火曜日の幻想譚
91.いたのしい
気づいたら、左手の中指にささくれができていた。
地方によっては、さかむけとも呼ばれるらしいこいつは、小さいながらも、その痛々しさで私を苦しめる憎いやつだ。
「…………」
無言で、ツッ、とそいつを摘む。右手の親指と人差し指に挟まれたそいつは、激痛でこたえてくる。
私はその激痛をこらえ、一気に右手を宙へと運んだ。
「ツーッ」
奇妙な音。鋭い痛み。
ささくれは千切れることなく、私のひじまでその勢力を拡大していた。侵食された部分は色が若干変わり、うっすらと血がにじんでいる。
「……どうしよう」
すぐちぎれるもんと思っていた私は困り果て、はさみや爪切りに類いするものを探そうとした。だが、そこで好奇心が邪魔をする。
このままむいたら、ささくれはどこまでむけるんだろう。悪魔のささやきのような奇妙な心が、現実的な解決法の採用を妨げようとする。
どこまでむけるのか、見てみたい。でも、痛いのは嫌だ。
矛盾した心理の中考えついた方策は、いわゆる折衷案だった。いけるとこまでいってみて、怖くなったら爪切りのご登場。
万全の準備をして、ひじにぶら下がったものを再び力を込めて引っ張る。
「ツーッ」
再び聞こえる皮がむける音。痛みで、今どこがむけているのか手にとるように分かる。
その痛みは、背中から、腰、脚へと伝わり、私の体を一周して右手の中指へとたどり着く。
「……」
痛みの中、右手中指の先にある、肉体を一周した皮のまとまりをぼんやりと見つめる。何かに似てるような、気がして。
そうか、あれだ。おもむろに立ち上がり、右手をくるくると回す。右手の回転に合わせて、むけた皮はらせん状に美しい弧を描く。私はそのまま、新体操のリボンよろしく、部屋の中を縦横無尽に跳び回る。
文字通り、一皮むけた体で。血まみれの、痛みが引かない体で。それらを意に介さず、躍動的に跳ねる、駆ける、踊る。
ああ、楽しい。痛いけど、楽しい。名付けて、いたのしい!
悦楽にふける私を、様子を見にきた家族がドン引きでながめていた。