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火曜日の幻想譚

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93.エイリアスの効用



 一郎と洋子は、結婚して15年になる夫婦である。

 夫婦仲は決して悪くないし、一人息子も中学生になって手がかからなくなった。共働きで、経済的にもそれほど困っていない。姑がやかましいわけでもなく、介護の必要な舅がいるわけでもない。
 そんな傍から見ればうらやましいような夫婦だが、やっぱり悩みはあるものだ。しかも、その悩みは約10年もの間、二人をむしばんでいる。その悩みとは、夜の営みがないことである。

 お互い、性欲がないわけではない。しかし、どうにも気恥ずかしさが伴ってしまう。「息子がいるのだから、かつてはそういうことをしたのだろう」という指摘もあるだろうが、彼らの中では、生殖と快楽は違うようなのだ。すなわち、気持ち良くなるために性行為を求めることが、彼らにはできないのである。

 夜。
 二人で隣同士、布団を敷いて横になる。相手の距離まで数十センチ。この数十センチが二人には遠すぎる。「そっち行くよ」と一声かけるだけでいい。でも、その6文字が言い出せない。
 別に二人とも、ただ手をこまねいていたわけではない。然るべきところに相談してみたり、寝室に性欲増進のアロマをたいてみたり、間接照明にしてムードを高めてみたり……。そんな涙ぐましい努力をしてみても、やはり二人は肌を合わせることができないのだ。


 半ばあきらめかけていたときだった。会社の帰りにとある看板が目に入った時、一郎はピンとひらめいた。

 その日の夜、布団の中で一郎は洋子に問いかける。
「洋子。君はどんな名前になりたかった?」
いつだったか、自身の平凡な名前を嘆いている洋子を、一郎は覚えていたのである。
 考え込んでいる洋子に、一郎は再び声をかける。
「無理に今答える必要はないよ。でもできれば近いうちに決めておいてほしいな」
いまいち意図がわかりかねている洋子。
 一郎はそんな洋子にその裏の意図を分かってもらえるように言葉をつなぐ。
「今度からさ、布団の中ではお互いが決めた名で呼び合おう。いわば名前の仮面舞踏会さ」
一郎はホストクラブの看板に掲げられたホストの名前を見て、自分たちも本名ではなく源氏名をつければ、同衾しやすくなるのではないかと考えたのだ。
「僕のことは……」
一郎は、最後に照れ臭そうに付け加える。
「凛とした音で、凛音(りおん)って、呼んでほしいな」

かくして一郎と洋子、もとい凛音と亜衣瑠(あいる)は、約10年ぶりに体を重ねる生活を取り戻したのだった。


作品名:火曜日の幻想譚 作家名:六色塔