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短編集64(過去作品)

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 最初はそうだったが、やはりサルという動物は警戒心が強く、目を合わせれば襲ってくる気配が感じられる。彼女にはないようなのだが、それも一定のサルだけだというのだ。
「波長が合うのかも知れないわね」
 サルの動きは激しい。サルによっては場所をいろいろ変えるものもいる。彼女の波長が合うサルも一定していないという。だが、
「私にはどこにいるか、そのサルだけは分かるの」
 と言って、涼しい顔でサルを見ている。坂下には到底分かるものではない。
 それでも何とか見つけたいと思った。自分が犬に感じた不思議な思いを解明する鍵を、サル山のサルが握っているように思えるからだ。
 結局分からないまま、高校を卒業し、彼女は都会の大学に進学することで、二人の仲は自然消滅してしまった。
 最初こそ、
「遠くになるけど、大丈夫だよね」
「ええ、お互いに信じているから……」
 と言っていたが、遠距離恋愛はなかなかうまく行くものではない。特に高校時代から大学生活へとまったく違った扉を開いたことで、お互いに知らない世界が開けてきた。お互いに自分の生活に酔ってきたと言っても過言ではない。犬にしてもサルにしても、
――都合のいい言葉――
 を思い出していると、遠距離の彼女が次第に小さくなってくるのを感じていた。
 その頃、まだ坂下は定期的に動物園に行っていた。大学に入ると急にサルの言葉が分かるようになってきた。それが彼女の話していたサルなのかどうか分からないが、確かに一匹だけ違って見えるサルがいる。結構動き回っているが、どこにいても、そのサルだと分かるのだ。
 目を合わせても襲ってこない。どこか甘えるような視線を送るそのサルに、坂下は愛着を感じていた。
――やっと、彼女と同じラインに立てたんだ――
 と彼女に近づけたことを純粋に喜んだものだが、近くにいないのは皮肉なものだった。しかも遠距離恋愛の影響で、次第に存在が小さくなってくる。坂下には想定外のことだった。
 そのうちにそのサルが喋りかけてくるのを感じた。
「これからじゃないか、たくさん彼女だってできるさ」
 前向きに聞こえる。間違いなく都合のいいセリフである。彼女が言っていた、
「自分にとっての都合のいい言葉」
 まさしくその通りであった。
 そういえば、教授が言っていた。
「都合のいい言葉だけしか聞けなければ、それは自分の心の中だけを写したもので、本当に動物と話をしたことにはならないんだ」
 この言葉をもしその時に知っていたら……。そう思うと悔やんでも悔やみ切れない。別れるにしても、自然消滅は最悪だと思うからだ。
 うちで飼っていた犬が死んだ。肉親の死には今まで立ち会ったことがあったが、それとはまた違う意味で感慨深かった。
 肉親の死というのは祖母の死だった。年齢的にも八十歳に近く、寿命だったかどうか定かではない病気はいくつか患っていたようだが、親からは、
「老衰よ」
 と聞かされた。
 不思議と悲しくはなかった。安らかで眠っているような顔で和室の中央に寝かされている。まわりでは葬儀の準備にひっきりなしだが、バタバタしていることもあって、安らかな祖母が本当に死んでいるとはどうしても思えなかった。
 通夜の間、夜を徹して亡くなった人の話で盛り上がる。祖母としてしか知らなかったことで、一面だけしか見ていなかったのが不思議だった。祖母にも青春時代があり、母親としての苦労もあったのだ。しかも、これほどたくさんの人が祖母のために集まってくれていると思うと、悲しくはなかった。
 さすがに、
「最後のお別れを」
 と言われた時と、火葬場で棺が釜に入る瞬間は寂しさのようなものが襲ってきたが、それ以外は、不思議と寂しさはなかった。やはり老衰だと思うからだろう。
 肉親の死にはそれほど辛くなかったのに、なぜ犬が死んだ時にはこれほど寂しさが募るのだろう。すでにその時は脱サラして、親の猛反対があったにもかかわらず教授の助手として研究室に入っていた。犬への思いはひとしおだったが、それだけではないように思えてならない。
 その時にふと動物園に行ってみたくなった。サル山にである。
――サルの言葉も分からなくなっているかも知れない――
 分かっていると思っていた唯一の犬が死んでしまったのだから、サルの言葉も分からなくなっていると思ったからだ。実際に行ってみると、今まで言葉が分かると思っていたサルの存在が分からなくなっていた。
「どのサルだったんだろう?」
 一時間くらい見ていたが分からない。うかつに目を合わせるのも危険だからだ。今までであれば、一匹でも目を合わせられるサルがいたから、他のサルも坂下に一目置いていたに違いない。そのたががなければ、坂下の神通力ももはや通用しない。
 その日、坂下は自分が生まれ変わった夢を見た。生まれ変わったら犬になっていた。
 犬は犬同士思ったとおり、言葉を持っている。喧嘩もすれば愛し合うこともある世界で、人間世界とは変わりない。
 人間に連れられて散歩している。自分の飼い主の顔は薄っすらとしか分からない。飼い主に声を掛けてくる一人の女性がいて、楽しそうに話しているのだが、二人とも同じ顔をしていて、同じ奇声を発している。まるで、人間であった時の自分が犬たちを見ているようなものだった。
 皆同じ顔で同じ言葉を犬が話していることを何ら不思議に感じなかったことで、それだけ当たり前のこととして見ていたのだが、人間としての意識が残っていて、まったく同じ顔の人間がまったく同じ奇声を上げあって話しているのを聞いているのは、不可思議で、不快な感じである。
 気がつけば動物園にいた。しかもサル山の前である。
 こちらを一斉にサルが見つめている。一番上にいるのはボスであろうか。ボスの下を見ると、一匹だけ見覚えのあるサルがいる。
――メスだ――
 すぐに分かった。なぜかメスザルは、顔が赤くなっている。恥じらいのあるサルを見ていると、こっちまで顔が真っ赤になってくる。
――なんてことだ。人間の時でも感じたことのない感覚ではないか――
 恋とはまさしくこのこと。サルの声が聞こえてくるようだ。
「愛してます」
 何ともストレートな言葉、人間ならなかなか言えない言葉だ。
――都合のいい言葉――
 他の動物の声は自分にとって都合のいい言葉しか聞こえないはずだ。
 人間の声は今も聞こえない。自分にとって都合のいい言葉を人間が話すとは思えない。きっと、ずっと聞こえないままだろう。
 人間が動物の声を聞こえないと思っているのは思い込みもあるが、自分にとって都合のいいことを話していないからなのかも知れない。
 人間世界のエゴと、動物世界の本能、それを今坂下は感じている。
――本当に生まれ変わったら、犬になってしまうのかも知れない――
 と考えたが、
――いや、誰もが動物としての自分がいて、それを意識できていないだけなのかも知れない――
 要するに、誰も自分にとって本当に都合のいいことが何なのか、それを意識していないだけで、意識することができれば、おのずと動物世界の本能を知ることができるはずである。
作品名:短編集64(過去作品) 作家名:森本晃次