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火曜日の幻想譚

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53.部長のふるまい



 念願叶って第一志望の会社に就職した。

 だが、気合を入れて出社したOL初日、私は失望を隠しきれなかった。配属されるであろう部署の部長、その部長がひどいのだ。よれよれのスーツ、突き出たおなか、しまりのない顔、脂ぎって薄くなった頭。こんな人が部長でいいのか。別にイケメンじゃなきゃいけないとは言わない。頭髪が薄くたって別に構わない。だが、会社で部署という決して少なくない人数を束ねる以上、ある程度洗練されていて然るべきだろう。
 私は、この上司のせいですっかりやる気が失せてしまった。今からでも別部署に行く方法はないだろうか。いっそのこと、会社を辞めてしまおうか。出勤初日の夜は、その日の昼間よりも長く思える程だった。


 翌日。考えすぎた私は、普段よりも遅く起きてしまう。慌てて準備をして電車に飛び乗る。この時間なら遅刻はしないですむ、そう思った矢先におなかがなった。そういえば、朝食を食べていない……。まだ二日目なのでそれほどの重労働はないだろうが、研修中におなかがなったら恥ずかしい。仕方ない。私は、会社の最寄り駅構内の立ち食いそば屋で、朝食をとることにした。
 覚束ない手つきで食券を買い、頼んだわかめそばを待つ。ぼやぼやしていたら、おばちゃんに「わかめできてるよっ」と怒鳴られた。私はあわあわしながらそばの乗った盆を取る。そしてコップに水を汲んで同じく盆にのせた後、隅の一角に移動してすすり始める。

 慣れない場所で戸惑いながら食事をしていると、新たな客が券売機の前にいるのに気が付いた。

 その客は、こなれた手つきでお釣りの出ないよう券売機に小銭を入れ、すでに配置を覚えているかのようにボタンを押下する。そして、流れるような身のこなしで食券を手に取り、おばちゃんにスマートに渡す。
「かきあげ天玉、ねぎ多めでね」
後ろ姿では誰だか分らなかったこの新たな客、だがこの声で初めてわかった、あの部長だ。部長は私には気づかず、そばを茹でているこの時間を利用してコップに水を汲んでいる。
「はい、かきあげ天玉ねぎ多めっ」
おばちゃんの言葉と共に盆を取り、スッと空いている箇所に滑り込むさまは、なんというか頼もしさすら感じるほどだった。

 食べ始めてからも部長はスタイリッシュだった。七味をササッと手早くかけ、真っ先に玉子を崩す。それからかき揚げ天を潜らせ、表面に現れたそばをするする食べていく。そして、あれよあれよという間に食べ終え、二、三口つゆを飲んで盆を返却口に置いた。
「はい、ごちそうさん」
私よりも後に来たのに、私が食べ終わるより遥かに早く、部長は店を出て行ってしまった。すべてが、予定調和のようだった。
 私は、今の一部始終に大きな感動を覚えていた。あの部長、全然ダサくないじゃないか。

 のびきったわかめそばをもそもそすすりながら、彼の下で頑張ろうと私は心に誓ったのだった。


作品名:火曜日の幻想譚 作家名:六色塔