火曜日の幻想譚
88.律儀さのその先に
これまで、随分と長く生きてきた。
来月で、もう76になる。まだまだ元気だが、正直いつお迎えがきたっておかしくない年だ。そろそろ終活とやらを始めようと考え、押し入れを整理していたときのことだった。
亡き妻の品や、会社勤め時代のスーツ、趣味だった囲碁の碁石……。それらのさらに奥に、古ぼけた一冊の文庫本が見つかった。
「ん? 何の本だったかな」
少し考えて、はたと気付く。高校を卒業する間際に、どうしてもこの本が読みたくて図書室で借りたのだ。だが、春休み中に返しに行くつもりが、すっかり忘れてしまった。それが今ここで、約60年ぶりに日の目を見たというわけだ。
「こりゃ、困ったな」
普通ならすぐさますっ飛んでいって、平謝りで返さなければならないところだ。だが、なんせ半世紀以上の年月がたっている。私を覚えている人間など、間違いなく高校にはいない。それに、私のような老人が「本を返し忘れたので、持ってきました」なんて言っても、認知症と思われるだけだろう。それに言い方は悪いが、こういう事態に直面したとき、普通は皆捨ててしまうような気がする。事実、私もゴミ箱へと一瞬目をやった。だが、私には本をゴミ箱へと放り込めない事情があった。
私は昔から、律義者で通ってきた男だった。年賀状や季節の贈り物はかかさないし、妻を始め周囲の人をできるだけ大切にしてきた。困った人にはできるだけ手を差し伸べ、約束はちゃんと守る。そういう人生を生きてきたつもりだ。
終活とは、何も物の整理をしたり、自分の死後のことを考えるだけじゃないはずだ。生き方の総決算だって、重要な終活だろう。律義に生きてきたこの私が一冊の本も返さずに死んだとあっては、私の名が廃ってしまう。そう思い、久しぶりに母校へと足を運んだのだった。
久しぶりの母校は、何もかもが変わっていた。校舎や体育館は立派に建てかえられ、校庭も整備されている。校名も変更され、最初は本当にこの学校かと疑うほどだった。
私は早速職員室に足を運び、ことの詳細を話す。さぞかし奇異の目で見られるだろうと思ったが、自分の名前を名乗った瞬間、相手の教諭がいきなり質問してきた。
「あのう、宮本 鈴禰さんってご存じですか?」
いきなりの質問に面食らうが、ややあって思い出す。確か、高校のときに同じクラスだった女子生徒だ。顔立ちまでは覚えていないが、比較的仲が良かったことは覚えている。
「やっぱり! その人、うちのお婆ちゃんなんです」
なんでも、お婆ちゃんがよく聞かせてくれた話に『律義者の徳さん』というものがあったそうだ。そして、その話の主人公が私の名前だったので、私の名前を聞いた瞬間、お婆ちゃんと同窓なのではないかと思ったらしい。その『律義者の徳さん』という話を聞いてみると、私の高校時代の律義者エピソードだった。
「でも、本当に律義者なんですね。きちんと本を返しに来るなんて」
お婆ちゃんの母校に教師として今年から赴任してきた彼女は、そう言ってほほえんだ。
こうして、無事本を返すことができ、終活も終えることができてスッキリした。
だが、懐かしい茶飲み友達ができたので、もう少し長生きしたいと思うようになってしまった。