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火曜日の幻想譚

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63.水底にて



 母はスイミングコーチをして、女手一つで私を育ててくれている。そんな母の影響もあって、中学校の部活は女子水泳部に入部することにした。

 もともと泳ぐことは嫌いではなかったし、母の遺伝子を受け継いだのか小学校でも1、2を争う速さだったので、部の方でも期待の新人と持てはやしてくれた。
 でも、入部してから2週間。泳いでいる最中、どうしても拭い去れない違和感がある。その違和は、こんなことをしてられないという焦燥だったり、覚えたての性欲がうずいたりという形で、私の心中に顕現し、ほんの1秒にも満たない短い間、私の手足の動きを止めるのだった。
 春のうちにその違和感の原因を調べようと思えば、調べられたのかもしれない。だが、慣れない中学校での生活でそれはすっかり置きざりになってしまっていた。

 日々は慌ただしく過ぎ去って、夏。
 市の水泳大会が開かれ、私も1年生代表として背泳ぎで参加した。
 号砲が鳴り、私たち選手は一斉に水面に潜り込む。さんさんと陽が降り注ぐ真っ青な空を見上げながら泳いでいるうちに、件の違和感が襲いかかってくる。奇妙な焦燥や、はしたなくこみ上げる性欲をこらえつつ手足を動かしていたが、やがて気が遠くなってしまった。

 気がつくと私は保健室で眠っていた。大会中、いきなり水底に沈んだまま浮かび上がってこないので、顧問の先生が助け出してくれたらしい。私は先生に礼を言う。だが、心の底では、水底に沈んだ安心感と、それを無理に引きはがされた不快感がひどくこびりついていた。

 それからも違和感は、水泳中に首をもたげて私を苛んだ。よく分からない焦りとこみ上げてくる性欲。それらに集中力を奪われ、タイムは一向に縮まらない。何度か他人に相談しようかと思ったが、性のことゆえ、他人には打ち明けずらかった。
 ならば、自分で解明するしかない。私はそう思い、誰もいない時間を見計らって、プールの底に再び沈む。大会以来の水底は私を優しく包み込み、焦りをかき消してくれる。だが、性欲の方は容赦してくれない。激しくうずく下半身に耐えきれず指を秘所に伸ばしたとき、全てが分かった気がした。

(私……、水底で、プールの底で授かったんだ)

 恐らく、母は誰もいないプールで父に襲われた。そして、必死に泳いで逃げたんだ。だが、捕らえられ、プールの底で辱められた。
 その泳いで逃げた記憶と水底での悦楽の記憶が、そのとき授かった私に入り込んだのだろう。

 母からは、父は病で亡くなったということしか教えてもらっていない。どんな出会いをしたのかも、つきあってた頃のエピソードも、どんな仕事をしていたのかも聞いていない。

(お父さんのことが……、知りたい)

 その日から私はすきを見ては水底で1人、自分を慰める日々を送っている。ここで乱れる私を激しく愛してくれる、お父さんのような男性がやってくるのを待ち焦がれながら。


作品名:火曜日の幻想譚 作家名:六色塔