火曜日の幻想譚
45.虐げられし者の祈り
天にまします、われらが神よ。
願わくは、私たちの愛するものに大きな幸福をお与えください。
私たちは今、差別と偏見の目に晒されて心細い思いをしております。
一体いつからでしょう、このような理不尽な仕打ちを受けるようになったのは。
一体なぜなのでしょう、このような理不尽な仕打ちを受けるようになったのは。
思えば古より、私たちと同様の者の悪行が書物に記されておりました。
それ程の昔から、私たちの苦難は始まりを告げていたのかもしれません。
かつての私たちは、悪魔のような所業をしでかしたことがあるのかもしれません。
それだからこそ、私たちの評判は地に落ちたのかもしれません。
しかし、今を生きる私たちは彼女たちとは違います。
悪魔のように振舞い、正義の名の下に誅されていった者たちではないのです。
ただひたすら心に導かれるまま、すべきことを執り行っているだけなのです。
私たちは一刻も早く疑惑の目が外れることで、私たちが自身の行いに集中できる環境になることを願います。
そして私たちは、決して過去の私たちのような過ちを繰り替えさないように。
富貴につられ、我が子の足を切断してまで靴を履かせようとはならぬように。
嫉妬に溺れ、真っ赤に焼けた靴で死ぬまで踊り続けることにはならぬように。
悪しざまに語られ続ける、悪名高き血の繋がらぬ母のようにはならぬように。
富めずとも、安らげずとも、たとえ血が繋らずとも、子どもたちの幸せを心から願えるものでありますように。
アーメン。