火曜日の幻想譚
100.夢の跡先
私がパートで働くお弁当工場に、堀さんという男性がいる。
年齢は確か35。すらりと細い体に少し長めの髪。その髪を衛生帽の中にまとめてマスクをし、コンビニで売られている冷やしうどんにねぎを入れている。
働きぶりは特に問題ない。遅刻もしないし、急な出勤や残業にも応じてくれる。むしろ重宝されているといってもいいぐらいだ。
だがどうしても私は、この堀さんを痛々しい目で見てしまう。
ヴィジュアル系と呼ばれる音楽ジャンルがある。一言では説明しづらいが、独特の美意識をまとったミュージシャン、とでも形容すればいいだろうか。私は若かりし頃、そういったヴィジュアル系のバンドが好きな、バンギャと呼ばれる人種だった。
当時、特に熱心に応援し愛していたバンドがいた。そのヴォーカルが、他ならぬ彼、堀さんなのだ。
そのバンドは、一時期調子が良かったものの、メジャー進出は果たせなかった。程なくしてヴィジュアル系ブームも一段落つく。商売にならないと判断したのか、よくある女関係の揉め事か、本当に音楽性が違っていたのかわからないが、ブームの後ひっそりとバンドも解散した。
解散を機にバンギャの私も一般人に戻り、当時交際していた彼と結婚した。そして子育ても一段落しパートに出てみたら、そこにかつて神のように崇めていた方がいたのだった。
最初私は、バンドのそしてヴォーカルである貴方のファンであったことを言おうと思った。
「でも……」
そのたびに、何か引っかかりを覚えて言葉を飲み込む。常に黒い衣装をまとって、漆黒のような歌声を披露していた彼。それが、今や白まみれの衛生服でコンビニ弁当を作っている……。
彼の中で、当時の自分と今の自分とに折り合いはついているのだろうか。このまま、弁当工場のバイトを続け、老いていくつもりなのだろうか。こんなことが頭をよぎり、ファンでしたと言いだせなくなってしまうのだ。
そんなある日のこと。
ママ友がどうしても聴いてみたいというので、私は堀さんのバンドのCDをバッグに忍ばせ出勤した。そのママ友とは仕事帰りに会う予定だったが、残業のためすっかり遅くなってしまった。慌てて着替えて会社を出ようとしたその時。
「カシャーン」
落としたバッグからCDがこぼれ落ち、床をツーっと滑っていく。そのCDは、あろうことか休憩中の堀さんの足元で動きを止めた。
(……あちゃー)
私はきまりが悪い中、歩み寄る。堀さんはCDを拾い、その場で待っていた。
「はい。どうぞ」
笑顔でCDを渡してくれる堀さん。
「まだCD持っていてくれたんだね。FCナンバー16番の小山田さん」
「……はい」
うつむきながら答える。
「……やっぱり、話しかけづらかったよね?」
堀さんは、白い服でにこやかに問いかける。
「……はい」
素直にそう言うしかない私に、堀さんは優しく話をしてくれる。
「あのころの僕ら、調子に乗りすぎてたんだ。若さゆえの万能感とでも言うか」
「そう、なんですか?」
「うん。そのせいで、周りも自分たちのことすらも見えなくなっていた」
「…………」
「だから、一度社会勉強をしようってみんなで決めたんだ。言ってもバイトだけどね」
「…………」
「もちろん、今もボイトレとかやってる。メンバーもバイトの合間に、練習や曲作りをしてる」
堀さんの顔に、一瞬かつてのオーラが見えたような気がした。
「もう少ししたら……、来年頃かな。良い知らせが届けられる、かもしれない」
そう言って堀さんは仕事場に戻っていった。
その後、堀さんを職場で見る回数は目に見えて減っていき、いつの間にか居なくなっていた。そして年明け、バンド再結成の報告が舞い込んできたのである。
新たにファンになってくれたママ友と再びバンギャに返り咲いた私は、ライブで頭を振りまくる。華やかな舞台で熱唱するかつての仕事仲間は、今後も力強い歌声で私たちを魅了し続けることだろう。