火曜日の幻想譚
90.書物
最近、気づいたことがある。
皆さんは経験があるだろうか。引っ越しの準備をしている最中に、よく起きるあの現象。
荷物をせっせとダンボールに詰めていくうちに、懐かしい書を手に取る。懐かしさのあまりその書を開くと、次の瞬間、恐ろしいほどの時間がたってしまっている。
この現象はさまざまなもので起こり得るが、引き起こされる可能性が大きいのはやはり本、書物なのではないかと思う。
いや、いまさらこんなあるあるみたいなことで悦に入りたいのではない。
この現象とさらにもう一つ、こちらの現象もよく聞くことはないだろうか。
本屋さんに行くと、トイレに行きたくなるというのがそれだ。最近は本屋さんの数も減ったが、それでもまだまだ郊外の都市には多い。そんな本屋さんで、目的の本を探したり立ち読みなどをしていると、次第におなかが痛くなってくるというものだ。
これも有名な現象で、ユニークな名前が既につけられている。私が発見したなんて、ドヤ顔をするつもりは毛頭ない。
問題はここからだ。
この二つの現象、実は書物の側が意識してやっていないだろうか。
すなわち私が提唱したいのは、書物も生命を持っているということだ。そして彼らは、ちょっと人見知りなのである。
彼らは本屋さんで、「私、この人に買われてしまうかも」なんて考えて、恥ずかしさのあまりその人をトイレへと遠ざけてしまう。書物くん、書物さんはこういったシャイな性格なのだ。
だがその一方、彼らは一度購入されると、途端に忠義を尽くし始める。トイレに行かせようとは思わなくなるし、本棚に置かれようが、床に平積みにされようが、彼らはじっと耐え忍ぶ。
だが、彼らのその忠義にも限界がやってくる。ほこりをかぶり、汚れも目立ち、少々端が折れ曲がっても主人に忠誠を尽くす彼らは、久々にページが開かれたそのとき、まるで犬猫がじゃれついてくるように自分の面白さ、魅力を解き放ってしまう。引っ越しの際われわれが彼らに魅入られて、時間を浪費してしまうのはそのためなのだ。
恐らく彼らは、そんな人間くさい性格のものが多いのだろう。それもそのはず、われわれ人類と書物とのつき合いは、犬とのそれほどではないが、紀元前からの古きにわたる。書物も生命を持って、人類のことを知りたい、仲良くしたいと考えていたって少しもおかしくないのだ。