短編集65(過去作品)
と思ったのは、幸子が高校時代の話をしてくれた時に感じた幸子へのいとおしさがそのまま、
――その時に知り合いたかった――
と感じる思いだったのだ。
幸子には父親がいなかった。名前は幸子なのに、あまり幸の多い女ではなかった。
学校の先生に憧れて付き合い始めたのも、父親への思いからだったと幸子は話したが、どうも言い訳には聞こえない。惚れた弱み、贔屓目を差し引いたとしても、確かに幸の多い女ではない。
そんな彼女が自分に甘えてくれる男性を求めたのは、学校の先生で懲りたせいだけではないだろう。元々、自分に対して誰かが甘えてくれることを欲するのは、幸が少なかったからなのかも知れない。
相手を思いやる気持ちの強さは、他の人に負けないに違いない。そんな幸子を好きになり、幸子に甘えることは、信二にとって甘えられるよりも相手から望んでいることを達成できる喜びであった。
しかし、そんな幸子も次第に信二に甘えてくる。
「きっと男性に対して、女性の限界を知ったのかも知れないわ」
と、幸子は話したが、限界というのは何であろうか?
限界というと覚めた言葉に聞こえるが、自分の中で限界を感じた人間は強いのかも知れない。
皆自分が分からなくて苦労する。ひょっとして、彼氏や彼女を思春期の頃に無性に欲しくなるのは、一人でいたくないという思いと同時に、相手を見ることで自分を知ることができると思っているからかも知れない。
異性というのは、自分にないものを持っている。本当は同性でもいいのだろうが、一旦異性に興味を感じてしまうと、同性に対して感じることが気持ち悪くなってしまう。男の友達や、家族に対して反抗的になってしまのは、今までの自分の枠内で感じてきた人たちからいろいろ言われたり接したりすることに、違和感を感じてしまうからであった。
思春期に入る前の同性との付き合いや、母親との接し方と、思春期に入ってからの異性を見る目とがまったく違っているわけではない。むしろ、ほとんど変わらないことから、思春期に入ってからの同性や母親への見方が気持ち悪くなってくるのだろう。それほど、思春期における女性の存在は、神秘的であり、センセーショナルなものであった。
そんな母親が、一度「ボンキナー」を買ってきてくれたことがあった。
「このお菓子、好きなんだ」
などと一度も話したことなどなかった。
好きなお菓子の話をすることもなく、お菓子は今まで与えられていたものを食べるだけだった。
だから、友達の家で出された「ボンキナー」に異常な執着があり、友達の家に行くのが楽しみで仕方がなかった。
「わーい、ありがとう」
最初は無邪気に喜んだものだが、次第に喜んだ自分が嫌になった。
――このお菓子は友達のところで食べてこそ、ボンキナーなんだ――
と思ったからである。
そう感じると、幸子も母親も、所詮自分の感じたところでしか、存在しえない。あくまで自分の中でだけであるが、
「本当に二人は存在しているんだろうか?」
と感じてくると、目の前に出された「ボンキナー」が、寂しく横たわっているように思えた。次の瞬間、
「すまない。自分で自分を否定するようなことは、もうしないよ」
誰に言うわけでもなく、心の中で信二は呟いていた……。
( 完 )
作品名:短編集65(過去作品) 作家名:森本晃次