火曜日の幻想譚
78.盛り塩
友人である石出の家に招かれた。
彼の家の門前に立ち、呼び鈴を押す。応答が来るまでの間、ふと目線を下ろすと、門の脇に小さく盛り塩がしてあった。
「おい、風水にでも凝ってるのか?」
居間に通され、差し向かいになった石出に、盛り塩を見たことを伝えて問いかける。すると、意外な答えが帰ってきた。
「いや、実はね。こっちが出るんだよ」
そう言って、両手を前にして手首から先をぶらんとぶら下げる。すなわち幽霊ということか。
「今どき、幽霊なんざ出るわけないだろう」
そう言って鼻で笑っていると、石出は真剣な顔つきでささやくように言う。
「そう思うならば、泊まっていくがいいさ。ただし、絶対に俺の部屋をのぞいてはいけないよ。君も巻き込まれるからね」
その夜。
石出の言う通り一晩泊まることにした私は、深夜、布団の中でまんじりともせず、真っ暗になった電灯を見つめていた。
「本当に、幽霊なんか出るのだろうか」
半信半疑でそう自問したとき、石出の部屋からうめき声が聞こえた。
「?!」
すかさず布団から起き上がるが、石出に部屋へ来てはいけないと言われたことを思い出す。
うめき声は30分ほど続き、やがて収まった。
翌朝。
玄関で石出に迎えられ、暇を告げる。あわせて昨晩の件についても謝っておく。
「本当に幽霊が出るとは思わなかったよ。しかし、すごいうめき声だったな」
石出は得意気な顔つきで、出ていく私を見送る。だが、その門には盛り塩が置かれていない。今日は置かないのかと聞くと、
「一度出ると、しばらく置かなくてもいいんだ」
とのこと。私はどうにもふに落ちない思いで立ち去った。
次に、石出に会うことになったのは数カ月後。彼の妻が亡くなったという知らせを受け、通夜に呼ばれたときのことだった。
無事に焼香を終え、通夜振る舞いが始まる。その席の中で聞こえる、故人をしのびすすり泣く声。その声をどこかで聞いたような気がする。
その声の主を突き止めると、私や石出と同窓で、この近くに住んでいる竹尾だった。彼女と会うのも久しぶりだなと思い、私はあいさつをしようとする。そうして近づいたとき、彼女の声を、どこで聞いたのか思い出した。
(あの夜のうめき声……)
今聞こえるすすり泣きと、あのうめき声。それが同じだと分かった瞬間、さまざまな疑問が氷解していく。
恐らく、石出と竹尾は不義密通の関係にあったんだ。そして、その日、会えるかどうかの合図があの盛り塩だったのだろう。そうやって石出の妻に隠れて、二人は密会を重ねていたに違いない。しかしそれだけでは我慢できなくなり、さらなるスリルを求めて、共通の友人である私に幽霊と偽って交わっている様子を聞かせたんだ。
そんなスリルを味わって戻れなくなった二人は、それからどうするだろうか。不倫という世間に公にできない関係からさらに踏み込んで、より大きな罪を犯そうとするのではないだろうか。例えば、殺人のような……。
私は、思わず石出の妻の遺影を見てしまう。もしかして、彼女の死は、石出と竹尾が共謀して……。
こりゃ、本物の幽霊が出て、また盛り塩をする日も近いだろうな。私はそう思いながら、通夜の席を立ち去った。
次に殺される可能性が高いのは、それに気づいてしまった自分ということに露ほども気づかずに。