火曜日の幻想譚
48.縊れ庭
3丁目の大宮さんの家、あるだろう。そう、あのでっかい邸宅。あそこな、家だけじゃなくて庭も大きいんだ。
ちょっと前は、大らかな時代でな。子供たち数人で訪ねれば、そのでっかい庭で遊ばせてくれたもんだ。今はセキュリティだのなんだのとうるさいから、入れてくれないけどね。
実は、あの大宮さん家の庭にはある逸話があってね。今日はその話をしようというわけなんだ。
あの庭には、それはそれはきれいな桜の樹と、その横に小さな池がある。毎年桜の季節になると、花びらがあちらこちらに降り注ぎ、それが澄み切った池に反射する。その美しさは、時の将軍もわざわざ足を運んでご覧になったほどだった。
だが、ある年の桜の季節に、恐ろしいことが起こったんだ。
朝、池の上に伸びた桜の枝に、何かがぶら下がっている。それは、ふらふらと揺れながら俯いて、恨みのこもった視線を池に向けていた。見知らぬ女が、桜の枝で首を吊って死んでいたんだ。
調べた結果、縊れたのは近所の貧しい母子だと分かった。どうやら冬のうちに食料が底をついて食い詰めた揚げ句、母は子の首を絞め懐に抱いてこの場で首を括ったらしい。大宮家としてはその母子を不憫には思ったが、自慢の庭に「けち」がついたことに腹を立て、何の供養もしなかったそうだ。
そのせいだろうか、毎年桜の季節になるとなぜかこの樹で首を吊る者が現れるようになった。食い詰め者や病を得て助かる見込みのない者、駆け落ちや不倫の末の心中。皆、こぞって大宮家の庭に忍び込んで、縊れるようになってしまったんだ。
こうなると大宮家も黙っていられない。お寺の偉いお坊さんに、何とかしてもらうよう頼みこんだんだ。
寺から来た僧は、まだ二十歳そこらの若者だった。だが、すでにその法力には定評があり、これからを期待されていたそうだ。
僧は丁寧に庭を見回り、桜の樹に目をつける。桜と死はイメージしやすいし、縊れている枝は実際にこの樹の枝だ。この樹が諸悪の根源とみて、間違いないだろう。そう考えた僧は一心不乱に桜の樹を祓い、この地を後にした。
しかし、僧の見込みは外れてしまった。なぜかと言うと、翌年も縊れる者が現れてしまったから。
再び大宮家に訪れた僧は、庭を隅々まで慎重に見て回る。すると、池の水に映る自分の顔が、別の顔に代わっている。僧が呼びかけると、その顔はこう答えた。
「桜の咲き誇る季節は皆、浮かれ喜んで笑顔だと聞いておる。
しかし縊れる時は皆、辛気臭い顔をこちらへと向けておる。
誰か、桜咲く季節に笑顔で縊れたる者はおらぬだろうか」
その言葉を聞きながら、僧は恐怖していた。この物の怪、自分の力では到底手に負えぬ、と。しばし、僧と物の怪との間に沈黙が流れる……。
「では、笑顔をそなたに向けて縊れたる者あれば、これ以上人を縊れさせぬな」
「うむ。向こう千年は、縊れる者を出さぬと約束しよう」
僧はその言葉を聞いて、何かを決意した顔つきをした。
数刻後。大宮家に一通の書置きが残されていた。
『最後に一人縊れし者あれど、向こう千年縊れる者は出でず』
最後に縊れた者は合掌し、満面の笑みで池を見つめて果てていた。そこには、桜の花びらがはらはらと舞い散り、池面を彩っていた。