火曜日の幻想譚
10.秘密
「お風呂、いただいちゃいますね」
由利子はそう言って立ち上がり、浴室へと向かって歩を進める。
「ん」
夫の毅彦は、テレビを見ながら、小さい声で相槌を打った。
世の中には、やたらと風呂の順番にこだわる亭主がいる。宮前家の夫、毅彦もその点では大きなこだわりを持っていた。だが、そのこだわりは世の亭主に見られるような、一番風呂は必ず自分が入る、というようなものではない。毅彦は、ここしばらくずっと、必ず由利子を先に入浴させているのである。
由利子が風呂から上がった後、毅彦は脱衣所で服を脱ぎ、浴室に入る。そして、バスタブの湯を眺め、一人ほくそ笑む。
毅彦が、由利子と同じくらい、由利子が入浴した後の残り湯を愛するようになってしまったのは、一体いつからだろうか。もちろん、今も由利子自身を心から愛しているし、自分にはもったいないほどの妻だと思う。新婚の頃より回数は減ったが、今でも夫として妻と体を重ねてもいる。だが、いつの間にか、肉体そのものよりも残り湯の方が、より愛している由利子のエキスが濃厚に染み出ている気がしてしまうようになっていた。
毅彦は、忍ばせてきた小さな容器に残り湯を汲み、それから風呂に入る。由利子の残り湯に体を包まれながら、容器を明かりに透かして見つめた。透明な液体に、目視でようやく見える程度の「何か」が浮かんでいる。その「何か」を目の当たりにして、毅彦の胸は激しく高鳴った。
風呂から上がり、自室に戻った毅彦は、容器に汲んだ残り湯を保管する。そこには、日付のラベルが貼られた容器が、びっしりと並べられていた。
翌朝。
毅彦が出社してから、由利子は二人が眠るベッドのメイキングに取り掛かる。まず、シーツを外すと、そこに残っている毅彦の体臭を、愛おしそうに嗅ぎまわる。そして一しきり嗅ぎ終えると、そのシーツを名残惜しそうに洗濯かごに入れた。
由利子は、夫が自分の残り湯に興味を持っていることは既に承知していた。そして、「私たち、お似合いの夫婦だな」と思いつつ、今度は枕カバーを外して、夫の頭皮の残り香を嗅ぎまわり、思わず秘所に手を伸ばしていた。