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――凜――
平成二十六年八月――

 拙者親方と申すは、お立会いの中にご存知のお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて――

 今日も劇団で発声の練習をする。十二月に舞台を控えていて、私はそのキャストに入っているのだ。
「凜いいなあ。メインキャストでしょう?ほとんど主役と変わらないくらいセリフあるし」そう劇団の仲間が言うが、私にとってはプレッシャーだ。メインキャストなんて練習中は決して華々しいものではない。
「感情を作るなって何度も言ってんだろう」
 今日も私は監督から怒鳴られる。
「感情を作るんじゃねえんだよ。今おかれた状況を真剣に想像しろ。シチュエーションを感じろ。そうすりゃあ、感情を作らなくたって、自然と感情が出てくるんだよ。まずこの状況をアクションしろ」
「はい」私は監督の言おうとしていることを必死に考えながら、演じる。
「違う」また、
「違う」
「相手のセリフ全然聞いてねえじゃねえかよお。今相手の言い方変わったろ。それでなんで、あんた同じなんだよ。おかしいだろ」
 私は何度も怒鳴られ稽古を終えた。母に抱きつき「終わった」と言うと母は、「凜、頑張ったね。大丈夫よ。お母さんちゃんと見てるから」
 そのとき不意に、「凜ちゃん、凜ちゃんのお母さん」
 見慣れぬ男性が私たちに声をかけた。
“あれ、この人誰だっけ?”と私は自分の記憶をたどった。母も思い出せないらしい。
「私フジプロモーションの吉田です。ここの劇団にはあまり顔を出さないのですが」
 劇団に入るときたしか、オーディション会場でこんな顔の人を見たような、私は少しずつ思い出した。確かに劇団ではあまり見ない顔だ。
「監督怖いでしょ?凜ちゃん気にしなくていいんだよ。凜ちゃん、本当一生懸命やってる。おじちゃんよく見てるよ。あの監督も中学生相手にどなり散らして。小学生の子役の親からクレームが出てるんですよ。ねえ本当凜ちゃん頑張ってるエライ」
「そんなうちの凜はまだまだ……」
 母が私に代わって謙遜する。
「お母様、是非事務所に来て凜ちゃんと一緒にお話だけでもいいですか?」
「話……」
「まあ、凛ちゃんのためにも悪い話じゃないんです。さあさあ」
 私たちは事務所に通された。普段は先生と関係者以外はなかなか入れない。少し小綺麗な事務所にはいくつかの社長と有名人の写真が掲げられている。それ以外はわりと会社のような、小綺麗なだけの普通の事務所だ。そして吉田という男と向かい合ってソファに座った。
「あの実はお仕事の紹介なんですが、皆さん歌のレッスンと発声、ダンスをやっているということで……」
 吉田という男は、なかなか本題に触れずにいて、何か言いにくそうでもある。
「あのつまりは私どもは今地下アイドルを募集していて、他校のボーカル教室からもスカウトしているんですが、ここの劇団で前回の舞台で、うちの社長が凛ちゃんを見て、思いついた企画なので、是非と思って」
「地下アイドル」母は吉田に確認するように訊いた。顔を見ていないが、母の眉が八の字になっているのが想像でわかる。
「地下アイドルって言ってもうちの子は舞台と子役とエキストラ以外、なにも経験がなくて……」
「お母さん。そんな難しく考えなくていいんです。地下アイドルは星の数ほどいます。全然難しく考えなくていいんですよ」
「でもうちの凛は十二月に舞台のキャストも決まっているし、これからというところなので地下アイドルは大分路線が変わってしまうし」
「お母さん。舞台は舞台でやっていただいて結構です。そして地下アイドルとしても五人組のセンターで歌ってもらいます」
「うちの凛がセンター?」
「はい。是非ともうちの社長の意向で、もし女優を目指しているのであれば、これこそビッグチャンスです。まずいくら技術があったって顔が売れなければ、仕事は来ませんからね。地下アイドルといってもド素人から、プロまでいますが、凛ちゃんたちには「半地下」と言ってCDも出し、大々的に宣伝して、本気で後押ししようと思っています。目指すは二年後には、ドームでコンサートをしようなどと社長とも話してたんですが、もちろん学校との兼ね合いもサポートします」
「そんな、うちの子が……」
 恐縮する母に対して、
「いや美人で可愛らしいお子さんじゃないですか。まさに奇跡の顔。本当に何とも言えない。娘さまは何とも人を狂わす魅力があります。きっと売れます。社長がこんなこと言うのも珍しいんです。すぐに返事をしていただけなくてもいいんです。でも是非今月中までにはご返事をいただきたい」
 私の頭の中にまたあの言葉が蘇る。
「お母さん、私を殺さないで」
「お母さん、私を殺さないで」
作品名:リピート 作家名:松橋健一