彩ペインターナンバーも書かれていない。
靴の先が切り落とされたような形になっているのは、バレエシューズだからだろう。日本の甲高という表現が当てはまるような特殊なバレエシューズ……。
思い当たって、ネットで調べ始める。ビンゴだったようだ。ホテルの部屋から出るのも煩わしく、ルームサービスのクラブハウスサンドとビールの食事を摂りながら、調査を進めた。フランス語のサイトには悩まされたが、何とか深夜には調査を終えることが出来た。
成田からほぼ十時間のフライトでサンノゼ、スペイン語風に発音すればサンホセ空港Aターミナルに到着した。フライト時間に疲れるほど歳はとっていないが、初めての街に浮かれるほど若くもない。シリコンバレーの一角として有名になったサンノゼだが、アメリカでも最古の日本人街の一つがあることはあまり知られていない。シリコンバレーと言うには緑が多く、午前の日差しの中で目が癒やされる。最古の日本人街があるにしては、カラフルな街。日本でいうと海浜幕張が思い浮かぶ。
ホテルへ荷物を預けて、昼食のためにマダムお薦めのステーキハウスへと向かった。
マーケットストリートとポストストリートが交差するエリアに目指す「グリル・オン・ジ・アレイ」はあった。時差ボケ解消にはステーキが良いと、何かで読んだ気がする。マダムはステーキハウスと表現したが、飛んでもない。立派なステーキレストランだ。日本でいえば「麤皮(あらがわ)」か「哥利歐(ゴリオ)」といったところか。マダムによく似合う店だ。
トマトとバッファローモッツァレラの前菜に、メインはプチステーキをオーダーする。ビールかワインでも飲みたかったが、このあとの仕事のことを考えて、ティナントのスプリングウォーターで我慢することにした。ステーキとアルコールの組み合わせは帰国前のお楽しみにとっておくことにしよう。
料理が運ばれてくるまで、出発前のことが頭を過る。
マダムが言った。
『マイセンの変わった灰皿を持っている人がいるのよ』
マダムから航空券と一緒に送られてきたのは、八重山上布のシャツに、京都の組紐がデザインされたデニムパンツと靴下の一式、全く同じ組み合わせが三セット。サイズもいつの間に調べたのか、誂えたように身体に馴染んだ。それに、海外で使用可能なスマートフォンまで同梱されていた。
バイク便でそれらが届けられたのを、見透かしたようにマダムからの電話が入る。
「私の代わりに行くんだから、きちんと日本代表ってスタイルにしてみたの。私が見立てたんだから、感謝しなさいよ」
何の日本代表だかは分からないが、『マダムの代わり』という言葉が引っ掛かかる。俺にマダムの代わりが務まるとは思えないからだ。
「鑑定はしなくていいわよ。その灰皿の声を聞いて、私に伝えてくれるだけでいいわ。簡単でしょ?」
絶対に簡単なわけがない。簡単であればマダムは電話一本で済ませられるはずだ。わざわざ自分の代わりに、俺をアメリカまで行かせるはずはない。しかも灰皿の声を聞けとは、買いかぶられているのか、揶揄われているのか、判断に悩む。
トマトとモッツァレラは旨いが、ワインが欲しくなる。続いて運ばれてきたプチステーキも、期待を裏切らなかった。これぞアメリカ、プチステーキとは名ばかりの大きさだった。メニューに書いてあった数字を思い出した。12oz……、340グラムのプチステーキ。どうやらプチの概念が日本とアメリカでは違うのだろう。時差ボケは解消されるだろうが、胸焼けに悩まされそうなボリュームだ。そして、やっぱりワインが欲しくなる。
お目当てのアンティークショップは、レストランから10分で着いた。白い格子のドアにスカイブルーの庇の上にちょこんと原色に彩られた風見鶏という、いかにもアメリカらしいカラフルな店構えだ。
ドアを開けて店内に入ると、カウンターに座っていた女性が、チラッとこちらを見てから、顔を輝かせた。どんな女性であれ、その顔を輝かせるほど俺は見てくれに自信はない。きっと、日本からやって来たマダムの代理だと分かったのだろう。多分、マダムから俺の服装についての連絡も入っているはずだ。
「マダムの代理の方ですね?」
そう言って女性は俺の名前を続けた。
「ええ、こちらにある珍しいマイセンの灰皿を見て欲しいと言われて来ました」
「ロングフライトでお疲れでしょう? 昼食は済まされたんですか?」
五十前後だろうか、西洋人の年齢当てに自信はないが、濃い栗色の髪と瞳は東洋の血が入っているのでは、と思わせる女性だ。それにアメリカ人には珍しい気遣いもある。ステーキレストランで昼食を済ませたことを伝えると、奥の倉庫へ「ダディ」と声を掛け、段ボールケースを持って出てきたご主人であろう人を紹介してくれた。こちらは金髪だが、如才無い奥さんと違って、どうも覇気がなく見える。有り触れたジーンズに薄手の緑色のセーターに身を包んで、半ば死んだような目をしている。簡単に挨拶をすると、ケースを置いて奥の倉庫に引っ込んでしまった。その後ろ姿に向けられる奥さんの目は少し寂しげだった。
「こちらがマダムご希望のマイセンの品です。今お見せします」
気を取り直したように、奥さんは手際よく段ボールケースを開梱し始めた。箱の中からは沢山のウレタン緩衝材が溢れ出てくる。マダムからの依頼を受けてから一週間、やっとお目当ての灰皿とのご対面となった。
取り出されたマイセンの灰皿は、想像していたものとはまったく違っていた。精々、『インドの華』でお馴染みなマイセン特有の踵が踏まれた、靴型灰皿を予想していた。あるいは少し珍しいものとして、土屋コレクションにある『色絵竹虎文靴』くらいだろうと思っていた。
しかし、それらとはまるで違うフォルムに思考が停止してしまう。マイセンの伝統からいえば靴型は全て灰皿、Ashtrayと呼ばれている。しかし目の前に表われたそれは、灰皿と言うには発するオーラが違っていた。柿右衛門様の絵付けと金彩の縁取りがされ、オブジェという言葉がよく似合う。バレエシューズをかたどった逸品を前に固まっている訳にもいかない。奥さんの了解を得て、角度を変えながらマダムから預かったスマホで写真を撮り始める。
20枚ほど写真に収め、明日の午後にもう一度お邪魔することにして、アンティークショップを後にした。ホテルへ帰って詳しく調べなくてはならない。今の所手掛かりは皆無に等しいが、あの逸品が発するオーラが導いてくれそうな気がしていた。
ホテルでノートPCを立ち上げ、wi-fiに接続する。日本と違い、ホテルを始めとした公共の場では、どこでも無料でwi-fiが利用可能だ。接続スピードは遅いが、日本も早く見習うべきだろう。スマホからPCに写真を転送して、画像ソフトで詳しく見る。
裏に施されたマイセン特有の双剣マークは1980年以降に作られた物を示している。ただし、年代を特定出来る星印はどこにも見当たらない。それどころか、絵付けが手書きであるにも関わらず、本来あるべきペインターナンバーも金彩ペインターナンバーも書かれていない。
靴の先が切り落とされたような形になっているのは、バレエシューズだからだろう。日本の甲高という表現が当てはまるような特殊なバレエシューズ……。
思い当たって、ネットで調べ始める。ビンゴだったようだ。ホテルの部屋から出るのも煩わしく、ルームサービスのクラブハウスサンドとビールの食事を摂りながら、調査を進めた。フランス語のサイトには悩まされたが、何とか深夜には調査を終えることが出来た。
作品名:鑑定人・猫耳堂 二品目 作家名:立花 詢