火曜日の幻想譚
43.彼女の歌声
たまたま寄ったスタバの店員にすっごくかわいい娘がいた。
あまりにもかわいかったので、デートに誘ってみる。嬉しいことに快く応じてくれた。
三度目のデートで、僕から告白して付き合い始めることにした。ここまでは順風満帆と言っていいだろう。
でも付き合い始めてから、妙に気になることができたんだ。
一体なぜだろう。彼女、絶対に歌を歌わないのだ。
こないだカラオケに行ったときも、僕がずっと一人で歌ってた。お互い好きなバンドのライブデートをしても、一切口ずさんだりしない。よくよく考えたら、出会ってから鼻歌すら聞いたことがない。気になって、
「楽しくない?」
って聞いてみても、
「ううん。楽しいよ」
って答えるばかり。
変だなと思って気になりだすと、そのことしか考えられなくなってくる。僕はついに我慢できなくなって、彼女に言ったんだ。
「君の歌声が聴いてみたい」
それを聞いた彼女は、最初困った顔をしたけれどやがて言った。
「わかったわ」
そして、僕らはカラオケボックスに入る。すると彼女は、いきなり僕をソファに縛り上げた。
「な、何?」
慌てる僕に彼女は囁く。
「あのね。私、セイレーンの末裔なの」
そして、カラオケのリモコンをピッとつっついた。
彼女の歌声はなんというか、言葉を連ねれば連ねるほど言語で表現することは難しい、と思わせるような得も言われぬ声だった。僕は、その歌声に一瞬で心を奪われてしまう。戒めを解き彼女をギュッと抱き締めたい、そんな考えが何度も頭を過った。だって大好きな彼女が、こんな美声で歌っているってだけでもうめろめろだ。僕でなくとも、きっと人間はみな虜にされてしまうだろう。でも彼女がほんとにセイレーンの末裔なら、近づいた瞬間殺されてしまうのだ。
一曲歌い終えてスッキリした彼女は、笑顔で僕に問いかける。
「どうだった?」
僕は縛られたまま、コクコクとうなずく。
「2時間取っといたし、何なら延長もするね」
僕の答えに満足したのか、彼女はそう言ってウインクした。
帰り道、よほど楽しかったのだろう、彼女は
「ねえ。これから、週一で聴かせてあげる」
と、新しい趣味でも見つけたかのような歓喜の表情で言った。
オデュッセウスは帰り道だったけど、僕らの恋路はまだまだ始まったばかりだ。