リピート
――宏美――
平成九年十月――
「奈保まさか獣医師の彼がいて、結婚するなんて、全然経過報告なしに、チョーずるい」真由美がカシスオレンジ片手に言う。
「真由美みたいにエリート官僚の公務員の旦那をもってる人には、はっきり決まるまで言えないのよ」奈保はスクリュードライバーを片手に真由美にそう反論する。
「私のはただ国家公務員二種の防衛庁よ。一流エリート官僚とは言えないわ。ねえ、宏美、奈保ずるいわよねえ?」
「ええ」私はシャンディ・ガフを口に付けたのをやめ、ただみじめに口ごもった。
奈保は獣医師と、真由美は公務員の旦那をもち、それと翼は介護のケアマネジャー兼施設長の旦那と子供がいる。
奈保が結婚したことで、この四人の中で独身の身は私だけになった。
「ねえ、奈保の旦那獣医師なんだって。どんなところに惹かれたの?」
「どんなって、ただ彼、動物に対する愛情とか優しさとか、なんていうか、本当にピュアで、彼子供っぽいところあるのよね。それがなんかキュンとするっていうか、マジ可愛くて」奈保はスクリュードライバーをそっと置く。奈保の言葉に翼も、
「いいなあ、私なんて旦那が介護員でしょう。収入が足りなくて。私も子供が小学校に上がったら働かないと。いいなあ。獣医師とか、国家公務員は」
真由美はとっさに、
「そんな収入なんて関係ないよね。介護員って言っても施設長でしょう。翼の旦那優しいし写真見たとき、ほら、結構キレイメだったじゃん」
「そんなキレイメじゃないわよ。もう三十のおっさんよ」
――ますます私はみじめになっていく。
居場所がない。
居場所がない。
居場所がない。
私の気持ちを感じ取ったのか、奈保が私に言う。
「ねえ、宏美、こんな私だって結婚できたんだから、宏美みたいな美人、絶対チャンスあるわよ」
「そうよそうよ」真由美が他人事のように言いながらカシスオレンジを片手で遊ぶようにしてまた口を付ける。
一瞬場が静まりかえった。
「結婚も運よね」真由美が私に気を遣ったようにそう言う。
それに対して翼は「いや、結婚するには高望みしないことよ。私だって将来のこととかいろいろ、不安があるのよ」
――私なんて不安だらけだ。
いつもそうだった。公立の中学を出て、神奈川の公立の高校受験に失敗し、電車で一時間二十分かかる私立の高校に進学した。シングルマザーの母親は思わぬ受験の失敗に学費ローンを組んで、大学のときは親と今後の学費の返済について、いつも話し合っていた。アルバイトが思う通りいかないと、返済もできない。
母と父は、父の浮気が原因で離婚した。シングルマザーの母親に迷惑かけまいと、公立の高校を受けたが失敗し、もちろん国立の大学も失敗し、なんとか埼玉の私立の大学に受かり、通うことができた。
この四人とはその埼玉の大学で知り合った。
二十歳の成人式の日、神奈川の実家で成人式の振袖を借りようか、買おうか悩んでいた。
「大学卒業でいずれ着るんだから」私の言葉に、
「でもそのときはそのとき、また考えればいいのよ」
結局私はレンタルで我慢し、成人式の後、高校の同窓会に呼ばれると思ったら、どこからも連絡がなく、母と二人で家まで向かった。
「夕ご飯外で食べてく?」「別にどっちでもいい」
「じゃあ、ここの朋友っていうラーメン屋でもいい?」
“成人式の日にラーメン屋……”何の飾りっ気のない母にもう今更期待などしていなかった。普通にラーメンを頼むと、
「宏美、五目ラーメンじゃなくていいの?」「うん」
「ねえ、宏美五目ラーメン頼みなさいよ。ちゃんとお金あるから。五目ラーメンじゃなくていいの?」
私は気が滅入って普通のラーメンもなかなか喉を通らなかった。
そんなことを思い出しながら私たちはミニ同窓会を終え、私は都心から離れた一人暮らしの厚木のハイツへとぼとぼ帰っていく。
“バカヤロー”
誰に言うわけでもなく心の中でそう叫ぶ。星を見上げながら、心は半ば宙を浮くように、不安定で、無気力な吐息だけ出る。
そこに一枚の貼り紙が電柱に貼ってあるのが目に付いた。
厚木基地主催ハロウィンイベント
ハロウィンに興味のある方であれば、日本人外国人問わず、だれでも参加できます。
私はその貼り紙をただじっと眺めていた。