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火曜日の幻想譚

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87.申し訳なさの水瓶



「蒲田くん、ちょっといいかな」
山本課長がときどきしてくるこの手の呼びかけは、ろくなことがない。
「はい。何でしょうか」
渋々会議室へついて行き、課長の顔色をうかがう。課長は困った顔で、テーブルの端についている電源タップのあたりをながめている。

「……実はな」
しばらくして課長は、重い口を開く。
「イースター支社へ行ってほしいんだ」
ああ、案の定、面倒なことになっている。

 うちの社長は驚くほどモアイに似ており、本人もちょくちょくそのことをネタにしている。偉い人にすぐ覚えてもらえるからいいんだよと言っているが、効果のほどは僕ら部下には分からない。だが取りあえず、それがこうじて、おふざけで作ったのがモアイで有名なイースター島の支社なのだ。

 そこには確か社員が1人だけいたはずだが、彼はどうしたのだろう。僕の疑問を察したかのように課長が口を開く。
「そこに1人だけいた社員が、結婚することになってね。婿養子にもらわれて、奥さん家の家業を継ぐんだそうだ」
要するに、体よく逃げ出されたということか。

「本当に申し訳ない。悪いようにはしないから。本当に頼む」
課長は手を合わせて、僕に頭を下げてくる。

 そのとき、ふいに僕のヴィジョンに一つの透明な水瓶が映った。真横から見たその水瓶の中には、申し訳程度に数滴、水が滴っていた。
(ああ、この人。全然申し訳ないと思ってないな)
顔に出さないよう、心の中でつぶやく。

 僕が他人の申し訳ないと思う気持ちが分かってしまうようになってから、どれくらいの月日がたったことだろう。

 最初は小学校のクラスメイトだった。ドッジボールでけがをした僕に謝る彼を見た瞬間、空っぽの水瓶が映った。最初は何のことか分からなかったが、何回か見ていくうちに、どうやら水の量が申し訳なさを示しているらしいと感づいた。
 それから何百回、何千回と水瓶の映像をながめ続けてきた。だが、なみなみと水が注がれた水瓶は見たことがない。入っていても半分くらい。大抵は、今見た山本課長のように底面すら満たせない程度なのだ。
 だが、それは仕方のないことなのかも知れない。今まで申し訳なさの尺度なんか、なかったんだから。それだけ少量でも、彼らに取ったら最大限の申し訳のなさなのかも知れないし、仮になみなみと注がれている人がいても、その人の申し訳なさの大きさは今のところ僕しか理解できないのだ。
 それに、これには重大な欠点がある。僕自身の申し訳なさがわからないことだ。僕がみんなの水の少なさを嘆いても、肝心の僕自身の水瓶を誰かがのぞいて空だったら、何の説得力もない。自分自身のことが分からない以上、人のことをどうこう言うのはやめておいたほうがいいだろう。

 結局、僕はイースター支社行きを引き受けることにした。いい加減、ほとんど水が入っていない水瓶を見るのも飽きてきたし、見渡す限り、周囲になみなみと水のある孤島で、心を洗ってくるのもいいだろうと思ったから。


作品名:火曜日の幻想譚 作家名:六色塔