小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

火曜日の幻想譚

INDEX|61ページ/120ページ|

次のページ前のページ
 

60.正式名称



 久々に同僚と飲みに行く。いろいろと厳しい情勢だけど、2人と少人数だし、少しは飲食店を元気づけようということで参加することにした。

「いらっしゃいませ」
おしぼりと水を受け取り、メニューを開く。


 実は僕は、ビールがあまり好きではない。飲めないことはないが、おなかが張ったり、緩くなったりするのが嫌なのだ。それ故、ビールの欄はサラッと見てすっ飛ばしてしまう。じっくり見るべきは、サワーやカクテルの場所だ。
「ほほぉ」
メニューを一読して、興味をそそられる品に気づく。
“搾りたてトマトで作ったブラッディ・メアリー”
ブラッディメアリー。ウォッカと絞ったトマトを注ぎ入れ、レモンやタバスコなどで味を整えたこのカクテルは、僕の大好物だ。
「よし、決まった」
同僚に告げ、ウェイターを呼び出してもらう。

「お決まりでしょうか」
やってきたウェイターに、同僚は気軽に注文をしていく。
「ビール、ジョッキで」
「ビール、ジョッキですね」
そんな彼の注文の後、僕は意を決して注文を告げる。
「“搾りたてトマトで作ったブラッディ・メアリー”、一つください」
「ブラッディメアリー、一つですね」
「…………」
「あと、シーザーサラダと、鶏のなんこつ揚げ、とん平焼きももらおうかな……」
ひとしきり注文が終わり、ウェイターが立ち去ったあと、同僚はニヤニヤしながら言った。

「必死になって注文したのに、“ブラッディメアリー”で片付けられてやんの」
彼に言われずとも、僕の胸の内は屈辱でいっぱいだった。きっと、お店なりのこだわりがあって、あのような名称になったに違いない。そんな店の人の思いを踏みにじってはいけない、そう思って、かまないよう気をつけて注文したのに。僕は唇をかんで、同僚の嘲笑を受けるしかなかった。

 そうこうしているうちに酒も料理も届き、宴が始まる。僕らは飲み食いをして、グラスとジョッキといくつかの皿を空にした。必然的にやってくるのは、おかわりの時間だ。僕は今度こそという気持ちで、メニューをながめる。もはや他のメニューに興味なんかないのに。

 そんな僕のいるテーブルに、先ほどのウェイターが訪れる。
「“搾りたてトマトで作ったブラ……」
「ブラッディメアリー、追加ですね」
「…………」
同僚はこの時点でもう半笑いだ。
「ビール、ジョッキで」
「ビール、ジョッキですね」
ウェイターは立ち去っていく。

「ハハハハハ。食い気味」
同僚の笑い声が響く。悔しさのあまり、思わず拳を握りしめてしまう。ここまで来たら引き下がれない。
3杯目を頼むときこそ、あのウェイターに正式名称を言わせてやる。

 そうしてやってきた3杯目。僕はとある作戦を考えついた。同僚がウェイターを呼んでいる間に、再びメニューを手に取る。
「お? あきらめて別の頼むのか?」
冷やかしてくる同僚を無視して、メニューに目を通す。
「お待たせしました」
やってきたウェイターに、僕はすかさず声を掛ける。
「森のきのこ風パスタ、一つ」
「はい、森のきのこ風パスタ」
「“搾りたてトマトで作ったブラッディ・メアリー”」
「はい、ブラッディメアリー、追加」
「…………」
思わず、ウェイターの顔を見てしまう。彼は、僕の視線を気にせず、同僚の注文を聞いていた。

「何、あの姑息な手段」
同僚のあざけりはいよいよ止まらない。悔しい。ちゃんと注文をしてるのはこっちなのに。
 だが、僕にはもう限界がやってきていた。酔いが回ってきているのである。4杯目、次が、おそらく最後のチャレンジだろう。僕は、このチャンスに全力投球をするべく、神経を研ぎ澄ます。だが、酔いはいよいよ本格的だ。視界が二重になり、意識はもうろうとし、気持ちが悪くなる。

 そんなギリギリの状況で迎えた4杯目。
「お待たせしました」
4度やってきたウェイターに、ろれつの回らない口調でどうにか伝える。
「“搾りたてトマトで作ったブラッディ・メアリー”ください」
「あー、“搾りたてトマトで作ったブラッディ・メアリー”、もうないんですよ」
「?!」
僕は驚きのあまり、ウェイターを食い入るように見つめる。彼は、それを理由を問われたと捉えたようで、申し訳なさそうに言葉を追加した。
「実はトマトジュースが切れてしまって」
「あぁ、なるほど。じゃ、ウーロン茶ください」
僕は、どうあれ目的が達成できたのに満足して、ソフトドリンクを注文した。


 搾りたてなのにトマトジュースを使っていたことに気づいたのは、翌朝、酔いが冷めてからだった。


作品名:火曜日の幻想譚 作家名:六色塔