魔導士ルーファス(2)
外伝_恥ずかしげな林檎2
その場所はいつしか〈失われた楽園〉と呼ばれていた。
広がる不毛の大地。砂埃が空に舞い上がる。遠く先の景色は霧に覆われていた。
「なぜあなたも付いてきたのですか?」
セツはイヤそ〜な顔をしてビビを細目で見た。
「おもしろいことはみんなで共有したほうがいいじゃん」
「……惚れ薬なんて手に入れて、?好きな殿方?なんていらっしゃるのですか?」
「べべべ、べつに、好きな男の子はいないけど、楽しそうだから付いてきただけだから!」
「なら、わたくしの邪魔だけはなさらないように」
セツはビビを置いて足早に歩き出した。
踏みしめる大地は固く、植物など育ちそうもない環境だ。
しかし、セツたちはここに林檎を取りに来たのだ。
惚れ薬としてカーシャが提示した材料。その中に?ロロアの林檎?という果実があった。
春麗らかな4月を守護する女神の名はロロア。彼女は愛の女神であり、絵画では林檎を持ったポーズで描かれることが多い。その女神の名が冠された?ロロアの林檎?。
愛にはいろいろな形があるとはいえ、この荒れ果てた不毛の地にロロアの名がつく林檎などあるのだろうか?
この場所はカーシャに教わった場所だ。つまりカーシャがウソをついていなければ、ユーリも同じ場所に来ているはず。そして、ユーリは?ロロアの林檎?を手に入れ、放れ薬を調合してもらった。
地面に倒れている立て札をビビは見つけた。
「左に進むと温泉だって!」
「温泉に行きたいわけではありません」
「水着持ってくればよかったなぁ」
「温泉に水着は必用ありません。それに倒れている立て札に、もはや道しるべとしての機能はありません」
セツは立て札に目を向ける。
左は温泉。
右は文字がくすんで読めない。
前に進むと、かすかに『の林檎』という文字が読める。
「よ〜し、左に進もーっ!」
ビビは温泉に行く気満々。
ムッとするセツ。
「ひとの話を聞いていましたか?」
「温泉っ温泉っ♪」
スキップをしながらビビはさっさと進んでしまった。
セツは辺りを見回す。
立て札は倒れているため、示す方向が正しいとは限らない。そのため、ビビが進んだ方向に温泉があるとも限らない。これから進むべき方向すらもわからない。
セツはビビのあとを追うことにした。
やがて前方に見えてきた水柱。
「見て見て、噴水だよ!」
ビビがはしゃいだ。
呆れたようにセツは溜息とつく。
「あれは噴水ではなく間欠泉です」
「カンケツセン?」
「熱によって地面から噴き上げられる温泉です(あの看板が示す方向が正しかったということは、看板のところまで戻る必用がありそうだわ)」
「ねぇねぇ、あっちに湯船があるよ!」
ビビが走って行ってしまった。
残されたセツはビビを追わずに、来た道を引き返す。
「きゃーっ!」
若い女の悲鳴。
セツは厳しいかをして振り返った。
「ビビ?」
今の悲鳴はビビの声に似ていた。姿は見えないが、その可能性は高い。
セツはビビが向かった方向に走った。
硫黄の臭いが鼻を突く。
白い湯煙が視界を妨げる。
セツは瞳を丸くした。
「……サル!?」
しかし、それはサルよりも巨大だ。かと言ってゴリラらオラウータンではない。薄茶色の長い毛に覆われた巨大サル。巨漢のプロレスラーほどの体長がありそうだ。
「助けて!」
サルに抱きつかれて捕まっているビビの姿。その周りにもサルどもが群がっている。
視線を配ってセツはサルを数える。
「(1、2、3、4、5匹。ビビを拘束しているサルを加えて6匹)」
セツは鉄扇を構える。
――が、サルどもは戦わずして走り出した。
ビビが叫ぶ。
「やだっ、離してーっ!」
そして、セツは呆然とした。
バッシャーン!!
水飛沫を上げながらビビを抱えたサルが温泉にダイビング。
全身びしょ濡れ。
服を着たまま温泉に強制入浴させられたビビは、この場から逃げようとしたが、サルによって両肩を下に押されて、湯船から出してもらえない。
「うわぁ〜ん、パンツの中までびしょびしょだよぉ」
意図が見えてこないサルどもの行動に、セツはただ唖然として見つめることしかできなかった。
「急いで助ける必用はなさそうですが……はっ!?」
殺気を感じたセツが身構えた。
しかし、遅い!
巨大なサルの影がセツの眼前を覆う。
「きゃっ!」
サルに抱きかかえられたセツ。
逃れる間もなく、セツも温泉にダーイブ!
バッシャーン!!
全身ずぶ濡れ、着物姿のセツにはそーとー答えた。
髪から水を勢いよく飛び散らせながらセツが怒りを露わにした。
「いったいなんのつもりですか!」
「ウッキー、ウッキーッ!」
サルには言葉が通じないようです。
言葉が通じない相手には態度で示すしかない。
「この芭蕉扇でおまえたちを温泉ごと吹き飛ばしてあげましょう。湯の一滴も残しませんから、覚悟なさい!」
セツが鉄扇を振るおうとしたとき、その手首がひやりとするものに押さえられた。
「たかがサルに目くじらを立てるでない」
威厳を含んだ女の声。
「ウッキーッ!」
サルがお湯を若そうな女にぶっかけた。
「サルの分際で我に喧嘩売っとるのかっ!」
女は湯船に手を付け、水を操り渦巻く巨大水鉄砲で巨大サルを吹き飛ばした。
セツが呆気にとられる。
「言ってることとやってることが違うのでは?」
「しょせん猿は猿。我らのような高等な種族ではない」
女に見つめられたセツは身を強ばらせた。女の眼は人間の眼ではなかった。まるでそれは蛇の眼だ。
そして、女は眼だけではなく、その体の一部も鱗で覆われていた。
「温泉で他人の裸体を無遠慮に見つめ続けるのは失礼だぞ、人間の娘よ。そして、そこにおるのは魔族の娘か」
女の視線の先でビビはすっかりのぼせ上がっていた。
この女はいったい何者か?
女は肩まで湯船に浸かって安らかな表情をした。
服を着たセツは膝まで湯に浸かって立ったまま。女が気になって視線が外せない。
目をつぶっていた女は、まだ向けられている視線に気づいて、視線を返した。
「服を脱いでお前たちも体を休めるがよい。ほれ、そこにある平らな岩は高温を発しておる。服を広げておけばすぐに乾くだろう」
温泉に入りに来たわけではないが、疲れを感じていたセツはここで休むことにした。
とりあえずのぼせたビビを外に放り出す。女が睨みを効かせてくれたお陰で、サルに邪魔されずに済んだ。
それからセツは服を脱いで湯船に浸かることにした。
湯は乳白色で、少し甘い香りがする。
「先ほどまで、こんな匂いは……」
セツが呟くと女が微笑んだ。
「我の汗が滲み出てしまったようじゃ」
「……汗?」
「そう嫌な顔をするな。汗と言えど、我の汗は妙薬にもなる特殊な汗じゃ」
「何者なのですか、あなたは?」
「ただの林檎の管理者じゃよ、名はスラターン」
「林檎!」
声を上げたセツ。
蛇の眼でスラターンがセツを睨みつけた。
「お前たちも盗人か? ならば万死」
「ちょっと待ってください!」
「問答無用。?智慧の林檎?は何人にも渡さぬ!」
「(?智慧の林檎??)違います、わたくしは?ロロアの林檎?を採りに!」
作品名:魔導士ルーファス(2) 作家名:秋月あきら(秋月瑛)