魔導士ルーファス(2)
「違うんだ、誤解だから、その、うん、だから、人工呼吸と心臓マッサージをしただけで、やましいことなんで一切してないから!!」
「わたくし……?」
「溺れて、その、なんでか、えっと……」
「ルーファス様が助けてくださったのですよね?」
「そう、そうなんだけど……へっくしょーん!」
壮大なくしゃみをしてブルブルと震えた。まだときおり夏の暑さが尾を引く陽気もあるが、寒さも確実に近づいてきている秋だ。水に濡れた身体は冷えて体力を奪う。
ふっと寄りかかるようにセツはルーファスに抱きついた。
「服を着たままでは余計に冷え込んでしまいますから……脱いで抱き合ったほうが……」
「いやっ! それは、ダメだから、うん。あれだよ、とにかく外に出よう、ここが寒いんだよ」
氷の入れ物はすでに水面でぷかぷかと浮いている状態で、薄白い氷の壁の向こうに景色がぼやけていた。
「えっと、まずは氷を割って外のようすを……」
ルーファスは少しセツに離れてもらおうと、肩を押そうとしたが、そのときに気づいた。
「セツ?(息が苦しそうだ)」
苦しげで顔に力の入った表情で、セツは弱いながらも荒い呼吸をしていた。
ルーファスはセツの身体を片腕で抱きながら、残った腕を天井に伸ばして氷の壁を確かめるように叩いた。
その程度ではビクともしない。2.5ティート(3センチ)くらいの厚さがありそうだ。
氷と言えば対極にある属性は炎だ。
「(けど、条件が悪い)」
魔法は万能ではない。
すべての魔力の源となる素は、究極的には1つのものであると魔導学では習う。が、だからと言って常にどんな条件でも好きな魔法が使えるわけではない。それは理論上は可能であっても、それを行えるのは神話の登場人物ですら一握りだ。
「エアプッシュ!」
ルーファスは得意の風魔法で氷を割ろうとしたが、気体である風はこの手の作業には不向きである。強度もなく、放出時は圧縮されていても、すぐに拡散してしまう。
ならばとルーファスは現状で好条件に使える魔法を放つことにした。
「アイスニードル!」
強度もあり、尖った先端は衝撃には弱いが、瞬間的な破壊力はある。
放たれた腕ほどのツララは、氷の壁を打ち抜き8ティート(9・6センチ)ほど貫いた。
一度、穴さえ空いてしまえば、そこから脆くなる。ツララと氷壁の密接面を狙って、ルーファスは続けて魔法を放つことにした。
「アイスニードル!」
先ほどよりも大きなツララは氷壁にヒビを走らせた。
「待っててセツ、外に出たらすぐに……(どうしたらいいんだろう)」
外への道が開かれても、ここは大河の真ん中、このスノードームから出るなんて自殺行為だ。
ルーファスはアイスニードを幾度も放ち、頭が通る程度の穴を天井に開けた。そこから腕を出し、
「(外と繋がればいける)」
天に向けた手のひらに魔力を集める。
「ヒート!」
一瞬にして、スノードーム内が暖かい空気に満たされた。静かに溶けはじめる氷壁。急速に溶けているわけではないが、氷壁がぬらりとしている。
ルーファスはセツを抱きしめた。身体から熱を発し続けている。
「(セツを温めないと、でもあまりやりすぎるとここが保たない)」
この場でこまねいていてもセツの様態は悪くなるばかりで、お互い助かるかどうかもわからない。
どのくらい流されたのだろうか?
まだ街や港に近ければ、人や船などが近くにいるかもしれない。
パチパチっと弾ける音がした。
「サンダーシュート!」
天に向かって放たれた稲妻が昇る。ルーファスは救難信号の代わりとしたのだ。
すぐにルーファスは穴から首を出す。
「おーい、だれか!」
辺りを見回しながら叫ぶと、遠くに小型船が見えた。
歓喜に沸き立つルーファスの表情が明るくなる。
頭を引っ込めた代わりに腕を出し、再び稲妻を放つ。今度は小型船がいる上空を狙うことにした。
「サンダーシュート!」
すぐにルーファスは外のようすを確かめるため首を出す。
「おーい!(気づいて!)」
が、その数秒後、小型船が魔弾砲を撃ってきたのだ。
魔弾砲はいくつかのバリエーションがあり、こちらにグングン向かってくるのは炎の玉だ。はじめは豆粒程度だったが、すぐに野球ボール、バレーボール、バスケットボールほどになった!
「違うんだ!」
叫びながらすぐさまルーファスはスノードームに身を隠した。
氷壁を這うように広がった炎が目に飛び込んできた。
「あの距離から当ててくるなんて!」
炎はすぐに消えたので、瞬間的な熱ならこのスノードームで耐えられる。が、いつかは溶けてしまうだろう。すでに危機が迫っているのは、炎を当てられた箇所ではなく、水に浸かっている部分、とくに足下の氷が薄くなっている気がする。
ガタンッ!
急にルーファスたちの身体が浮いた。
「また撃たれた!?」
と思ったが、その衝撃ではなかった。
塀だ。整備された沿岸の塀ということは、街や港はすぐそこだ。
ゴン、ゴン、ゴンっと流されつつ塀に何度も衝突する。
その振動が響いたのか、足下の氷にヒビが入り、そこから少しずつ浸水してきたではないか。
ルーファスは天井を力一杯叩いた。
「割れろ!」
魔法を使うことも忘れ、無我夢中で殴り飛ばす。
水の滴りとともに紅い雫が落ちた。
やっと思い出したように魔法を使う。
「エアダッシュ!」
通常、この魔法は風の力を借りて、ほんの2,3歩を瞬時に移動するものだが、ルーファスは天井に向かって体当たりをした。
「ううっ、わっ!」
苦しげに声をあげてルーファスは一瞬だけうずくまったが、すぐに天井を確認した。ひとが通れるほどの穴が開いている。
「今だしてあげるからね!」
セツを背中に背負ってスノードームから出ようとした。が、思いのほか塀が高くて、手を伸ばして届きそうになく、セツを背負っていたらなおさら無理だ。
「セツ、ちょっと無理させちゃうけど動ける? 僕の身体をよじ登って上に!」
強引にルーファスはセツを押して塀を登らせようとする。
「ルー……ファ……さま……」
苦しげにつぶやくセツ。
登る体力もないが、ルーファスを残していけないと、セツは積極的には登ろうとしていない。
ルーファスは踏ん張ってセツを持ち上げ、お尻を押して塀の上へと放るように乗せた。
「はぁ……はぁ……」
力尽きたルーファスはへたり込んだ。
塀の上で横たわりながら、セツは顔と腕を出してルーファスに伸ばした。
ルーファスは手を伸ばした。
しかし、その手はセツの手を握る寸前のところで拳を握った。
パキパキとヒビの入る音がした刹那、割れた足下の氷とともにルーファスが河に沈んだ。
「……っ!」
息を呑むセツ。
ルーファスの手を取れなかった。
わかっていた。あそこで手を取っても引き上げる力はなかった。最悪、ふたりで河に沈んでいただろう。
「ルーファス……さま……」
その名を呼び切は気を失いぐったりとした。
閉じられた瞳から流れた一筋の涙。
こちらに向かって魔弾砲を撃ってきた小型船が近づいてくる。船首で仁王立ちしている女の長い赤髪が風に靡く。
「酒の邪魔しやがったクソ野郎はどこのだれだい!」
作品名:魔導士ルーファス(2) 作家名:秋月あきら(秋月瑛)