火曜日の幻想譚
117.雪琴
昔、河北地方に斉、字は王洋と言う若者がいた。
斉は役人を志していたが、家が貧しかった。そのため、書物を買ったり家庭教師に支払ったりするお金もなく、なかなか試験に及第することができなかった。
ある時、斉が町を歩いていると、仮面をつけた女占い師と出会った。早速見てもらうと、その占い師は、
「近所の富豪が娘の結婚相手を探している。その娘と結婚して金を得れば、運気も上がって物事がうまくいくだろう」
と言うのだった。だが、斉にはプロポーズの方法も分からなかったし、富豪の娘婿としてやっていく自信もない。女占い師はあきれ果て、こう告げた。
「実は私は、お前を幸せにするために天から遣わされてきた天女で、雪琴と言う名だ。これから必要なことを教えてやるので、お前の家に住むことにする」
こうして斉は、仮面をつけた天女、雪琴と生活することとなった。
雪琴の教育は、教育と言うよりも半ばしつけのようなものだった。時間に少しでも遅れたり、作法を一つでも間違ったりすると、容赦なく鞭が飛んでくる。斉はたちまち痣や傷だらけになり果て、周囲の者が心配する始末だった。
そんな生活をしばらく続けていたが、どうにもおかしなことがあった。雪琴は片時も仮面を取ろうとしないのだ。痣や生傷に苛まれながらも、それに疑問を持った斉はある夜、雪琴の部屋を覗き見た。
雪琴は自室で帯を解き、衣を脱ぐ。そして、そろそろと仮面を外し、顔を外界に晒す。その顔は絶世の美しさだったが、ひどいあばたで覆われていた。その瞬間、斉は思わず足音を立ててしまう。
「何奴!」
斉の気配に気づき、雪琴は慌てて振り返る。ばれてしまっては仕方ない、斉はおずおずと扉を開け、雪琴の前に姿を現す。
「お前! 見たからには生かしておけぬ!」
雪琴は掴みかかろうとするが、裸な上に仮面も着けていないことに気づき、座り込んで泣き出した。
「……ううう」
泣きじゃくる雪琴に斉は優しく声をかけ、彼女の美しさを語った。
「嘘を吐け! こんなあばたまみれの女に魅力など……」
雪琴は衣服を抱えてうずくまる。
斉はそんな雪琴をかき抱き、小声で囁いた。
「そんなことはありません。疑うのならば、夫婦になりましょう」
「富豪の娘と結婚するために頑張っておるのに、私と結婚してどうする!」
「そうは言っても、好きになってしまったのです。仕方がないじゃありませんか」
「馬鹿なことを言ってないで考え直せ!」
「いいえ、世迷い言ではありません。ぜひ私と添い遂げてください」
そう言って抱きしめて放さない斉に、雪琴の心も次第に溶けていった。
しかし雪琴は、斉と夫婦にはならなかった。雪琴は予定通り、斉を富豪の娘、玲珠と結婚させる。そして自身は、斉の側室に収まった。だが玲珠も、天女様を側室扱いになんてできないと言い張り、決して雪琴を下に置くことはなかった。
そのため斉は、とても優しい正室とちょっと気の強い側室の二人に囲まれ、幸せな生活をした。
二人の美女に囲まれてだらけてしまったのか、斉は結局試験に及第することはできなかった。だが、3人の間には男子が1人、女子が2人生まれた。しかし、誰がどちらの子だったのかは、伝わっていない。
雪琴は夫と正室を看取り、3人の子どもたちが独り立ちできるようになったころ、天へと戻っていった。そのときも美しさは衰えていなかったが、やはり顔にはあばたがあったという。